第21話 転機―ネフェルカプタハ

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第21話 転機―ネフェルカプタハ

 チェティが出張で街を空けている間、ネフェルカプタハは暇を持て余していた。  いや、暇というよりも、サボりの口実がなかなか見つからなくて、”不本意にも”有意義な時間を過ごしすぎてしまうことを恐れていた。  それで、布教をしにいくと言い張って、つい最近訪れたばかりの新しく出来た街を訪れたのだ。もちろん、実際には”適度に”手を抜くことが目的である。  「調子はどうだ?」  「どう、と言われましても」 神殿づきの神官も、いきなり一人でやって来て、勝手に神官専用の控室に居座っているネフェルカプタハの扱いに困っている。普段はただの不良神官なのだが、これで一応、神官としての位は高いから、適当にあしらえないのが始末に悪い。  「近隣からも信者が来て、それなりに人は集まっていますね。ネフェルテム神のお(やしろ)も建てて、簡易でもいいので施薬所があれば嬉しいと要望が上がっていますが、それは、要検討ということにしてあります」  「下流から来た連中は、特に何も問題起こしてないのか」  「とくには、――ああ、そういえば、数日前に来た州兵の方も同じことを聞いてましたよ」  「州兵?」  「壁を作ってる辺りを警備してる隊の隊長さんですよ。レンガ運び用のロバを連れて来てくれました」  (ペンタウェレさんか。…あのあと、もういちど来てたのか?) ネフェルカプタハは、ちょっと首を傾げたあと、表のほうを見やった。ペンタウェレが何を気にしていたのかが、気になったのだ。  「ちょいと、街の様子見てくるわ。邪魔したな」  「はあ」 ぶらぶらと、神殿の外へ出た。  もちろん、僧衣で出歩いていれば目立つから、街の住民の視線は自然と集まってくる。  「神官さん、何してるんです?」  「んー、街の見回りだな。ただの散歩だよ」  「散歩ですか…」  「今日も何か、ご用事ですか?」  「いや、特に無いんだけどな」 人の多いメンフィスの街中なら、神官が出歩いていても誰も気にしないのに、小さな街では物珍しいのか、やたらと声をかけられる。  「あれ、ネフェルカプタハ様?」 もちろん、知り合いにもすぐに見つかる。  振り返ると、少し前まで大神殿で衛兵をしていたウセルハトが、汗を拭いながら立ち上がるところだった。日干しレンガを積んでいたらしい。  「よう、ウセルハト。調子はどうだ」 ちら、と傍らのロバを見やる。  「そのロバ、ペンタウェレさんが連れてきたっていうやつか」  「ええ、そうなんです。ロバを持ってるご近所さんが戻ってこないから、借りられて良かったですよ」  「ご近所さん?」  「すぐそこの小屋に。一人で住んでいる異国人です。ロバを二頭持ってたんですが、昨日は戻ってきてませんでしたね」 そう言って、低い壁に囲まれた小さな小屋のほうを指す。ロバが繋がれていたらしいところには糞が落ち、草が食べられた痕跡があるが、今は空っぽだ。  「異国人が、ロバなんて持ってたのか。ちょっとした資産家じゃねぇか」  「ペンタウェレさんも同じようなことを言ってましたが、メンフィスで売るつもりだったのかもしれませんよ。ここのところ、何度もメンフィスに通ってたみたいですし。」  「職業は? そいつも、農夫やってたのか」  「畑は耕していませんでしたね。街で職探しをしているんだと思ってました」 ウセルハトは、そう言ったあとで、ちょっと首を傾げた。  「ただ、ペンタウェレさんに”それとなく見張っとけ”とか言われて…。何か、気にしているみたいでしたね。見張ろうにも、戻って来ないんじゃあ何も出来ないですが」  「…んん?」 ネフェルカプタハのほうも、反対側に首を傾げる。  「ペンタウェレさんは、何でまた、一人暮らしの異国人なんて見張れっつったんだ」  「分かりません。元傭兵のようだった、って言ったら、急に顔つきが変わって。家の中を調べたりしていましたよ。で、絶対戦うな、とか、何かあったら知らせろー、とか…」  「…んー…。」 ちら、と小屋のほうを見やる。  「そいつ今までに、家に戻ってこないことって、あったのか?」  「いえ、ここに住むようになってからは、一度もないですね。夜には戻って来てました」  「てことは、いま居ないのが異常な気がするんだが」  「え?」  「行方をくらませた、とかじゃなきゃいいんだけどなあ。いや、なんとなくだけど」  「……。」 ウセルハトの顔色が、さーっと青ざめていくのに気がついて、ネフェルカプタハは思わず苦笑した。  「あー、いや。何となくそう思っただけだ、何となくな。冗談だって、さすがにそこまでの話じゃねぇだろ」  「そ、そうですよね」  (まあ、だといいんだけどな) 何かが引っかかる。特に、ペンタウェレが家の中を確かめていた、という話が気になった。  (ペンタウェレさんは、東の最前線で異国人相手に戦ってた人だ。その人が気に掛けるっつーことは、…何か、あるんじゃねえのか?) だが、もしも気のせいなら、この街のご近所関係に水を差すことになる。  余計なことは言わずに、ネフェルカプタハは、にこやかな顔を作って話題を切り替えた。  「ところで、この街の生活は、どうだ?」  しばし雑談をして、ウセルハトと別れたあと、彼は、予定を変更してメンフィスの市街地へまっすぐ戻ることにした。さっきの会話が、少し気になっていたのだ。  (ペンタウェレさんが何を気にしてたのかは、知りたいところだな) とはいえ、まさか、神官が州軍の詰め所をひょっこり訪問して直接聞くするわけにもいかない。チェティがいれば代わりに聞いてもらえるのだが、出張中で不在となれば、他の知り合いを通して尋ねてみるしかない。  (ジェフティさんは無理だしなあ。面倒だが、あいつの家に行ってみるか…。) チェティの許嫁・イウネトや、妹のメリトとも顔見知りなのだ。遠回りにはなるが、つてはある。  そう思いながら大神殿に通じる大通りを歩いていた時、向かいから小走りにやって来るイウネトと出くわした。  「あっ、カプタハさん! 良かった、探しに行こうと思ってたの」  「…ん? 俺を?」  「チェティさんに会いませんでしたか」 ネフェルカプタハは、きょとんとした顔になった。  「会ってねぇぞ。てか、あいつ、まだ出張中じゃなかったのか」  「今朝、戻ってきたんです。で、いちど家に顔を出して、わたしに、お義父様への伝言を渡して出かけたあと、まだ戻られていなくて…。てっきり、いつもみたいにカプタハさんのところへお話をしに行ったのかと」  「いや、来てねえな。俺も、いま街に戻ったとこだから、もしかしたら行き違いになったかもしんねえ」 もしチェティが話をしに来ていたなら、誰かに言伝を頼むか、ジェフティのところにでも居るのかもしれない。  「一緒に行こうか。大神殿のほうに来てるかもしんねえから」  「はい」 イウネトは、何か焦っているような様子だった。  「そういや、あいつの出張のほうは、何か分かったことがあるのか」  「詳しくは聞いていませんが、行方不明になっていた隊商の行方は分かったそうです。」  「ほう」  「それで、ロバ二頭分の積荷だけメンフィスに運ばれたかもしれない、って伝言に書いてあってて、大至急で調べてほしいってお義父様からチェティさんに伝えて欲しいと言われました。あっ、そうだ。ジェフティさんにも、同じことを言わないと」  「ロバ二頭ぶん…ロバ二頭…ん?」 何かが頭の端に引っかかる。つい最近、そんな話をしたような。  施薬所側から大神殿に入り、真っすぐに書庫の奥の筆写室に向かったネフェルカプタハは、イウネトを入り口に待たせておいて、先に自分が中へ入った。  「お邪魔しまっす。ジェフティさんは…っと、いたいた」 奥の自席で仕事をしていた青年が、顔を上げる。  「はい、何でしょうか」  「チェティが来てないかと思って。今朝、街に戻ってきてたみたいなんだけど」  「…いえ? 戻っていたことも知りませんでした。」  「んじゃ、特に言伝とかもナシか」  「そうですね。戻ったのなら、先に役所のほうに報告に行っているのでは」  「いや、それが違うらしいんだ。俺も詳しくは聞いてないんだけどさ、イウネトが外にいるから、ちょいと話してくれねぇかな」  「イウネトが?」 怪訝そうな顔をしながらも、ジェフティは仕事を中断して書庫の外へ出てきた。  「何か、あったのかい」  「あの、チェティさんにメリトのお友達がいなくなった件を話したんです。そうしたら、探しに行くと言ってくれて、わたしにお義父様への伝言の書かれた陶片を渡して、職人街に行かれて。」  「――メリトの友達って、石工の親方のところの子が行方不明になった件か」  「そうです」  「あー、それで、報告ほっぽりだしてそっちに行ったのか。あいつらしいなぁ」 ネフェルカプタハは、訳知り顔で頷いた。  「なら、どうせ、まだそのへん走り回って探してんだろ。手がかりがなけりゃ、夕方には戻ってくるんじゃねーか?」  「そう、でしょうか…。」 イウネトは、自信なさげな表情だ。  「お仕事の途中だったのに、余計なことを相談してしまったかも」  「チェティも、もう一人前の大人なんだ。仕事の優先度は自分で判断するだろう。報告のほうを端折ったということは、そっちは、今更どうにも出来ない内容だったんだろうね」  「はい。遠征隊の行方は分かって、荷物の大半は船で下流に送られてしまっていたそうなんです。ただ、ロバで二頭分の荷物だけが、おそらくメンフィスに運ばれたはずだと…。」 ぴく、とジェフティの表情が動いた。  「二頭分? それを運んだのは、誰だ」  「ええと…そうだ、遠征隊の護衛についていた、異国人風の護衛がロバを連れて上流へ向かったと、チェティさんは報告していたようです。行き先はメンフィスのはずだから、それを探す必要がある、って。お義父様から、ジェフティさんに、それを伝えてほしいって言われてたんです。もしかしたら、港のどこかに隠されているかもしれないから神殿の衛兵を使って探して欲しいって」  「……。」 しばしの沈黙のあと、ふいに声を上げたのは、ネフェルカプタハのほうだった。  「あーーッ?!」 ジェフティとイウネトが、驚いて顔を上げる。通りかかっていた他の神官たちも、びっくりして何事かと振り返った。  「いた! 怪しい奴、いたっつーか、さっきそこで、は、話し聞いた、ああああ…くっそー、気づくの今かよおおお」  「えっ? カプタハさん、ど、どうしたんですか?」  「心当たりがあるんですか?」 ジェフティだけは、すぐに冷静に戻っていた。ネフェルカプタハが奇声を発して頭を抱えるのは、何もこれが初めてというわけではない。むしろ、定期的に似たような場面に出くわしている。  「新しく出来た街だよ! 移民集めた街。あそこに、ロバを二頭連れた、なんか曰く有りげな異国人の元傭兵が住んでたんだよ~。ペンタウェレさんがウセルハトに警戒しとけって言ってたらしいんだけどさ、まさにそいつが、昨日から行方知れずだっつー話しをさっき聞いたばっかでさあ」  「…なるほど。」 ジェフティは、あごに手をやった。  「ペンタウェレはもう、そのことを?」  「まだ言ってねぇよ。つか、俺がこの格好で州兵の詰め所なんて顔出したら大騒ぎだろ。そんで、代わりに誰か行ってくんねえかなって帰ってくるとこだったんだよ」  「じゃあ、わたし、行ってきます」 イウネトが大きく頷いた。  「ペンタウェレさんにお伝えします。あと、チェティさんも探します」  「おう、すまねえ。頼んだ」 少女は、勢いよく駆け出していく。  それを見送りながら、ジェフティは、小さく溜息をついた。  「チェティは、悪い時に余計な厄介事に足をつっこみましたね。弟がいないと、連絡役が足りない」  「あー…まあな。いつもは、あいつがバタバタ走り回ってあっちとこっちを繋いでくれるから。でも、まあ、あいつらしいじゃん」  「そうですね」 自分のことは棚に上げても、目の前で困っている人や、受けた相談のほうを優先する。チェティは、そういう人間だ。  「んで? ジェフティさん、これからどこ調べるんだ」  「まずは、父の言う通り船着き場の通りを探索ですね。異国人の用心棒、ということなら、それらしい風貌の人間はすぐに見つかるでしょう。しかも先程の話からするに、移民の街に何食わぬ顔で住み着いていたのでしょう? それなら、ここ最近はメンフィスの街近辺に出没していたはずです。船乗りや旅人なら、そう長期間、頻繁に目撃されることもないはずですから絞り込めます。」  「なるほど。」  「もしもチェティが来たら、教えて下さい。」 そう言い残して、ジェフティは、大神殿の衛兵たちに指示を出すために急ぎ足で筆写室のほうへ戻って行った。  ネフェルカプタハには、ただ、待っていることしか出来なかった。  だが、そのうち会えるだろうと思われたチェティは、その日、全く姿を見せなかった。何かが起きていたことを知らされるのは、夕刻になってからのことだった。  「チェティさんが、戻って来ないんです」 再び大神殿にやってきたイウネトは、戸惑いを隠せない表情でネフェルカプタハにそう言った。  「それに、どこにもいませんでした。職人街のほうにも…途中まで一緒だったご近所のイウヘティブという方も、船着き場で別れたきりだと言ってて」  「おいおい、女の子だけじゃなくて、探しに行ったチェティまで行方不明だっつーのか? どうなってんだよ。」  「…そうですよね。…おかしいです」 イウネトは、服のすそをぎゅっと握りしめている。  「けど、事実なんだよな」 ネフェルカプタハも、真顔になっていた。  「ジェフティさんとこ行ってくる」 筆写室に向かって歩き出そうとした時、ちょうど、向こうからジェフティがやってくるのが見えた。  「あっ、ジェフティさん。ちょうど良かった、チェティが――」  「――居なくなった」  「え? 何で、それを…あっ」 ジェフティが手にしている、見慣れたかばんに気がついて、ネフェルカプタハは言葉を失った。  相棒がいつも肩から提げている、筆記具を入れた使い古しのかばんだ。見間違えるはずもない。  「哨戒中の衛兵から、倉庫街の隅で発見したものだと報告がありました。ちょうどペンタウェレも、その近くの倉庫を捜索しているようです。」  「イウヘティブさんと別れたのは、船着き場だったはずなんです。」 と、イウネト。  「なら、何かそこで手がかりを見つけて、厄介事に巻き込まれたっつーことか…? 倉庫街なんて、あんな人の多い所で、誰も何も見てないはずがない。何か知ってる奴が、いるはずだ」  「ええ。それを今、探させています」 ジェフティの表情には、滅多に見ない動揺の色が浮かんでいる。  「行方不明者の捜索は、州兵の仕事だ。イウネト、ペンタウェレは何か言っていたかい? チェティは、居なくなった女の子の捜索に出ていたはずだ。なぜ、倉庫街になんて立ち寄ったんだろう」  「ええと、分かりません…特に何も、聞いていないです…」  「……。」  「あの、き、聞いてきます。今すぐ…!」 駆け出そうとするイウネトを手で押し留め、彼は、きっぱりとした口調で言った。  「自分で行くよ」 と。
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