第4話 大神官と執政官

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第4話 大神官と執政官

 街で結婚式の行われていたその日、結婚式に欠席だったジェフティは、チェティの予想したとおり、大神殿側の書記として、大神官プタハヘテプに付き添って、州知事の代理人である執政官と対面していた。  対する州知事代行の執政官パイベスは、傍らに、議会書記としてジェフティの父セジェムを連れて来ていた。意図されたことにせよ、偶然にせよ、親子が相対する陣営の書記としてそれぞれ座っているのは、なんとも不思議な光景だった。  場所は、人目を避けるという意味合いで、大神殿の端にある客間の二階だ。  日々あまたの信者を受けいれている大神殿の敷地内なら、州政府の高官が出入りしていても不審がられることはなく、特にこの建物は、他の建物からは離れていて、誰かに盗み聞きされる心配もない。  二階への階段は執政官の連れてきた州兵と、大神殿の警備を担当する衛兵とがそれぞれ守っている。会議室にいるのも、必要最低限の人数だけ。  これは、内密の会議なのだった。――そう、少なくとも内容を公表する類いの話ではない。  最初に口を開いたのは、プタハへテプだった。  「州知事どのは、相変わらず公の場には出て来られないのですかな」 嫌味というよりは、確認といった意味合いの口調だった。  「呼び出しを受けて、王都に向かわれているのだ。それ以外の理由ではない」 不機嫌そうな表情でパイベスが答える。  「ほう――。州知事どのを直々に召喚とは、ただごとではありませんな。ご一緒されなくて宜しいのですか」  「私の秘書を同行させている。それに、州知事どが不在の間こそ州政治をつつがなく行うことが、執政官たる者の役目なのだ。時間が惜しい。本題に入ってもよろしいか」  「無論、構わない」 プタハヘテプが頷き、会話の主導権はパイベスのほうへと渡された。  「先日、資源を調達するために送った王の遠征隊が消息を絶った、という報せが入ってきた。オアシス(ウェハト)からメンフィスを通って首都イチィ・タウィに抜ける道の途上で、だ」 ぴく、とプタハテプの表情が動いた。  「バハレイヤ(ジェスジェス)へ繋がる、隊商の道か」  「そうだ。中央に属する政府直属軍の調査では、オアシスを発った時期は予定どおり、途中までは他の隊商の目撃情報もあり、この州に入るあたりで足取りが消えている、とのことだ」 ちら、とパイベスの視線がジェフティを見やる。  その視線を受けて、青年は口を開いた。  「…あの道は、メンフィスに入った直後、西の断崖と古い墓地を抜けます。単純に待ち伏せするなら、そこが一番、可能性が高いでしょうね。なるほど、つまりこの州の警備の不手際を指摘されているわけですか。何かが起きたのが州境界なら州兵の警備の穴を突かれたことになり、西の墓所であれば墓を警備する大神殿の責任範囲に入る」  「そういうことだ」 頷きながらも、パイベスはどこか面白くないという顔をしていた。  相変わらず、物分りが良すぎるのだ。二の話をしている時にはもう、八か九まで進んでいる。話は早いが、交渉相手としては最悪の類だ。  「州知事どのの呼び出しもその件というのであれば、早急に調査と解決が必要ですね」  「ふん、簡単に言う。そんな子どものお使いのような話なら、調査に入った政府軍がとっくに見つけておるわ」  「積荷と予定されていた旅程、調査に入った軍とやらについて、できる限り詳細な情報をいただけますか」 ジェフティの眼差しは、いささかも揺るがない。  「……。」 パイベスは、渋い顔をしながら隣のセジェムのほうを見やった。  「おい」  「畏まりました。」 何も知らない、ただ言われたとおりにしているだけのような顔をしながら、セジェムは巻物を取り出して、ジェフティの前に転がした。  「どうぞ、こちらを」 留め紐を解くと、中から簡素な地図が出てきた。黒い線が隊商の辿った道、赤字が目撃情報の確認された地点と日付。隊商の人数。積荷。  一目で、見慣れたセジェムの文字だと分かる。走り書きだが読みやすく、綺麗にまとめられている。おそらく、先に調査に入った隊の持っていたものを書き写したのだろう。  ざっと一瞥したジェフティは、すぐに必要な情報を探し当てた。  「――調達物品は王の埋葬準備のための資源。西の沙漠で採れる宝石類と顔料の材料となる鉱石…ですか。納入先は、メンフィスの街の工房…なるほど。それで首都ではなくメンフィスに直接、搬入しようとしてこの道を辿ったということですね。ロバ十頭編成となれば、それなりの量になるはずですが、それが消えたと。」  「その通りだ。そして、このご時世だ。中央政府は、この交易路も逆賊どもの手に落ちたのではないかと、気を揉んでいるらしい」  「……。」 ジェフティは目を上げて、傍らの大神殿の権威のほうを見やった。  「プタハヘテプ様。西の墓所の警備兵の配置を見直しても宜しいでしょうか」  「構わんが、どうする」  「この道は今使われている墓所ではなく、ほとんど使われていない古い墓所の側を通ります。具体的には、西の高台の岩窟墓の並ぶ辺りです。あの辺りも定期巡回の道に組み入れたいと思います」  「ふむ。」  「念の為、我々のほうでも該当地の現状の確認はしておきます。パイベスども、州軍側は治安維持部隊を動かすおつもりですよね?」  「む、…それは、…」  「沙漠との境界のような、危険の多い、街とは勝手の違う場所の哨戒に慣れた部隊は、他にいないでしょうし」 ますます苦い顔になりながら、パイベスは頷いた。  「そのつもりだ。あの部隊なら、たとえ沙漠で賊に出くわしても対処は慣れていようからな」 セジェムは、パイベスに見えないよう笑いを噛み殺している。  その部隊というのはまさに、セジェムの二人目の息子、つまりはジェフティの一つ年下の弟、ペンタウェレの率いる兵たちに他ならない。  ペンタウェレは半年まで、東の国境を越えた先の沙漠に居たのだ。もちろん、適任なのは異論が無かった。  「では、意見は一致しましたね。この件は協力して一刻も早く解決するに限ります。」  「うむ。州知事どののお立場を守るだけではなく、この州全体に降りかかる疑惑として速やかに払拭しなくてはならん」  「……。」 あまりに物わかりの良い交渉相手に、パイベスは、歯がみするしかなかった。  巧く大神殿にも責任があるのだと言いくるめられれば良かったのだが、そうはいかなかった。むしろ、協力してやるのだから有難く思えと言われている気がしたのだ。  会談は短時間で手早く終わり、にも関わらず、執政官は、すっきりしない気持ちで客間を後にした。  黙ってついてくるセジェムのほうを、じろりと睨む。  「お前は、黙っているだけだったな」  「後で話をすることにはなるでしょう。ジェフティなら、あの写しを見ればすぐに違和感に気づくでしょうからな」 セジェムは、いつもどおり、掴みどころのない笑みを浮かべている。  「先回りするおつもりなら、あの資料に欠けていた部分の調査をしたほうがよろしいかと存じます。」  「ふん。どういう内容か、言ってみろ」  「ロバではなく、商隊を構成していたのほうの素性ですな」 彼は、飄々とした口調で言う。  「西へゆく遠征隊ともなれば、それなりの人数になります。十頭のロバがいたなら、最低でも三人はロバ引きがいたはずですな。前後と真ん中。そして商隊の長。通常ならば、護衛の兵士も付けていたでしょう。それらが全て朝もやのように消え失せるなど、普通は在りえない。そう、何かがおかしい。単純に賊の襲撃があったなら、必ず痕跡は残ります。この遠征隊にはどこか、通常と異なる点があったのではないかと思いますな」  「…ふむ」  「とはいえ、この老体に調査はちと厳しい。議会書記の仕事もありますし、何より体力がもう、在りませんでなあ」 セジェムは、わざとらしく腰をさするような真似をした、  「もし執政官どのがお許し下さるなら、この件は、州役人をしている息子に代わりに調べさせようかと思いますが」  「貴殿はまた…そうやって仕事をするまいと…」  「いやあ、こういったことは現地を見るとかが必要でしょう。体力のある若い者のほうが、素早くことが運びます。それに――」 男の目に一瞬だけ、意味深な輝きが宿った。  「他の二人を巧く使いたいなら、チェティのほうが巧くやれるでしょう。あの子に何かあれば、兄たちは全力を出します。」  「……。」 ――それは、この件の調査に関わった者にが起きることを予見している言葉なのではないのか。  ふとそう思ったものの、パイベスは、敢えてそれを口には出さなかった。  まさか、この「いかにして仕事を回避するか」に人生を賭けているような男が、既に事件の真相を見抜いているなどとは思いたくはない。そんなことが出来るのは、全てを見通す神々の知恵でもなければ不可能だ。  「いいだろう。ただしセジェム、貴殿も知恵を貸すように。座っておれば話くらいは出来るだろう」  「勿論です。」 答えた時、男の笑みの奥に何か、底しれないものが蠢いた気がして、パイベスは思わず視線を逸した。  『私の出番など、無いほうがよろしいのです』 以前セジェムの言った言葉が、ふと、蘇ってきた。  今までに官民問わず多くの者と接してきたが、ここまで底の見えない人間は、他にはいなかった。  果たして、この男に何とか知恵を絞らせようと無理やり引っ張り出してきた自分の選択は正しかったのだろうかと、彼は、少し決断に揺らぎを感じ始めていた。
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