第5話 不可解な事件

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第5話 不可解な事件

 と、そんな出来事があったことを知ったのは、父と兄がそれぞれの職場から戻ってきた夕方のことだ。大神殿と役所、それぞれに勤めている者が一家の中にいるのだから、ある意味、話が早い。  夕食の席で、セジェムとジェフティはそれぞれに状況を説明し、持ち帰ってきた巻物をチェティに渡した。会談の場で、セジェムがジェフティに渡した、遠征隊の情報の書かれたものだ。  「確認してみます」 そう言って、チェティは巻物を広げて読み始めた。  好奇心の強い彼なら、餌を与えれば釣り上げるのは容易いものだと、父も兄も良く知っている。もとより、協力させるつもりで情報を与えているのだ。今回の件には、農閑期で仕事の手が空いているチェティも駆り出すつもりだった。  その間に、父と兄は、母や妹たちと雑談をしていた。話題は、今日の結婚式のことだ。  「結婚式に出られなくて残念だった。イウヘティブには後日、お祝いの品を届けておこう」  「うむ、そうするか。メリトや、結婚式は楽しかったかい?」  「うん! 花嫁さん、綺麗だった」  「おお、そうか、そうか。」 娘に甘い父は、末っ子の頭を撫でながら目を細めている。  対するチェティは、兄のジェフティから受け取った巻物を広げて、真剣に読みふけっていた。  もう日は暮れて、部屋の中には幾つかの小さな灯りで照らされているだけの闇の中だ。夕食は、結婚式で出された料理の残り。それも、先に戻っていたチェティたちは食べ終わり、先ほど戻ってきた二人だけが残りを平らげている。  雰囲気を察して、母がメリトに声をかけた。  「メリト、そろそろイウネトと一緒に寝室に上がりなさい。お父さんたちは、お仕事の話をしたいみたいだから」  「はーい。」  「それでは、お休みなさい」 チェティの隣にいたイウネトも、立ち上がった。  母は、一家の男たちのほうをちら見しながら、少女たちとともに二階の寝室へ上がっていく。  居間に残った三人は、顔を突き合わせたまま、しばし沈黙していた。  やがて、チェティが巻物を灯りの側に置いて、口を開いた。  「――珍しい道を使ってますね。行きは、隊商の道ではなく、首都からまっすぐ西へ湿地帯を突っ切っている…」  「気がついたか。」 干しブドウをつまみながら、セジェムは、にっと笑った。  通常、オアシス(ウェハト)への道は、メンフィスを起点として丘陵地帯の縁に沿うようにして西へ向かう。それが、古くからの隊商の道なのだ。なのに今回は、首都イチィ・タウィを出発したあと、湖沿いに西へ向かい、丘陵地帯に入る手前で隊商の道と合流している。 *本来の道0e64a0a3-eaea-47f5-8c78-7f7985be94b7 *今回辿ったとされる道32db9cd1-3525-4e16-b91b-551a82d1a8df  「私も、そこに違和感を覚えていた」 と、ジェフティ。  「いったんメンフィスを経由するのが面倒だったのかも知れないが、湖の北はほとんどが湿地帯だ。この季節、まだ川の水位も高い。湖の縁のぬかるみにロバの足を取られたり、ワニに出くわしたりする危険性を考えれば、この道は普通、選ばない」  「隊商には普通、ロバ引きを先導する道案内の親方が付きますよね。慣れていない親方が先導したのでは? それとも逆に、地元の、干拓地をよく知っているような親方が先導したとか。明日、街のロバ飼いのところを訪ねて聞いてみます。隊商の道を通ったのなら、メンフィスで案内人を雇った可能性が高いですし」  「うむ、うむ」 セジェムは、満足げに頷いている。つまりは、彼がやってほしいと思っていた、正解の答えを導き出したということだ。  「それにしても、出発は二ヶ月も前なんですね。この道の往復は、大抵、一ヶ月くらいじゃなかったですか? 予定日を大幅に過ぎて遠征隊が戻ってこないことを、今まで誰も不審に思っていなかったんでしょうか」  「考えにくいが、このところのごたごたで忘れていたか、優先順位が下がっていたのかもしれない。半年前に南のクシュ属領が独立した話も、ようやく届いたところだと言うから、国内の連絡網が巧く機能していないのかもしれないな」  「え、クシュが? 確か、執政官どのは以前、クシュ総督の副官をしてたんですよね。古巣がそんなことになって、心配されてるんじゃないですか」 ジェフティは、唇の端をかすかに歪めた。  「当時のクシュ総督も、守備隊も、もう居ないがな。皆、更迭または解雇された。ペンタウェレの居た東の砦と同じだよ。つまり、これは当然の結果だよ」  「……。」 まともに戦況を判断できる者も、妥当な命令を下せる者も居ないまま、家柄や血筋で決められた指揮官が大手を振って軍を壊滅させた挙げ句、支配権を失った――。  東の国境と同じ状況だったのなら、つまりは、そういうことなのだ。  「だが、国境守備隊が解散してくれたお陰で、ペンタウェレが戻って来てくれた。あいつの部隊は今回、西の州境界、隊商の道が沙漠から緑地に入るあたりを探索することになっている。ネズミ一匹でも見逃すことはないだろう」  「そうですね。」 何かと対立しがちだが、ジェフティのほうも、一つ年下の弟のことは認めているのだ。少なくとも、全く違う職業を選んだ今なら、異なる立場として距離を置いて接することも出来る。  「わしの出番は、無い方が助かるんだがなぁ」 それまで黙って聞いていたセジェムが、あぐらを書いたひざの上に頬杖をついて言った。  「ロバの骨、荷物の破片、争った跡。何でもいい、怪しい痕跡さえ見つかってくれれば楽だな。あとは単純に、”誰が襲ったのか”という話だけになる。問題は、何も出て来んかったときだ。で、わしは、多分そうなるような気がしている」  「父上、どういうことですか?」  「うん。まあ、そんな気がするだけだ。どうなるかは、お前たちの結果を見てからのお楽しみだな。はっはっは」  「……。」 チェティは、笑っている父の顔の皺を見つめた。  父はいつも、人に視えるはずのないずっと先のことを視ている。ほとんど直感か、天啓に近い才覚によって。  だが、曖昧なことや、まだ可能性しか見えていない内容は口にしない。曖昧に濁して言うだけだから、まるで、最初から何もかも知っていたかのように思われて、疑われるか、恐れられるかすることが多いのだ。  (父上の予感は、きっと当たる。だけど、何も見つからない…なんてことが、本当に在り得るのか?) チェティは、巻物に視線をやった。  ロバ十頭。ロバ引きと親方、護衛。もしかしたら他にも召使いや役人、会計係の書記などもいたかもしれない、どんなに少なく見積もっても十人以下ではないはずの商隊が、何度も使われてきた古来からの沙漠の道の帰路で、砂嵐の季節でもないのに、こつ然と消えてしまう。  そんなことは――普通なら、起こり得ないはずなのだが。
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