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第6話 それぞれの仕事
時間は、日が暮れる前に遡る。
執政官パイベスが大神殿を訪れたその日、会談を終えたその男が主神殿に礼拝して帰ってゆくのを、ネフェルカプタハは我関せずといった澄まし顔で見送っていた。
ただし、その実、内心では興味津々だった。
何しろ、彼の父親である大神官のことが嫌いで、直に会いに来ることなど無い男が、わざわざ正式に面会を申し込んできたのだ。州知事本人ではないにしろ、その腹心が一体なんの話を持ってきたのかと、内容が気になるのは当然のことだった。
それに、パイベスが連れてきていたのは、いつも連れている、どことなく頼りない秘書役の書記ではなく、幼馴染チェティの父だったから、尚更だ。
親友で相棒のチェティとは、書記学校時代の同級生だ。父親同士も、同じ初期学校に通っていた同級生。
旧知の仲だというのに、大神官と書記は、そんなことはおくびにも出さず、他人行儀な顔をして、それぞれの役目を演じていた。それもあって、気になったのだった。
パイベスが敷地を離れるのを見届けたあと、彼は、そそくさと裏に引っ込んで、父プタハヘテプのいるはずの客間へと向かった。
プタハヘテプは、まだジェフティとともにそこに残っていて、何やら難しい顔で言葉を交わしていた。
「親父、話しても大丈夫か?」
「ああ。丁度、お前にも話しておこうと思っていた」
好奇心旺盛な息子の性格を良く知っているプタハヘテプは、鷹揚に頷いて、ちらとジェフティに視線をやった。
それを受けて、彼のほうが口を開く。
「用件は、物資調達のためにオアシスに送った王の遠征隊が戻ってこない、というものでした。物資の納品先はこのメンフィスの工房で、消息を絶ったのは西の沙漠との州境界付近とのこと。つまりは、調査の協力依頼ですね。」
「うちに何か関係すんのか? それ。州軍だけで事足りるだろ」
「西には大神殿が管理する墓所が幾つもあります。その近くを通ったのなら、墓所の巡回兵が目撃情報を集められるかもしれません。もしくは、その近くで何がしかの犯行が行われたのなら、痕跡が残されている可能性もあります。」
「まあ、突っぱねる話でもない。わざわざ訪ねて来て協力を依頼されたのだからな。それに、何の連絡もなく州軍に墓所の近くを嗅ぎ回られるよりはマシだろう」
「んー、まあな。ま、どうせ、そういう面倒なこと任されるのってペンタウェレさんとこだろ。なら、知らない相手でもないし、やりやすいな」
ネフェルカプタハは、気楽なものだ。
「揉めごとじゃなくて良かったよ。王の遠征隊が行方不明っつーのは、ちょっと気になるけどな。」
「そうですね。盗賊の仕業、とも思えません。もしそうなら、もっと沙漠の奥地で襲うはずです」
ジェフティは、どこか物思わしげな顔をして呟いた。
「――では、プタハヘテプ様。私は、墓所の巡回兵の配備について考案しにいって参ります」
「うむ。頼んだ」
ジェフティが足早に客間を去っていったあと、プタハヘテプは、一緒に出ていこうとする息子の首根っこを、むんずと捕まえた。
「待て、カプタハ。お前にはまだ言うことがあるぞ。用事を頼みたい」
「えぇ? 何だよ、面倒だからヤダ」
「聞く前から断るな。まったく…。北に出来た、新しい街があるだろう。そこにもプタハ様の小神殿を建てるのだが、儀式はお前にやって貰いたい。」
「あっ、神像の魂入れの件か?」
「それだ。」
新しく神殿を建立した場合には、本神殿から神の精気を分霊して移す――という、複雑な手順の儀式が必要になる。神像が、ただの石や木から神気を帯びた神聖なものに変わる瞬間だ。高位神官にしか実行の許されない、責任重大な仕事でもある。
「移民の街への布教も兼ねているのだ、中途半端な奴は送り込めん。」
「俺は中途半端じゃねぇのか。」
「不良神官だが、半端ものではなかろう。ん?」
「はぁ…。もうちょい真面目な奴、指名すりゃいいのにさ。まあ、面白そうだからいいけど」
「行くのか?」
「新しい街、見てみたいしな。それに、出かけられるんだろ?」
返答を聞いて、プタハヘテプは思わず苦笑した。
一日がかりの大変な儀式だ。しかも、皆に見られている前で、手順ひとつの間違いも許されない、大変に緊張するはずのものである。それを、ネフェルカプタハは、緊張の欠片もなく、ただ「面白そう」という理由だけで気楽に受けようというのだ。
(経験を積ませるつもりだったのだが、度胸という部分だけは既に問題なさそうだな)
内心では頼もしく思いながらも、ここで褒めてしまえば調子に乗って大失敗するのが常なのだ。
プタハヘテプは、敢えて厳しい顔をしながら、厳粛な声で告げた。
「肝が座っているだけでは巧くいかんぞ。当日までに、しっかり準備して手順をおさらいしておきなさい。いいな」
「へーいへい」
気のない返事をして、ぷらぷらと部屋を出ていく若者を、プタハヘテプは溜め息まじりに、しかしどことなく期待を込めた眼差しで見送っていた。
――と、いう話を、ネフェルカプタハは、翌日、チェティと落ち合ったときに話した。
チェティとは、定期的に顔を合わせて雑談しているのだ。その日も、彼は役所から職人街へ移動する途中で会いに来てくれた。
驚いたことに、チェティも、同じ事件のことを知っていた。それどころか、これから聞き込みに行くのだという。
「え、あの事件、お前も調査すんの? 担当外なのに?」
「うん…。まあ、州の管理範囲内で失踪した人の調査だと思えば、確かに州役人の仕事ではあるんだけどね」
チェティの本来の仕事は、税収役人だ。それも、耕作地から徴税される、麦や亜麻などの作物が担当範囲。今となっては、その本来の仕事のほうが片手間になってしまっているのだが。
「居なくなったのって、王サマの雇った隊商だろ? 責任重大じゃん。つうか、一人で調査する話じゃねぇだろ、それ。」
「一応、父上が指揮を取ることになっているよ。で、その父上が、ぼくに依頼して来たってわけ。父上からは、とりあえず思いついたところ周って聞き込みして、詰まったら戻ってきなさいって言われてる」
「適当だなあ、お前んとこの親も…ま、確かに、事細かに指示出されるよりはやりやすいだろうけどさ」
チェティは、これから職人街の端にあるロバ引きの組合に行ってみるのだという。
確かに、やっていること自体は、いつも「首を突っ込んで」いる訴訟や厄介事の調査と変わらない。だが、元が、中央政府からの通達だったこと、既に政府軍――つまり王に直接仕える軍――の調査が行われた後に話が来ている。ということが気になった。
「なぁ、わざわざ州知事んとこに連絡来たってことは、王サマの部下の調査じゃあ、何も出てこなかった、っつぅことだよな?」
「え? うん、…そのはず。確かにそうだね」
チェティは、ちょっと首を傾げた。
「もしかして、ぼくは同じところに聞き込みに行くことになるのかな」
「わかんねえ。政府軍の兵士って、マジで兵士だけで探しに出たんなら、細かい聞き込みなんてせずに、隊商の辿った道を往復して見て回っただけかもしんねぇし」
「貰った資料には目撃情報も付いていたから、多分、聞き込みくらいはしたと思うんだけどな」
とはいえ、どこまで調べがついているのかまでは分からない。もしかしたら、メンフィスの街中での細かい聞き込みなどは手が回らずに、その先をこちらに丸投げしてきているだけなのかもしれない。
「なぁんか、良くない感じがするな…」
ネフェルカプタハはぼやいた。
「嫌な予感、っつぅかさ。この事件、ただの行方不明じゃなさそうな気がする。気をつけろよ、チェティ」
「うん、いつもとはちょっと依頼元が違うしね。それじゃ、進捗があったらまた来るよ」
笑って、チェティは大通りのほうに去っていく。
だがネフェルカプタハは、言いようのない不安のようなものに囚われていた。
(隊商が行方不明、っつぅのも妙だが、何で、わざわざ州知事んとこに依頼しに来たんだ?…)
腕組みをしたまま、うろうろとその場を歩き回る。
(セジェムさんも、ジェフティさんも関わってる。俺の出る幕なんて無い。けど…気になるな)
自主的に首を突っ込んだ事件でもなければ、大神殿に持ち込まれた訴訟にも関係していない。これは州役人としての正式な仕事なのだから、自分には関われない。というより、神官が興味本位でくっついていったら、逆に仕事の邪魔をしてしまう。
ただ、いつものようにチェティと一緒にいけないことが残念だった。
不安の正体が何なのか判然としないまま、彼は、そのことを恨めしく思っていた。
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