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第7話 戻らぬロバ引き
チェティは、聞き込みを職人街の端にあるロバ引きの組合から開始した。
陸路での運搬は常時ある仕事ではないため、常にロバを待機させているわけではないのだ。メンフィスを発着する陸路の商隊や物資の運搬は、この組合を通して、登録されているロバ飼いから必要な頭数とロバ引き人を集める調整をする。
国土の真ん中に大河が流れ、集落が張り巡らされた運河と水路で繋がるこの国では、荷物の運搬の大半は水運を使う。ロバを使う用途といえば、通常は、メンフィスの船着き場で卸された荷物を内陸の小さな町や村に送るとか、葬儀のための物資を西の墓地に輸送するとかいう近距離での使い方が一般的だ。
極稀に、さらに西のオアシス地帯まで遠征するような長旅もあるが、ほとんど例外のようなもので、実際には、そこまで人を送れるような財力があるのは、王か、その側近に限られる。
今回行方不明になったのも、まさに、王の仕立てたという隊商だった。
ロバ引きの組合は、メンフィスの街を囲む城壁の外にあり、目の前に郊外へ通じる道がある。
隊商などを雇った場合は、ここでロバ引きやロバたちと落合い、そのまま街の外へ出てゆくのだ。チェティも、何度かそんな光景を見たことがある。
陸路が多く使われるのは、川の水位が下がって多くの水路が使えなくなる播種季の終わりから暑熱季にかけて。今はまだ川の水位も高く、陸路の需要はほとんど無いから、組合も閑散として、留守番役らしい老婦人が葦の敷物を編みながら、通りで孫たちが遊んでいるのを眺めている。
チェティが話しかけたのは、そんな時だった。
「すいません。お伺いしたいことがあるんですか」
「おや、州役人さんじゃないか。」
老婦人はさっとチェティの格好を一瞥して職業を言い当てると、編んでいた敷物を傍らに放り出して、居住まいを正した。
「お役人さんが仕事の依頼とは珍しいねえ。一体、どういうご要件でしょう」
「あ、いえ。仕事の依頼というよりは、確認なんです。執政官どのからの依頼で、行方不明になった隊商の手がかりを探しているのですが」
とっさに執政官、という言葉を入れたのは、下っ端の役人だと思われると答えて貰えないかもしれないと思っただけではなく、この件がいつものお節介の延長ではなく「仕事」なのだと、自分で意識するためでもあった。
「二ヶ月ほど前に、バハレイヤに向けて出発したロバ十頭編成の遠征隊について、ご存知ありませんか。王の送ったものらしいのですが、予定通り戻って来ていないそうなのです。ここで雇われたロバ隊でしょうか」
「んん? 王って、本物の王サマかい? イチィ・タウィの?」
チェティは、思わず苦笑した。本来、王は一人だけなのだが、今に限っては、勝手に王を名乗って即位した二人目の人物がいるのだからややこしい。
「そうですよ。『二つの国』の王、首都におわすほうの陛下です。」
「うーん、そんな大きな依頼、入っていたかねえ…。ちょっとお待ちくださいね。台帳を調べて貰いますから。これ、セネブイ。セネブイ、居るかね。ちょっと、お役人さんが来てるんだよ、台帳を見ておくれでないかね」
老婦人は、奥に向かって誰かに呼びかけている。
その様子からして、彼女は王の隊長についても、戻ってこないロバ隊についても、何も聞いた覚えがないのだ。もしこの街でロバとロバ引きを雇っていたなら、とっくに大騒ぎになっているに違いない。そうでない以上、事前に予測された結果ではあった。
やがて、老婦人の代わりに壮年の男がひとり、受付に出てきた。
やはり同じようにチェティの格好と居住まいをさっと一瞥し、相手の名乗っている身分が偽りなさそうなのを確認してから、依頼の台帳である巻物を開く。
「お探しなのは、ロバ十頭編成の隊商だって? 出発は二ヶ月前ってことだよね」
「そうです。西のオアシスへ向かったはずなんですが。ただ、帰着予定はこのメンフィスですが、どういうわけか、出発地点は首都イチィ・タウィです」
「…首都発? それじゃ、たぶん、うちでは扱っていないなあ。うちは、メンフィス発着の手配だけだよ。ロバを飼ってる組合員はみんな、メンフィスの近くに住んでるからね。もし首都から出るにしても、ここから首都までの手配代は貰うし」
「では、メンフィス発で、ここ最近、オアシスに向かったロバはいますか?」
「うーん…それも、無さそうだな。あっち方面は、ここ半年は全然だよ。」
「そうですか」
それなら、王の遠征隊はどこか別の街でロバを調達したのかもしれない。それとも、王宮や首都でも、荷運び用のロバくらい飼っていて、それを使ったのか。
ただ、オアシスに向かう隊商の道は、メンフィスから繋がっているのだ。ロバの手配を首都のほうでやったにしても、西へ向かう街道に詳しい案内人は、首都ではそうそう見つからない。
そう思っていたとき、ちょうど、台帳をめくっていた男が声を上げた。
「あっ、そういえば、案内人だけ付けたやつがあったな?」
「案内人だけ?」
「ロバ引きにつける親方だよ、通常は。もう何度も西とここを往復してるから、沙漠の街道の道案内には長けてる熟練者だ。ロバは自前で用意するから、案内人だけ紹介してくれと言ってきた貴族がいた」
「ロバをつけずに斡旋することも、あるんですか?」
「滅多に無いが、今までに一度も無かったわけじゃあないな。ほれ、ここです」
男は、嘘はついていないと言わんばかりに、台帳の該当する箇所をチェティに見せて来た。彼は、素早くその箇所を記憶する。
(二ヶ月前の日付だ。依頼人の名前は、セヘティイブケル、親方シェシを雇用。期間は一ヶ月…)
もしかしたら、これが王の仕立てた遠征隊のことかしれない、とチェティは思った。
王家の依頼だからといって、依頼人自体が王の名前になっているはずはない。そんなことをすれば、神聖とされる王の名前が、あちこちの民間書類に書き散らされることになる。
書記の仕事では、王の名は決して間違えてはならず、うっかり滲ませるだけでも厳罰を与えられる。その神聖なる名が、こんなロバ引き組合の台帳などに出てくるはずもないのだ。もし王の遠征隊をここで雇ったのだったとしても、誰か、代理人の名前を使うのは当然だった。
だが、この貴族が手配したのが王の御用に使う案内人だったかどうかは、まだ、分からない。
「雇用されたシェシ親方というのは、もう、戻って来ているんですか」
「どうかな。ここは仲介所で、特にそのへんは管理していないんだ。延長や追加の依頼も在り得るし、そのへんは本人たちで交渉してもらってるんですよ。」
(なるほど。じゃあ、戻って来ていないとしても、気づいていない可能性はある…)
それに、もし戻って来ていて無関係だったとしても、雇われたのが、王の隊商の出発と時期と同じなら、どこかですれ違った可能性はある。
「その親方の、ご家族は? 自宅はどこにあるんですか。王の遠征隊を率いたんじゃないにしても、同じ時期に西へ向かったなら、目撃情報を確認したいんですが」
「すぐそこの村だよ。住所を教えよう」
「お願いします」
住所を教わると、チェティは、その足ですぐさま、シェシ親方の住むという郊外へと向かった。
そして、歩きだしてから、ふと気づく。
(あれ? この村って…)
どこかで見覚えのある村の名前だと思ったが、よく思い出してみると、何度か訪れたことのある場所だった。
そう、あそこには、いつも不機嫌な顔をしていた相続人――タァムシャトと、その子どもたちが暮らしているはずなのだった。
前回訪れたのは半年ほど前のことだったが、その程度の期間では、農村の様子など殆ど変わらない。
それでも、季節が移り変われば周辺の風景は変わる。
前に訪れた時には、刈り入れの終わった閑散とした畑だけが広がっていた村の周辺は、今は作物と草木の緑に覆われ、種蒔きの終わったあとののんびりとした空気が、辺りに漂っている。
村の入口ではちょうど、ロバに草を食べさせながら腰を下ろしている少年がいた。真剣な顔で石版を眺めている。
見覚えのある少年だ、と思いながら足を止めたその時、相手も、同時にこちらに気づいて顔を上げた。
「あれっ? もしかして、チェティ…さん?」
「やっぱり、ホリか。」
タァムシャトの息子で、セシェメトとヘヌトの弟。以前関わった、耕作権の相続に関する訴訟の時に知り合った。
少年は、明るい顔になって勢いよく立ち上がった。
「こんにちは! また会えるなんて思わなかった」
「久しぶりだね。何をしてたの、勉強みたいに見えたけど」
「うん、えっと、読み書きを習おうと思って、街の書記学校に通ってるんです。台帳が読めれば、稼ぎのいい仕事につけるから」
「そうなのか。偉いな」
褒められたホリは、浅黒く日焼けした顔で、にいっと笑った。
書記学校に通うからと言って、全員が書記になるわけではない。役所や神殿に務めるには、計算や、公文書の正式な言い回しや、歴史、文化、地名など広範囲な知識を必要とされる。
だが、単純な日常用語の読み書きと、複雑ではない計算を間違えずにこなせるだけでも、多くの場合で仕事の役に立つ。帳簿をつけるだけなら、日常的な単語と数字が分かっていればいいのだ。それを習得するには、ほんの数年、学校に通うだけでも良い。
ホリのように、高級な官職を目指さない街の子供たちは、だいたい十歳くらいに書記学校にやって来る。そして、三年か四年程度の実用一般の教育課程を受けて、十五歳までには学校を出ていくのだ。たった数年の勉強でも、技術を習得してさえいれば、雇い手も給料もぐっと増える。
「で、今日はどんな御用ですか?」
「ロバ引きの親方で、シェシさんという人を探しに来たんだ。聞きたいことがあって。住んでるところを知ってる?」
「うん、知ってます。でも…」
少年は、心配そうな顔になった。
「また訴訟ですか?」
「違うよ。行方不明になった隊商と同じ頃に同じ道を通ってそうだったから、話を聞きたくて。…まさか、その人も行方不明になってたりしないよね?」
「まさか。でも、最近見かけてないな。いつも仕事であちこち出かけてるから、どこに居るかは聞いてみないと分からないです。案内しますよ」
少年は、ロバを引いて意気揚々と歩き出した。小さな村だ。確かに、この村なら、住民の誰かが行方不明になったりすれば、すぐに噂は広まるだろう。
「ここです。息子さん夫婦と一緒に住んでます」
少し歩いたところでホリは足を止め、入口をチェティに示した。家の脇にはロバ小屋があり、五頭ばかりのロバが、畑の畦に生えた草をもりもりと食べている。畑に生えた麦の芽は食べないよう、縄の長さを調整してあるのだ。
「すいません、どなたかいらっしゃいますか」
「はい?」
奥から、若い女性が顔を出した。手や膝が粉だらけなところを見ると、粉挽きをしていたらしい。
「シェシさんの居場所を教えて欲しいんです。二ヶ月ほど前に、シェシさんが同行した隊商について聞きたくて」
「え、お義父さんの? …ええと、でも、今、ここにはいません」
女性は、うろたえた様子で目の前の若い役人と、後ろに立っているホリとを見比べる。
そして、迷った挙げ句に、顔見知りのホリのほうに話しかけた。
「ホリ、この人は知り合い?」
「うん、前にお世話になったお役人さんだよ。さっきそこで会って、シェシおじさんに話を聞きたいっていうから、案内したんだ」
「困ったわね。そろそろ帰ってくるはずなんだけど、まだオアシスにいるのよね」
「――えっ? まだ?」
チェティは、思わず驚きの声を漏らしていた。隊商を率いた道案内人が、「まだ」戻っていない? 出発したのは二ヶ月も前だというのに、一体、どういうことなのだろう。
「そうなの。一ヶ月くらい前に、怪我をしたから戻りが遅れるって手紙が来てね。大した怪我じゃないけど、旅は出来ないから一ヶ月療養してから戻る、って…。」
「手紙は、他の隊商が届けてくれたんですか。間違いなく本人の字でしたか?」
「そう、でも隊商じゃなく旅人っぽかったな。偶然出会って手紙を預かってきた、みたいな感じのこと言ってた。本人の手紙かって? 勿論、間違うわけ無いわ。あんな汚い字、他の人じゃあ真似出来ないもの」
そう言って、女性は苦笑した。
「手紙は夫が読んでくれて、横で聞いてたの。骨折したか、骨にヒビが入ったかしたみたい。それで歩けないんだって言ってた。手紙の確認が必要ですか?」
「もし可能なら。…で、手紙は一通だけなんですよね」
「そうなの。そろそろ戻ってきてくれないと、心配になるわね。ちょっと待ってて」
女性は、手紙を探しに家の奥へと向かう。
戻って来るのを待ちながら、チェティは、考え込んでしまった。
もし手紙のとおりなら、隊商は、わざわざ雇った案内人をオアシスに置き去りにして帰路を辿ったことになる。案内人なしで戻れると思っていたのか? それとも、オアシスで別の案内人を見つけたか、他の隊商に相乗り出来たのか? …少なくとも、シェシ親方の今の居場所は、確認しなくてはならない。
「手紙、あったわ」
さっきの女性が戻ってきた。
「ありがとうございます。」
受け取ったのは、もう何度も書き直された、ボロ切れのような紙の端だった。確かに悪筆で、掠れてほとんど読めない文字だが、確かに「怪我した、胸の骨 ロバに乗ると痛む ひと月療養予定 心配いらぬ シェシ」と、単語だけの簡素な手紙が読み取れる。
「内容は、先程聞いたとおりですね。ひと月療養する、とありました。…こちら、お返しします。ありがとうございました」
「大丈夫よね? 何もないわよね」
「そのはずです。ただ、最近、隊商がひとつ行方不明になっていて、その行方を探している最中なんです。シェシさんが同行した隊商と同じ頃に出発したはずなので、話を聞きたかったのですが…。参考までに、今回の旅でシェシさんが同行した隊商では、どういう道を辿るとか、どんな荷物を運ぶとか、聞いた覚えはありますか」
「え? えーっと…確か、貴族の人に雇われたはずよ。で、ロバもロバ引きも、その貴族の人が用意するって話で、身一つで出かけてったの。いつもの道のはずよ。いつも通り、戻りは半月か一ヶ月先になるって言ってたから」
(斡旋所で聞いた話と同じだ。台帳とも矛盾はない)
ならば、シェシは確かに、貴族の仕立てた隊商と一緒に出かけたはずなのだ。あとは、その貴族の隊商が、無事に戻ってきているかどうかだけが気になった。
「お話を聞けて助かりました。念の為に確認なんですが、”セヘティイブケル”という名前に聞き覚えは、ありませんか?」
「え、いえ…」
「そうですか。」
雇い主の貴族の名前も聞き覚えがない。斡旋所で手に入った手がかりは、ここで途切れた。
「他の隊商のほうも当たってみます。お手数おかけしました」
女性にお礼を言って、チェティは、シェシの家をあとにした。後ろを、ホリがついてくる。
ふと、チェティは思いついて、念の為に少年に頼んだ。
「ホリ、もしシェシさんから連絡があったり、戻ってきたりしたら、役人の詰め所に連絡を貰えないかな?」
「うん、いいよ。そのくらい。」
「ありがとう。助かるよ」
「行方不明になった隊商、早く見つかるといいね」
ホリ少年と村の入口で別れ、街のほうへ向かって歩き出しながら、チェティは、人知れず眉を寄せていた。
――いまだ戻らないロバ引きの親方。ロバもロバ引きも自分で準備した貴族。
何か、胡散臭さがある。シェシは本当に、突発的な事故で怪我をして家に戻れていないだけ
なのだろうか?
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