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第8話 時間という制約
最初の手がかりは途切れた。とはいえ、分かったこともある。
チェティは、いったん州役人の役所に戻った。行き先は、いつも居る詰め所ではなく、議会の入っている建物のほうだ。父セジェムに報告に行くつもりだった。
その途中で、ちょうど、次兄のペンタウェレとばったり出くわした。
「あれ、兄さん」
「おう。お前のほうも父さんとこか。」
疲れた様子はないが、履物の汚れ具合からして、西の郊外まで出かけていたらしい。足の早いペンタウェレのことだ、朝一番に出かけて、既にざっと隊商の道の出入り口くらいは調べてきたのだろう。
「その様子だと、お前のほうも手がかりナシっぽいな」
「『も』って。兄さんは、何を調べて来たんですか」
「それを、今から父さんに報告する」
州議会に併設された書庫に入っていくと、いつもそこにいる老齢の書記が、一瞬、びくっとなった。
「あ、ああ。何だ、セジェムさんとこの息子さんか。…軍人さんが来ると、びっくりするよ」
「んなこと言われましても。執政官どのだって元は軍人でしょう。お邪魔しますよ」
ずかずかと奥に入っていくペンタウェレの後ろから、チェティが、申し訳無さそうに軽く会釈しながら続く。老書記は、その様子を不思議そうに眺めていた。
セジェムは、書庫の奥の方でのんびりと何か書類を手繰っていた。
「父さん」
「ん? どうした、お前たち。もう戻って来たのか」
「そりゃ、やり方がまずいと分かれば見切りつけますよ。やみくもにかけずり回って、時間を無駄にするのもバカバカしい」
ペンタウェレは、そう言って肩をすくめた。
「隊商の道の出入り口まで行ってみたんですがね。丘陵地帯に入った先は、ありゃあ、だだっ広いただの砂の平原じゃないですか。あんなもん、高台に立ってざっと一瞥すりゃあ、それで終わりですよ。何の手がかりもなしに砂の中を探し回ってちゃ、あっという間に十年くらい経っちまいますよ」
「ふむ。ということは、見てすぐ分かるような異常は無かったんだな」
「無いっすね。ていうか西の方の墓所、最近まで移民が住み着いてたらしいじゃないですか。彼らが何も見聞きしてなかったんなら、何も無いですよ。まあ、明日、念の為に新しく出来た街に移住した連中にも話は聞きに行きますが…多分、手がかりは無いでしょうね」
「チェティは、どうだった」
「ぼくのほうも、手がかりは途切れました。ちょうど二ヶ月前、ロバと、ロバ引きは自前で用意して、道案内の親方だけを雇った貴族がいたそうなんです。その隊商の詳細までは分かっていません。ただ、その親方はどうも、途中で怪我をして、療養するという手紙を家族に送ったっきり、まだ戻って来て居ないそうなんです」
「ほう」
ペンタウェレのほうが反応した。
「てことは、その親方が本当にオアシスに居るかどうか、人をやって確かめたほうが良さそうだな。もし、その人が行方不明になった王の遠征隊の先導役なら、帰り道は道案内無しだったせいで迷った、とかいう話かもしれん」
「そうですね。もしくは、別の道案内を雇ったかもしれませんが、確認は必要だと思います」
「よし。そっちは、うちの部下を向かわせる。で? その、貴族ってのは、どこの誰なんだ」
「仲介所には、名前しか残っていませんでした。セヘティイブケル、という名です」
「…うん?」
何故かセジェムのほうが、奇妙な声を上げた。
「セヘティイブケル…セへティイブケル…? 貴族と言ったな。確かに貴族なのか、裕福な商人などではなく」
「そこまでは確認していませんが、ロバ引き組合の受付は、数多くの客を見てきているぶん、客の職業や身分は一目で当ててきますね。貴族本人ではなく誰か人を遣わせたにしても、仕事を引き受けた時に怪しいと思ったら、そう言ったと思います。何か、不審な点がありますか?」
「うむ。そんな名前の貴族は、記憶に無いんだよなぁ」
「……。」
チェティとペンタウェレは、顔を見合わせた。
もちろん二人は、父の驚異的な記憶力は良く知っている。暇な時に読んだ書類の中身を全部暗暗証するとか、会議に出席していた数十人の名前を記録もとらずに全て覚えて帰って来るとか、そんなことは朝飯前だ。
他の誰かならともかく、父の記憶に無いというのなら、今まで一度も言及されたことのない名前なのに違いない。
「貴族以外でも、商人にもそんな名前の者は覚えがない。これは中々、面白くなってきたな」
「どこか遠くの州から来た貴族か、もしくは、偽名ってことですかね」
と、ペンタウェレ。
「最近、改名したとかかも。せめて容姿が分かればいいんですが、組合で仲介を依頼したのは二ヶ月も前ですし、望み薄ですね」
「どうせ、依頼したのは執事とか、代理人だろうしな。」
だが、いずれにしても、シェシ親方を雇った貴族は、一筋縄ではいかない相手のようだった。
「…そうだ、もしかしたら街の工房なら何か知っている人がいるかも」
考え込んでいたチェティは、ふと、思いついた。
「工房? ああそうか、工房に依頼を出したことがあるかもってことか」
「うん。この州だけじゃない、近隣の州の貴族なら、一度もメンフィスの工房に発注したことが無い、なんてことは無いはずだ」
貴族ともなれば、何かと高級な品が入り用になる。装飾品、家具、衣類、家の飾りつけ、もちろん墓や副葬品も。
そうした工芸品、調度品、芸術品の類いで最高品質のものが手に入るのは、創造神プタハを守護者にいただくこのメンフィスの街の他には無い。あらゆる種類の工房がある上に、王家御用達の工房さえ揃っている。
遠来の貴族にせよ、偽名や改名にせよ、同じ名前で発注を出したことがあれば、何かを知っている職人が、何処かにいるに違いない。
「んじゃ、オレは部下をオアシスに送るのと、新しい街のほうに聞き込みに行くのを担当する。チェティ、お前は工房の聞き込みだな」
「うん。何か分かったら、また相談するよ」
「バハレイヤまで往復するなら、どんなに急いでも二週間はかかる」
セジェムが、のんびりとした口調で言う。
「結果を待つのも長い。ペンタウェレ、新しい『白い城壁』の警備は問題ないな?」
「へ?」
部屋を出て行きかけていたペンタウェレが足を止め、振り返る。
「そりゃ勿論、部隊全員動かしたりしてませんよ。北の建設現場、西の隊商の道の出入り口、東の船着き場。州境界の警備は普段通り配備して報告は受けてますよ」
「なら、大いに結構。調査に注力しすぎて、足元を掬われんようにな。」
「……? ええ、承知しました」
ペンタウェレは、首を傾げながら出てゆく。
「それと、チェティ」
セジェムは、兄と同じ顔で首を傾げながら、まだその場に留まっていたチェティのほうに向かっても、予言めいた台詞を与えた。
「工房の調査に行くなら、ついでに、ジェフティのところへも寄っていくといい。あいつも、別の方向から調査をしているはずだぞ」
「あ、そうですね。分かりました、状況を共有してきます」
「うむ」
頷いて、それきり父は、黙ってしまった。
考え事をしているのだろう。はたから見ると居眠りを始めたようにしか見えないが、目を半分閉じて、頭の中のことに集中している。
(父上は、一体、何を心配しているんだろう…?)
書庫をあとにしながら、チェティは、いつになく協力的な父の態度に、少し戸惑いを覚えていた、
いつもなら、分かっていても何も助言せず、自分で考えて行動しろと言って見守るだけのはずだ。そして、もし何かしくじったとしても、あとから間違えたところを簡潔に指摘するに留めるはずだった。
それなのに今回は最初から、調査の方向性が合っていることを確かめながら、できる限り正しい手順を踏ませようとしているように思えた。
まるで、正解にたどり着くための道が危険だらけで、失敗出来ないものだとでもいうような。
否――
(多分、”時間”だ)
中心街に向かって歩きながら、チェティは、さっき父が何気なく口にした言葉を思い出してた。
『結果を待つのも長い』。
この事件はきっと、時間をかければ、おのずと答えが明らかになるようなものなのだ。
けれど、最良の結果のためには、それでは遅すぎる。父が何を予測しているにしろ、そういうことなのだろう。
この季節の日暮れは早く、既に日は西の方角へ向かって傾きつつある。チェティは歩調を早め、大神殿の書庫の奥、長兄のいるはずの筆写室を目指して歩いていった。
筆写室を覗くと、ジェフティはいつもの自席にいて、何か書類を作成していた。
「失礼します、兄上。父上からの伝言があって来ました」
顔を上げたジェフティは、弟の顔つきを見やって、何の件か察したようだった。
「少しだけ待っていてくれ。これを書き上げたら、場所を移そう」
「はい」
その様子からして、筆写室にいる他の書記たちには、昨日の執政官の訪問が何の件だったのかは公表されていないらしかった。
もっとも、内容が内容だ。調査が進むまでは、妙な噂が立つのは避けたいというのも当然だった。
さらさらと書類の最後まで筆を進めて自分の名前を記録してから、ジェフティは、席を立ち、部下に指示を出した。
「エムウイア、そこの書類の墨が乾いたらプタハヘテプ様のところへお持ちしてくれ」
「かしこまりました」
そして、チェティがついてきているのを横目に確かめてから、筆写室の奥の、重要書類の詰まっている書庫へ入っていく。
そこに入れるのは一部の上級書記だけで、入り口は、ジェフティの席のすぐ後ろにある。用が無ければ、誰も入ってくることは無い。
木製の扉を閉ざしてから、ジェフティは、ようやく口を開いた。
「その様子だと、何も見つからなかったというよりは、望ましくない手がかりが見つかったんだな」
「ええ、まあ…。何が起きているのかはさっぱりなんですが」
チェティは、さっき父のところで報告した内容と、分かったこと、これから調査に向かう先をジェフティに告げた。
「なるほど。父上の記憶に無い貴族に、オアシスから戻っていない道案内人、か。その、セヘティイブケルという名前が大神殿の寄進記録に載っているかは、私も調べてみよう」
「そうか、寄進記録…確かに、貴族なら神殿への寄進という可能性もありますよね」
神殿における寄進記録は、いわば会計簿でもある。
たとえ遠方に住んでいても、貴族なら、一度くらいは権威のある神殿にまとまった額の品を贈っているかもしれない。
ましてや、このメンフィス大神殿の主神は冥界神プタハだ。身内の葬儀や、何か祈願したいことがあって、記録が残っている可能性もある。
「ただ、寄進の場合に偽名を使うことはない。もし、その貴族が使っているのが偽名なら、記録には無いかも知れないな」
「そうですね。…ところで、兄上のほうは、何か分かりましたか? 西の墓所の巡回を少し変えたんですよね」
「ああ。ペンタウェレの部隊と警備範囲は一部かぶるだろうが、高台のあたりの古い墓所も回らせるようにした。もしペンタウェレのほうが人手不足なら、大神殿の墓守り兵だけでも構わない」
「人手不足? …」
チェティは、眉を寄せて、ちょっと首を傾げた。
「ん、どうした。」
「いえ、父上が、ペンタウェレ兄さんに言ってたことを思い出したんです。『調査に注力しすぎて、足元を掬われんように』って。それで、兄さんは、北の城壁も、西も、東の船着き場も、いつもどおり警備している、って答えていました。」
「それは、そうだろう。調査にかまけて、普段の守備範囲をないがしろにするわけにはいかないのだから。」
「そうか。…確かに」
ということは、ジェフティも、セジェムと同じことを考えていたのだ。特別な調査依頼が入ったからといって、既存の警備が手薄になることは避けなければならない、と。
「それよりチェティ、また何か分かったら、いつでも訪ねて来てくれ。ペンタウェレのほうの動きも知っておきたい」
「はい、それは、もちろん」
ペンタウェレとジェフティでは、直接、情報交換をするのが難しいのだ。顔を合わせれば余計なことを言って諍いが始まるし、どちらも素直に話をしたがらないから、結局、チェティが仲介をするのが一番早い。
「――そういえば」
書庫を出ていこうとするチェティに、ジェフティが声を掛ける。
「ネフェルカプタハ様は、北に新しく出来た街に作られた、プタハ様の小神殿に儀式に行くことになったそうだ。しばらくは、その準備でお忙しいはず。あまり邪魔をして差し上げないように」
「あっ、そうなんだ。じゃあ、もし見かけたら、頑張れって伝えておいてくれますか」
「わかった」
兄は微笑んで、頷いた。
日は、既に西の方角へ傾きつつある。この季節の日暮れは、早いのだ。
(そろそろ戻らないと、宿舎の門限に間に合わないな)
大神殿をあとにしたチェティは、急ぎ足に、北街へ向かう道を辿っていった。
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