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プロローグ
一体自分が何をしただろうか。
膨れ上がった右の瞼。半分ほどしかない視界に、ぼんやりと映る古びた倉庫の錆び付いた天井を眺めながら、そう少年は考えた。
ビール瓶で殴りつけられ、血が溢れるそこを何度も踏みつけられた左目は、もはや開くことさえできない。首を少しでも動かそうとすれば内側にステンレスの鋭い爪の付いた大型犬用の首輪が食い込むも、首輪の下の皮膚はすでに爪で何度も抉られたため化膿し、黄色の膿が腐敗臭のようなものを発していた。
首輪はチェーンで頭上の先にあるパイプに繋がれ、凍てつくような寒さの中、少年は何の衣服も身につけてはいなかった。
もう一度、自身に問いかける。
(一体僕が、何をしただろう……)
まるで走馬灯のように、十八年分の思い出が頭の中を駆け巡る。どこを見ても父と母、それに双方の祖父母や友人達に囲まれ、平凡な毎日を送る幸せな自分がいた。
それが崩壊したのはあの日。受験勉強の息抜きに友人達と遊びに行った帰り。夜も遅い時間だったので、同じ方向だった女の子を家まで送り届けた後のことだ。
近道しようと人気のない路地裏を歩いていると、前方から携帯を操作しながら若い男が歩いて来た。狭い道だったので男に当たらないようにと身体を退いたが、男が道の真ん中を歩いていた事もあり、すれ違い際に軽く肩が当たった。
「すみません」と軽く頭を下げて通り過ぎようとしたが男は言いがかりをつけてきて、胸倉を掴まれたかと思うとみぞおちを殴られた。今まで暴力とは無縁の世界で生きてきた身体は容易に地面へと倒れ込み、抵抗する手段を持たない少年は、そのまま男からの暴行を受け続けることしかできなかった。
男が呼んだ仲間と共に車で運ばれ、この倉庫に連れてこられてからは、地獄の日々が始まった。殴る蹴るはもちろん、素手で殴ると手が痛いと、金属バットやその辺に落ちている鉄パイプで殴打、タバコの火を押し付けられ、ライターオイルを太ももに垂らされ火を点け。泣きながら火を消そうと身をよじる姿に笑い声を上げ、陰毛も燃やされた。拷問ごっこだと手足の爪を剥ぎ取り、卑猥な質問をされ答えなければそこに唐辛子のペーストを塗りこんで靴で踏みつけ、気を失ったら水をかける。どれだけ泣き叫びやめてくれと懇願しても、男たちは延々とそれを繰り返した。
全身を支配しているはずの痛みさえ、もう何もわからない。寒さに凍える身体を両手で抱きしめる気力も体力もない。きっともうすぐ助けが来てくれるはずだという淡い期待は、二人の父親がそれなりの権力者であると知った時から消え失せてしまった。
脳裏に浮かぶ父と母の姿。それに、
「送ってくれてありがとう。また明日ね」
自分の姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り見送ってくれていた彼女の姿を思いだし、温かなものが頬を滑り落ちる。――それでも、願わずにはいられなかった。
扉が開く音が聞こえ、少年の身体が固く強張る。コンクリートの上を金属バットが引き摺られる音に恐怖が身体を支配し、震えが止まらない。
来ないでくれ、止めてくれ、許してくれ。それができないのなら――
(いっその事、殺してくれ)
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