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運転席に回り、中に乗り込む。エンジンをかけ、小さい子の間で流行っているというアニメの曲をかけると、子供は嬉しそうに絵本から顔を上げた。
「僕その曲大好き」
「それはよかった」
「ねえ、ママも好きだよね」
隣に座るもの言わぬ母親を揺さぶる子供。
「あれ、ママ寝てる?」
閉じた瞼に、子供はそう判断したようだった。
「なら、ママを起こさないように静かにしないとね」
「うん」
しーっと、こちらに向けて口元に人差し指を立てる子供の愛らしさに胸が痛む。もしあの子が殺されなければ、今頃自分にもこんなにかわいい孫がいたのだろうか。あの子と、あの子が選んだ女性と孫に囲まれ、幸せな人生を送っていたのだろうか。そう思うと、あの男達が、そしてこの何の罪もない幼い子供が憎くてたまらなかった。
グローブボックスから黒いジャケットを取り出す。代わりに着ていた制服の上着とネクタイ、それに帽子を放り込んだ。ジャケットを羽織る姿に、子供が不思議そうな顔を向ける。
「お巡りさん、なんでお着替えしてるの?」
「悪いやつに見つからないようにするためだよ」
「悪いやつ?」
「悪いやつに見つからないように、坊やのお父さんとお祖父ちゃんのところに辿り着かないといけないんだ。だから坊やも、頭の帽子は外してくれるかい?」
「うん」
素直に帽子を外した子供に「いい子だね」とリンゴジュースを渡すと、大喜びで受け取った。後部座席の扉をロックし、車を発進させる。ジュースの中には睡眠薬が入っているが、味に違和感はないのか美味しそうに飲んでいる。
車が子供の通っていた幼稚園の前を通り過ぎる。カトリック系の幼稚園なのだろう。その隣には小さな教会が建っていた。
「坊やは神様を信じるかい?」
「うん」
何の迷いもなく、子供は自分の言葉に頷いた。
「お巡りさんはね、神様は信じてないんだ」
「どうして?」
「神様はね、お巡りさんの一番大切な人を助けてくれなかったんだ。でもね、そんなお巡りさんの前に天使……いや、女神が来たんだ」
「女神様?」
驚いたように目を丸くする子供。
子供の仇を取ってくれるだけでなく、彼女は自分に知恵と、それに必要な道具、果ては最後の終止符を打つチャンスまで用意してくれた。感謝してもしきれない。彼女は、私にとっての救いの女神なのだ。
息子の仇を取ってくれたと、涙ながらに感謝していた妻を思い出す。自分が捕まると、妻は天涯孤独になる。三人の思い出が残るあの家で、二人でいた時よりもはるかに辛い孤独と悲しみに涙を流しながら過ごすことになるだろう。それが、自分を欺いていた妻への罰だ。
「ねえねえ、僕も女神様に会える?」
子供の問いかけに、「会えるよ」と青い信号にアクセルを踏み込みながら答えた。
「女神様にも神様にも。君の手は、まだ真っ白いきれいなままだから。きっともうすぐ、迎えに来てくれるはずだよ、全弥君」
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