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 天ぷらを突きながら、近況をお互いに話しだしたころ、 「北迫さんて、どの人だい」  勝川を(たて)に伸ばしたような顔をした兄がこちらを振り向いた。 「いやね、弟が『一番の友達だった』と言ってたんだよ。  へえ、そうか。  弟がお世話になりました」  北迫を訪ねてすっ飛んで来たものの、何を言ったらいいのか分からなくなった、という(てい)だった。 「脳腫瘍でね。  医者から余命宣告を受けていたんだ。  最期の手術を受ける前に、身体が動くうちに素晴らしい絵を見られて良かった、と言っていたよ」  などと言われたが「一番の友達」という部分が腑に落ちなかった。  一緒に遊びに行ったこともないし、高校時代1年間同じクラスになっただけである。  彼には悪いが、心当たりがないのだ。  故人に対して、異を唱えるのも場違いだしその場を取り繕うように、 「亡くなる直前に書いた手紙を受け取りました」  と言うと、内ポケットに忍ばせていた封筒を取り出した。 「これは貴重な遺品ですから、お持ちください。  コピーを取ってあります」  兄はその場で中身を取り出した。 「強く生きてくれ、と書いてありました。  友達と言っても、馴れ合いのない間柄です。  彼らしい言葉でした」  胸にぎゅっと封筒を押し付けるようにした兄は、深々と頭を下げて立ち去った。 「しかし、司法試験受かったんだってな。  凄いよなあ。  闘病しながらだぞ」  誰かが呟くように言った。  本当に頭が下がる。  死の床にあっても勉強しようとする、高潔な精神に。
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