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一、藍と萌黄
天下井が周防という男をようやく認識したのは、予科二年目の年の暮れ、兵科発表のときだった。
同期生の誰もが、周防の兵科配属について驚きを隠さず口々に噂をする。他人にほとんど関心のない天下井も、このときはさすがに気になった。
――周防は輜重科だそうだ。あの優秀な周防が。
――砲兵科に行くとばかり思っていた。
――あるいは歩兵科から師団長を目指すのかと。
――輜重科には自分で志願したそうだぞ。
――命が惜しくなったか。
――やはり中学組の覚悟はその程度ということだ。
周防とはどんな奴だっただろう。
天下井は彼の顔を思い浮かべようとした。しかしふだんから同期生でさえ顔も覚えぬほど淡白なつきあいで、まして周防のような「中学組」の連中とはいささか距離があった。だからこのときも、「あいつかなあ」と、おぼろげにしか思い出せなかった。
天下井はいつも自分を取り巻いている「幼年組」の同期生に尋ねてみた。
「周防という奴が輜重科を志願するのは、そんなに突飛なことなのか」
同期生たちは一斉にあきれた顔をして天下井を見た。
「天下井、貴様はとうとう周防のことすら知らずに予科を卒業するんだな。周防といえば有名だぞ」
「そうなのか」
「学業優秀、身体強健。中学組のくせに要領もよくて、何があっても顔色ひとつ変えない」
「ほう」
「とにかく頭が切れるんだ。だから当然、砲兵科に行くのだとばかり思っていた」
「頭がいい奴は、砲兵科を志願するのか」
「天下井……」
同期生たちはもはや憐れみの表情になった。「未来の将校たるもの、もっと己や同志の志望に敏感になれ」「貴様の父上が騎兵大佐だからといってそれにあぐらをかいていると、じきに中学組に出し抜かれるぞ」などと言いながら天下井の肩をたたき去っていく。
周防という奴は、なぜ輜重科を志望したのだろう。
誰もがあえて選ぼうとは思わぬ、兵站などという後方支援の地味な兵科を。
天下井はにわかに興味をひかれた。
(つづく)
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