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二、理由
天下井の矜持は、人とは違ったところにある。
求められれば、相手が誰であれ抗わない。
執着することもない。
天下井がそんな淡白な態度をとり続けたために、鬱屈した噂はひそやかに、どこまでも広がった。上官の部屋に呼ばれて身体を撫でまわされるなどいつものことで、同期生の下宿や実家に誘われてごろごろするうちに他愛もない接合に発展することもあれば、人目につかない暗がりで抱きすくめられ、相手の顔もわからないまま一瞬のうちに熱塊を押し込まれることもあった。
天下井はそれらの行為についてどうとも思わなかった。
女旱の狭い世界、候補生どうしのふざけた接触に、ねんごろな情の通いあいなどあるわけもない。「男を抱いてみたい」という興味本位の衝動があるだけだ。天下井自身も、女を抱くより男にされるがままになっているほうが気楽でよかった。それに相手の手技によっては、あんがい悪くないこともある。
いっぽうで、天下井を稚児や念弟のように扱いたがる上官や上級生に対しては、きっぱりと拒絶した。関係をもったあとで湿っぽく言い寄られるのはごめんだ。単純な衝動に身をゆだねるのと、約に縛られるのは違う。誰かに束縛されるなど、天下井の矜持が許さなかった。
しかし周防と交わったあと、天下井は彼のことが忘れられなくなった。
遠い久留米の地へ配属されていった周防のことが頭から離れない。これではまるで周防に束縛されているようなものではないか。天下井は自身の思いがけない感情の変化に苛々した。東京の騎馬大隊で隊付になっているあいだ、天下井は自分に腹をたてながら、半年後の本科入学を――周防との再会を――悶々と待ち望んだ。そして現実に周防の顔を見たらもう我慢できなかった。
天下井はなぜ、こんなにも周防のことが忘れられなかったのか。
こうして周防にふたたび抱かれてみるとその答えはすぐにわかった。
周防の挙動は無骨でそっけない。しかし動物的な衝動という言葉でかたづけてしまうには、あまりにも濃やかだった。彼は天下井の身体に、何かを刻みつけるように律動する。
質量の大きな、重たいものが、狭いところに容赦なく食い込んでくる。
それが熱くて痛い。
しかしこの暴力的な熱と痛みこそ、周防を忘れられなくなった理由だった。
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