2人が本棚に入れています
本棚に追加
赤子の泣く声で目覚めた私は、瞬時に降りるべき駅を寝過ごしてしまったのだと悟る。
最近観た映画の舞台となった場所が隣県にあると知り、早起きして珍しく髪も巻いて意気込んでいたのに一気に冷めてしまった。どうしようかとため息をついたその時、突然視界が鮮やかになった。
桜だ。
そういえば今年はまだ桜をちゃんと見ていなかった。
バスが停車したので慌てて立ち上がる。今日は花見だ。
降車して、すぐ目の前にある旧守公園というところへ早足で向かう。花は逃げないけれど少しでも早く春を味わいたかった。
旧守公園はバスの窓から見えた通り満開の桜で彩られ、多くの花見客で賑わっていた。桜のアーチができている並木道を浮かれた足取りで進む。
花より団子で愉快に宴会をする人たちを見て、小さい頃を思い出した。十歳くらいまでは家族四人で毎年お花見をしていた。大きなレジャーシートを広げて、面倒くさがりなお母さんが気合を入れて作った料理が詰まった重箱をみんなで囲んで、ジュースを飲んで。決して家族仲が悪くなったわけでないけれど、私や妹が反抗期を通ったり家族よりも友人と出かけることが多くなったりして、いつの間にか家族で花見をすることはなくなっていた。私はこの春から高校三年で、妹は一年になる。もうとっくに反抗期は過ぎているし、家族と出かけることに恥ずかしさを感じる歳でもないだろう。
久しぶりに、家族でお花見もいいかもしれない。
全く知らない場所なのにどこか懐かしく感じるのはきっと、桜が馴染み深い花であるからだろう。
ふと、落ちた花びらで桜色に染められた池にかかる小さな橋が視界に入った。辺りは騒がしいのに、耳をすませずとも確かに聞こえてくる。橋の上に立つ一人の男性が口ずさんでいる歌が。
私はこの歌を知っている。
涙と落つるは今日の関
雨と降るは明日の関
移りゆけども また
めぐり逢うを見倣さんと
この花明り 消え返ることなし
最初のコメントを投稿しよう!