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しかし、そう簡単に奇跡は起きてくれなかった。クリスマスイブの花見から二十日後、絵美は静かに逝ってしまった。
絵美の棺の中に、俺は折り紙の桜と花くす玉を入れた。
葬儀後しばらくは、手続きなどで忙しくて悲しみや寂しさを感じる時間は少なかった。──いや、敢えて気づかないふりをしていたのかもしれない。
しかし忙しさはいつまでも続かない。四十九日が過ぎる頃には、絵美がいなくなってしまった現実と向き合わなければいけない時間が増えてきた。
──絵美にとって、俺とともに歩んだ人生は本当に満足いくものだっただろうか?
俺はそんなことを幾度となく反芻しては落ち込んでいた。
そんな時、絵美がよく眺めていたアルバムの裏に何か書いてあることに気づいた。
***
新太へ
たくさんの桜をありがとう。
うれしかった。
***
弱々しくはあったが、見慣れた絵美の字がそこにあった。
「絵美……」
俺は次から次へと溢れてくる涙を止めることができなかった。
***
ある朝、咲弥が登校した後に出勤準備をしていると、テレビから『桜の開花はいつぐらいになりそうでしょうか?』と楽しい声が聞こえてきた。
「あぁ、もうそんな時期か……」
俺はリビングの棚に置いた絵美の写真に目をやる。穏やかに微笑む絵美の写真の前には、持ち主のいなくなった結婚指輪が寂しげに置いてあった。
「絵美、もうすぐ桜が咲く季節らしいぞ」
俺は呟くように写真に話しかけた。当然、返事なんてない。
「花見、行きたいか?」
写真の中の絵美は微笑んだまま。
「……俺は行きたくない」
俺は口の中で小さく呟き、写真から視線を外らした。
***
俺の気持ちとは裏腹に、テレビでは日に日に桜の話題が増えていく。
朝、咲弥と食事をしている時だった。テレビから、明るい声が響いてきた。
『咲いている花は3輪ですね。もう少しで咲きそうな花も沢山あるので、おそらく今日には開花宣言が出ると思います』
リポーターが嬉しそうに中継をしていた。毎日毎日……皆、浮かれやがって……。明るいリポーターの声に苛立ちを感じていたその時、咲弥が話しかけてきた。
「父さん、今年も桜が咲いたらあの道に行くよね?」
“あの道“とは近所の500メートルに渡って桜並木が続く市道のことだ。車は少なく、歩道が広く整備されているので、桜の季節は近隣の人たちのお花見スポットとして有名だ。毎年、桜の時期には家族で散歩に行っていた道。
「……そうだな……」
さすがに、子供相手に『行きたくない』なんて言えなかった。でも、週末は雨が降ればいいのに…と考えてしまう。
そんな俺の気持ちなんて知らない咲弥が、顔をパッと明るくした。
「じゃあ、母さんも連れて行こうね!」
「……あぁ、母さんもきっと喜ぶな」
咲弥の笑顔に罪悪感を感じ、胸が痛んだ。いつまでも立ち止まったままではいけない。それはわかっているのだが、まるで暗闇に迷い込んだかのように、どうしたらいいのか分からないのだ。
俺は小さく溜息をついた。
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