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罪と野獣と美女と罰 第三話
次のディベートにと果奈が提示した議題は、『七不思議の取捨選択』であった。
少子化と過疎化の波状攻撃を受けてはいるものの、ご多分に漏れずこの学校でも七不思議は有志たちの手で代々継承されていたらしい。
果奈は先日、校庭の巨木に色付く『なにか』を嗅ぎつけた。
不思議、不可思議。
不可解、奇怪、奇々怪々。
とまれかくまれ、果奈の大好物である。
そしてその謎に対する果奈の感情は彼女のおいたわしいシナプスを経由して、僕たちを巻き込んで一切合切暴いてしまえ!
という結論に帰着したのだ。部活にかこつけて。
『気に食わないわ』
『なにが?』
『七不思議よ。この学校の七不思議。偉そうに不思議界の頂点にふんぞりかえって、あらゆる変化を拒絶してるのよ。まるで因業老人ね。豪腹よ』
『そんなお前はキレる若者みたいだな。どこに喧嘩売ってんだよいきなり。テトリスみたいな前髪しやがって』
『そう、私は頭の切れる若者、その筆頭よ。故に私は皆を代表しここに宣言します。七不思議の世代交代を……ってえ? 今前髪テトリスって言った? それ悪口? なに口?』
そんないちゃもん然としたプロローグを経て、ここに七不思議対巨木の不思議という構図が完成した……はずだったのだが。
「なにがどうして八不思議なんだ?」
餅は餅屋。オカルトならオカルト研究会ということでオカ研の根城に単身で突撃してきた里々。僕と果奈は校庭でいたずらに時間を過ごしただけだったが、こいつはどうやら僕らの分まで余計なものを持ってきてしまったようだ。
「あのね、オカ研で七不思議を担当してるオナ太郎くんって人が言ってたんだけど」
「それ絶対、直太郎くんだろ。世界で一番逆にしちゃいけないとこだわ。どんな願いが込められた名前だよ」
「別に何太郎でもいいけど、その人が口元べちゃべちゃにしながら色々話してくれたの。この学校には本当は七不思議じゃなくて八不思議があるんですー、って」
「お前悪口絡めないと説明もできないのか?」
「悪口じゃないもん、誇張だもん。そんでね、途中まではウチも頑張って聞いてたんだけど、結局なに言ってるか全然わからなかったから紙にまとめてもらったの」
「直太郎くん一人にやらすなよ。せめて手伝え」
こいつに頼られて断れるような人間はいないんだから、頼み事をする際は気を使えとあれほど言ってあったのに。
「一人じゃないよ? 催眠術担当のにょう助くんって人がちょろちょろ手伝ってたもん」
「尿だけにってか? そしてそれ多分、良助くんだからな? 後で菓子折り持ってけ」
「えーやだよっ。お菓子は貰うもんだもん。それににょう助くん、ウチからはなにも受け取らないのら、って言ってたよ? 『本来なら対価を頂くところなのらが、君だけは特別にロハで教えてあげるのら』って、口の端から泡吹きながら」
「そんな奴いねーよ!」
「いたんだもん。『致死量』って書いてあるタンクトップ着て、肩に人形乗せてたんだもん」
「もうそいつ一人で七不思議こなせるんじゃない!?」
コタツの上に身を乗り出し、肩を入れてツッコミを決める。
どこまでも失礼な女だが、これが不問に付されるほどの愛嬌と人懐っこさを備えてるんだからタチが悪い。
底抜けのスマイルと、壁を作らない性格。顔に傷があろうとスネに傷があろうと誰とでも対等に接して何事も一所懸命にこなす里々は、その見た目も相まって我が校の名物的存在である。
オカルト研究会の面々は今頃、里々に仕込む惚れ薬でも調合してるだろうよ。
「ふむふむ、ほう。あ、くっせ。むっ?」
僕と里々のやりとりをよそに、とうに件の紙切れに目を通していた果奈。
「なにか引っかかるか?」
老眼を患っているかのように目一杯距離を離したり、クリスマス前の折り込みチラシを見るような距離感だったりで紙切れと向き合う果奈。一見すまし顔に思えるが、抑えきれない興奮は口角にしっかりと表れていた。
どうやら、欲しいおもちゃは見つかったらしい。
読み終わって裏返しにされた紙が二枚コタツに置いてあるから、果奈が今読んでるのと合わせると計三枚。意外とびっしり書き込まれてるようで直太郎くんの苦労がうかがえる。
「うーんそうね……」
なぜかナイフを舐める雑魚の表情で指を舐ってから、読み終わった紙をパラパラして再度さらっと目を通し始める果奈。里々はというと、お茶をぐびぐび携帯ぴこぴこで一仕事終えた感を醸し出している。今気づいたけど、毛先の色が昨日と違う。緑だ。
「二つ……いや、一つね」
主語もなく再度口を開いた果奈。フランス式に指を立てるもんだから、親指をぐっと立ててキメ顔してる奴みたいになっている。
いや、これ実際にキメ顔してるわ。イケると思って指に顔を合わせてきやがった。
「一つってなにが?」
「巨木が孕む謎の対抗馬よ」
「八不思議もあんのに対抗馬一頭だけ? それじゃあレースにならないだろ」
「あのね、空音。私たちの目的はディベートなの。二つの派閥に分かれて話し合うんだから、一対一で丁度良いじゃない。タイマン上等よ。なんだぁ? おめーもしかしてビビってんのか?」
脈絡なく、後半で口調をヤンキーに変貌させて下唇を突き出す果奈。
「お前ほんとなんでもありだよな」
呆れた風に答え、目尻に寄るしわを隠すようにして額を押さえる。
昨日までの宝物が今日はゴミ箱に入っているくらいに、果奈はブレる。しっかりとブレて、どっぷりと浸かる。
宝探しに馳せ参じ、宝箱を発見したら中身も見ずに帰るのが果奈なら、テレビゲームを頑なにワープなどの近道を利用してクリアするのも果奈。流されやすくて感化されやすい彼女の情緒は、今はどうやら過程より結果を求める位置にブレ着いてるようだ。
「にしても、一つしかないのかぁ……」
急に寂しくなり、果奈の細い指をぼんやりと見つめながら呟く。
調査対象が減るのは僕としてはちょっとつまらなくて、もっと回り道というか獣道を仲良く闊歩したい気もするんだけど。
「仕方ないじゃない。七不思議にもね、必要欠くべかざるものってのがあるのよ。トイレの花子さん然り、動く人体標本然りね」
「必要欠くべかざるもの?」
「えぇ。形式美と言い換えてもいいわ。古き良きテンプレートよ」
要するに、なくてはならないお約束的なことだろうか。こいつお約束とかベタとか大好きだもんな。
「で、そのテンプレがなんだっての」
「だからね、その子たちは七不思議から除外する訳にはいかないの。ひとまずこれ、読んでみて」
差し出された紙切れ三枚を受け取り、ご丁寧に何色ものペンを駆使してまとめ上げてくれた直太郎くんに謝意を覚えつつ、言われた通りに黙読する。
岸高八不思議と題された、果奈のヨダレのせいで今さっきヤギから奪ってきたかのように湿った紙切れ。右上に陣取るワンポイントのアニメキャラが気になるものの、ぱっと見た限りとても綺麗にまとまっている。それぞれの不思議が太線で囲われており、タイトルは大きく、その下に詳細が付属する読みやすいスタイルだった。
『トイレの花子さん』
『ピアノが鳴り響く音楽室』
『踊る人体標本』
『三階の十三階段』
『廊下の足音』
『開かずの体育倉庫』
『人食いの木』
『赤い服の少女』
うん、八個ある。八不思議だ。
どれもこれもどこかで聞いたような題材。この学校に縁のありそうなタイトルは『人食いの木』くらいのものか。やっぱり巨木に関する七不思議はすでに存在してたんだな。
直太郎くんによると、『幾度となく伐採の話が挙がったものの、その度に人死にが出て計画が頓挫してきた』とのこと。さらに物騒なことに、『根を裂けば足に、幹を傷つければ胴に、枝を折れば腕に災いが降りかかる。死に至る。ヤバい』なんて脅しめいた文言も添えられている。死に至る病みたいに書きやがって。
でもまぁ、超自然的な力が働いてそれが最悪の形で作用するだなんて、少し手垢のついたきらいはあるけどまさしく果奈好みの話だろう。
「対抗馬ってのは、この人食いの木ってやつか?」
「違うわよ」
空の缶コーヒーをコタツの上で転がす果奈が、事もなげに吐き捨てる。
「違うの?」
「あのね、空音。よしんばあの木に人を美味しく食べた過去があったとしても、私にとってはそんなの不思議でもなんでもないの。だって、今まであの木はなんにも匂わなかったんだもの」
簡単なこともできない幼子に話しかけているかのように、果奈の顔は優しく見えた。
「過去にあの木が人を食べていたかもしれないというその物語は、とっくに完結してるの。今となっては嘘か本当かもわからないけど、そんなのはどっちだっていいのよ。だって私、中古で解決済みの謎なんて願い下げだもの」
そこまで言うとわざとらしく髪をバサッと掻き上げた果奈は、
「それは私の物語じゃないわ」
と偉そうに締め括った。
歪んだ恋愛観を語るが如く上から目線で高飛車に謎を切り捨てる果奈。変わらず柔らかい表情ではあるが、それ故に若干病んで見える。
「じゃあお前が最近感じ始めた巨木からのよからぬ匂いは、ここにある『人食いの木』とやらとは関係ないってことだな?」
「言い切れはしないけど……うん、きっと違うわよ。うん。うんうんうん」
スイカも割れるくらいに高速でアゴを上下に動かす果奈。
誰に聞いたところではっきりとした答えの出ない果奈の異常嗅覚。僕はいつからかすっかり信じてるけど、それが一体どんな能力で一体どんな感覚なのかは本人ですら説明は難しいみたいだ。
そもそも、じゃんけんのルールすらまともに解説できないくらいに理路整然と対立してるこいつだから、特殊な能力の説明なんて土台無茶な話なんだけど。
「巨木のあの匂いは、ある日突然発生したのよ。そう、確かあれは朝に地震があった日だわ。あの日は散々だったからよく覚えてる。歯磨きをしてて、ブラシじゃなくて顔の方を動かして磨いたら面白いんじゃないかって試してた時、地震にびっくりして首を痛めたのよね」
「お前も苦労してるんだな……」
花の女子高生が、一体どこに心血注いでるんだよ。
「あの日突然、木に生りだしたのよ。謎の果実がね」
「え、もしかしてだけどはてにゃんそれって、『木に生りだした』と『気になりだした』かかってんの? わやいとおかし!」
携帯をいじってたと思ったら、目を覆いたくなる果奈のユーモアに独特のレスポンスを投げる里々。それはかかってるんじゃない、後から歪に溶接されてるだけだ。
思い立ったら即発言という果奈のモットー。これじゃあただの悪癖だけど、当の本人は満更でもないといった様子で、感心気味の里々と「もっとひねれたかもしれないわね」などとニッコニコで感想戦を繰り広げている。
さすがに今のは駄作じゃないか? 笑いの沸点低すぎるだろ。頭のなか山頂かよ。
僕の冷めた視線なんて意に介さず、コタツの上で手を取り合って仲良しを爆発させる二人。
丸ごとバカだ。仲の良さがお互いの成長を阻害しあってるんじゃないだろうか。
「はぁ……」
目の前で戯れる二人をあらためて見比べてみると、謎解きが大好きでボケ倒しが手に負えない以外は本当に共通点の乏しい二人のように思う。
果奈のあだっぽい黒髪と、ミルクを垂らしたように艶めく白い肌。華奢な体はそのミステリアスな瞳を一層妖しく輝かせている。端的に言えば、とんでもなく美人。
片や里々の柔らかく光る金髪。チョコレートを塗りつけたように黒光りする柔肌。同年代男子の平均身長を優に越える長身は豊満で、この世の全ての女性らしさを体現している。有り体に言えば、とんでもなくエロい。
だがこいつらの浮いた話はとんと聞かない。
そりゃあ入学式で突然、『今って西暦何年ですか!? ここって西暦何年ですか!?』なんて、タイムトラベルしてきた人というわかりにくいマネを武器に友達を作ろうとしてた果奈や、校則違反をコレクションしてるのかってくらいに全身で常識を否定し、壇上で噛み噛みになりながら挨拶を務める校長に向かって、『噛みすぎだろっ! ホルモンでも食べてんのかいっ!』と軽口を叩いた里々だから、お近づきになろうとしても尻込んでしまうのは理解できるけど。
広く浅くが信条の里々と、ヒドく深くが信条の果奈。
そもそもこいつらにまともな恋ができるのだろうか。まぁ、そんな二人のことが死ぬほど大好きだなんて思ってる僕が言えた義理じゃないのかもしれないけど。
脱線したな。話を戻そう。
「じゃあどれなんだ? 対抗馬」
「え、おうまさん?」
里々の、相手を選ばぬ底なしの母性にほだされすっかりふやけた様子の果奈。ついさっきまで話していたはずの話題がなぜか不意をついた形となって、果奈のぱちくり顔を誘い出した。
「はてにゃんほらアレだよ、八不思議の中で気になったっていうやつ」
果奈の耳元で厚めの唇が動く。
すると、すぐにもう片方の薄い唇がゆっくりとこちらに向いて、
「赤い服の少女よ」
コタツの上で繋がれていた二人の手がほどかれると、白くて細い指先が一枚の紙切れをトントンと指し示した。
『赤い服の少女』
この紙によると、
『逆立ちトマト、譲り合うゾンビなどと揶揄される無様なトレーニングを終えて、逃げるように窓際にへばりつく少年。こき下ろす監督の声を遠ざける程度の星空が見えればと雪の舞う空をすがるように見上げた彼は、視界の端に赤を見た。
目を凝らすとそれは、校門で一人佇む赤い服を着た小さな女の子であった。
しばし見惚れて立ち尽くしていた彼だったが、耄碌した監督に見つかるとすぐに、引きずられる形でまた別の団体トレーニングへと組み込まれていった。
数時間後、モダン蘊蓄を軽視した多種多様なトレーニングを終えて再び窓の外に精神の逃げ場を求めた彼は、筋肉疲労も手伝って、ストン、と腰を抜かした。壁掛けの時計であれから数時間が経過していることを確認すると、彼はもはや立ち上がることすらままならないといった風に体を震わせる。
彼は見たのだ。息も凍てつく寒空の下、赤い服の少女が、数時間前と変わらぬ様相でじっとこちらを見上げているのを』
だそうだ。
「ずいぶんしっかりしてるな。七不思議というより小説の一節みたいだよ。それに、怪談みたいでもある」
赤という色はどうしたって血の色を想起させる。陳腐な言い回しと言ってしまえばそれまでだが、怪談としては確立された表現方法だろう。
「七不思議も怪談も元は一つよ。もちろん謎もね」
知った風に口を開く果奈だが、事実、経験値は相当のものだろう。僕の知らない頃から謎や不思議だなんて輩とはツーカーだっただろうから、一家言あるのも頷ける。そのせいか、数字を見れば暗号だと決めてかかるくらいに頭はヤラレてしまったけど。 不思議も謎も元は一つ。僕にはそれがどういうことか知る由もないが、きっと科学と魔法の関係性みたいなものではないだろうかと思った。
「でもさ、これのなにが気になるんだ? 匂うのか?」
「匂うといえば匂うんだけど」
柄にもなく歯切れの悪い果奈が、指で口をムッと持ち上げ思案顔を披露する。
「どう表現すればいいのかしら。例えば……そうね。ブランド物のソーサー、お皿の上に、偽物のコーヒーカップが置かれてるみたいな匂い、って言えば伝わるかしら」
伝わるはずがなかった。
果奈は感覚も感性もズレてるんだ。上にズレてるのか下にズレてるのか、はたまた斜めにズレてるのかはわからないけど。
「そのコーヒーカップとやらにはなにが入ってるんだ?」
「中身は空よ」
禅問答かよ。
「とにかく、根っこの匂いが巨木のそれと同質ってことよ。だからね、空音。私たちが今扱うべきはこの『赤い服の少女』なの。他の不思議はポイね。音楽室やトイレにはなんにも感じないもの。トイレの花子さんて、もちろん女子トイレに住んでいるのよね?」
共通の友人であるかの如く花子さんの所在を確認してくる果奈。
「それは……そうなんじゃないか? 男なのに花子って名前を付けられて自殺した霊だとしたらわからんけど、そんな悲しい話はここには書いてないぞ」
直太郎くんのメモを読んでも奥から二番目の個室という情報があるだけで、何階のどのトイレかには触れられていなかった。言わなくてもわかるだろうというベテランの貫禄、あるいは怠慢なのだろうか。
「なら問題ないわね。この学校の女子トイレだったら全部、ネオ生徒会を潰したあの時期に里々ちゃんとチェック済みだもの」
「ネオ生徒会!?」
「えぇ。それこそ、裏顧問を倒した時に職員用のトイレまで調べてあるから、抜かりはないわ」
「裏顧問!?」
馴染みのないダサい言葉がコタツの上を飛び交う。
こいつら人知れずなにやってんだ? そしてなんでそんな面白そうなイベントに僕は関わってないんだ?
「あ、懐かしいねそれ! あの時のはてにゃんったらトイレでクンクンクンクンしてさ、わやきゃわわ!」
突拍子もない武勇伝を回顧して声を弾ませる里々。
トイレでクンクンしてる奴のどこが可愛いのかは定かでないが、嫉妬してしまうくらい仲が良いことは痛いほど伝わってきた。
「それで赤い服の少女を調べるって、今度はどこでクンクンするんだ?」
気を取り直して、話を本筋へ押し込む。
「え? クンクンどころか、特になにもしないわよ」
「なにもしないの!?」
僕の大袈裟な驚きように、コタツに置かれた里々の携帯電話も飛び跳ねる。
「えぇ。だって私たちはもう謎の尻尾を掴んだのだから、あとはただ待つだけなの。お紅茶片手に高いびきよ」
「はてにゃん器用! わやえんなり!」
目をキラキラさせ、僕の知識の外にある言葉を用いた感想を漏らす里々。僕の勉強不足なのかはたまた里々の勉強超過なのかはわからないけど、いずれにせよツッコミを入れることは叶わなかった。
しかし拍子抜けだ。巨木や校門の前で、先生に怒られるまでキャンプするくらいのつもりでいたんだけどな。もちろん三人で。
「でも本当にいいのか? そんな体たらくで。活動実績ないと部費減らすって言われてんだぞ」
ただでさえ立場の低い部活なんだ。活動下限ギリギリの部員しか揃わず、顧問に至っては袖の下を駆使してしぶしぶ引き受けさせて以来、部室に顔を出すなんてのはおろか、口出しの一つすらしたことがないという始末。
部室を取り上げられるなんて話が持ち上がった日には、それこそ後世に不思議として語り継がれるくらいの騒ぎを僕は起こしかねないぞ。
「大丈夫よ。こういうのは知ってしまえばそれまでなの。特に私の場合はね。きっとすぐに謎の方からこちらにべったりと張り付いてきて、気づいた時には私たちの周りをくるくる回ってるわよ」
トンボを捕まえるときみたいに、両手の人差し指を僕に向けてくるくると回す果奈。ぞっとしないはずなのに、楽しそうでなによりだ。
「謎が寄ってきたところで、解くのはほぼほぼ僕と里々だけどな」
肩透かしを食ったように気が抜けてしまい、思考がそのまま口に出る。
「仕方ないじゃない。私はただの謎寄せパンダ。そしていざ謎を前にした私は、ガラスケースに入ったバナナを見つめる猿よ。でもバナナはどうしても食べたいの。匂いはするんだもの」
悲しい事実だった。
物語の名探偵となるには、必要不可欠な条件が二つある。
一つは、行く先々で事件に先回られる不運、あるいは幸運。そしてもう一つは、圧倒的な推理力。
果奈はその推理力が突き抜けて欠落している。事件だけはめったやたらに引き寄せておいて、それに対処する能力はてんで備わっていない。天は二物を与えずとは言うものの、普通そこはセット販売のはずだろうに。
「はてにゃんほんと抜けてるもんね。こないだなんて、昼休みにウチが教えた雑学を放課後にドヤ顔でウチに披露してきたもん」
それもう抜けてるってレベルじゃないだろ。なにかが腐り落ちてるよ。
「えっ、あの亀甲縛りの雑学? ヤダ、恥ずかしい」
情報源にアホ面で雑学をひけらかしたと知ってとりあえず両手で頬を覆う果奈だが、本当に恥ずかしがるべきは会話の内容ではないだろうか。亀甲縛りの雑学ってなんだよ。
「お前らいつもそんな話してんの?」
「そんなことないわよ。私の学科では、亀甲縛りは月水金ね」
「なに学科だよ。ばかばっ科か? 道徳の時間より多いだろそれ」
「当たり前よ。道徳なんて漫画読んでれば身につくもの。嫌な気分になることが道徳的にダメなことだわ。食べないのに獣を狩るとか、井戸に毒を垂らすとか」
間違ってはいないんだろうが、どこかマジカルな道徳感だった。
「獣といえばさ、そろそろ帰らない? ウチ、普段は無制限におかわりできるかわりに夜の七時以降におかわりしたら死ぬ誓約掛けてるから、早く帰らないとおかわりできないよ。調査開始ってことで、いざ解散!」
お腹をさすりながら立ち上がり、呑気な声を上げる里々。
獣とご飯が結びつく思考回路もその誓約も、相変わらずいろんな意味でおっかない奴だなこいつ。
「そうね。ちょうど、あの空から落ちてくる白くて冷たいのも見当たらないし、今のうちに出ましょうか」
「雪って言えよ。お前今地球に生まれたのか?」
ツッコミがてら窓の外を眺めると確かに、綿々と降り注いでいた雪の姿は映らない。
調査開始でいざ解散だなんて間が抜けてるとしか思えないけど、間違っていないのだから仕方がないか。
「よし、そういうことならまずは里々送って……」
なんて言ってみるものの。
……………………。
僕と果奈はなかなかコタツから出られなかった。
しばしの沈黙が流れ、ダメな方に意を決したと見える果奈が僕にガンガンぶつかりながら顔以外の全てをコタツに突っ込み、「ねーねーお前らクラスに好きな子いる?」と、おそらく修学旅行の夜らしきものを安っぽく演出し始めた。
わかりにくい、泊まり込みの決意表明である。
「はてにゃん負けないで! 空音もほらっ、立ちなさいよ!」
完全降伏して籠城まで始めた果奈を励ましつつ、僕の左腕を、胸と二の腕でがっちりと挟んで絡みとろうとする里々だったが、その程度では僕はビクともしない。
理由がない。里々は腕に絡みつき、果奈は摩擦で暖まろうと僕の下半身を利用中。動く理由がなに一つ浮かばない。
「ちょっとなにこの状況! なんでビクともしないの? なんか頭に大木のイメージ映像浮かんだんですけど!?」
「諦めることね里々ちゃん。私たちをここから出したければ、私より貴い神の頸の玉を持ってくる他ないわ」
「そりゃ無理だな。まずお前神じゃないし」
僕も詳しくはないけどいろんな物語がごちゃ混ぜだし。
「しのごの言わずに立ちなさい! 必殺黒ギャルチョップするよ? めっちゃ彫り深くなるよ?」
「それ目狙ってるよね?」
「ちょっと格好良くなって、ウチに感謝する日々を送るハメになるよ?」
「いやそれは別に構わないんだけど」
「早く早く! 今日の晩ご飯はキリシタンバスターなんだから! おかわりしたいんだから!」
「キリシタンバスター!?」
なんだよその闇落ちして洗礼受けたナポリタンパスタみたいな料理。それおかわりして平気なのか?
「ほら早くー!」
「わかったわかった、出るよ」
黒ギャルチョップがどうこうの前に、里々のきらびやかな爪が僕の腕に食い込み始めたのでコタツから這い出る決意を決めて立ち上がった。僕の血で綺麗な爪が汚れたらコトだからな。
「しかし……何年たっても寒さには慣れないな」
コタツの果奈を残し、帰り支度を始めて恨み節を吐いてみる。生まれてこのかた雪国育ちとはいえ、寒いものは寒いのだ。なんなら年々寒さに弱くなっている気さえする。
「寒さや痛みを感じなくなったら人類はおしまいよ。だから寒さに慣れないのなんて当たり前なの。ロシア人はこれからもウォッカを飲み続けるし、フィンランド人はこれからもサウナに入り続けるのよ」
などと、コタツに生えながらよくわからない世界観を披露する果奈だったが、
「でもウチらは冬にアイスを食べ続ける国民性なんだから、早く出ておいで!」
という里々の、よそはよそうちはうちのグローバル版論法に諭されながらコタツから引き抜かれた。
「うー、里々ちゃんヒドいのら」
「ヒドくないのら! おかわり狙えるかどうかの瀬戸際なのら!」
誰かさんが乗り移ったまま睨み合った二人は、そのままシュツシュツと拳を突き出して児戯に等しいインファイトを繰り広げ、最後はふわりとクリンチに落ち着いていった。
明日以降に待ち受けているであろう不穏とは対照的に、なんて平和で青春ほとばしる光景であろうか。
平凡な日常が一番だなんて、そんなのは持たざる者の戯言にすぎない。
尋常ならざる事象に心を惹かれるというのは自身の凡庸性の裏返しではないかという疑念を抱きながら、それでも僕は劇的で刺激的な世界に憧れる。
半年以上前、僕が入学したこの学校には果奈がいて、里々がいた。
衝撃だった。
実質的な初対面。多目的教室への移動の際に廊下で初めて二人とすれ違った直後、背中に衝撃を感じてこんな台詞を耳にした。
『君、とってもいい匂いがするのだ! うにゃー! うりうり! とんでもない!』
……。
せっかくの回想も、当時の果奈のふざけたキャラのせいで台無しだった。
まぁ要するにだ。要するに、自分の信念を盲信して傍目も気にせず猛進する彼女たちは鬱屈とした日常を吹き飛ばすには充分すぎて、二人はすぐに僕のポラリスとなったのだ。
「なーにやってんの空音。ウチら送ってくれるんでしょ? てか寒いからタクシー乗っちゃう? ウチ、わや家近いけど」
「それいいわね。あ、でも私タクシーってやつには一度乗ったことがあるから、もう初乗り料金じゃなくなってるわ。どうしましょ」
いつの間にかドアの外に半身を乗り出していた二人が、手を繋ぎながらいつものように僕を待っていてくれている。
僕はすぐに歩みを進め、
「初乗りってそういう意味じゃねーよ」
と、求められた役割をこなす。
果奈の満足げな表情を確認し、二人を廊下に押し出しがてら電気を消して、部室のドアをそっと閉めた。
ぎゅっと繋がれた手を後ろから恨めしく見つめ、蛍光灯が不規則に明滅する人気のない校舎を練り歩く。
僕はいつだって二人の後ろを歩む。
こいつらが我が道を行けば、その軌跡には無垢で残酷な真実がこぼれ落ちるから。
僕らの大好きな謎ってやつは往々にして誰かがひた隠しにする真実であり、真実なんてものは大抵ろくなもんじゃない。アフターケアはサポート外の二人だから、後処理はいつも僕の仕事。でもそれでいい。二人はただ前だけを見て、自分の思う通りに突き進めばいいんだ。
だって僕のやりたいことはまさしくそこ、二人の背後に転がってるんだから。
「空音っていっつもウチらの後ろ歩くよね。もしかしてケツフェチ?」
「違うわ里々ちゃん。真実はいつだって残酷なの。空音はね、お尻を通り越して膀胱を見据えているのよ」
「なにそれ、わやうしろめたし!」
……。
ほらな? 真実は、いつもいまひとつなんだ。
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