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大人にはしゃべるなよ
深夜一時を回っていた。ビデオ通話でやり取りをしながら、桃香と吉沢は社会学のレポートを書きはじめて一時間半経過していた。
冒頭の三十分しかレポートの話はしておらず、吉沢がネットニュースで話題になっている「戦国時代の埋蔵金伝説」について熱く語り続けているのを桃香はうつらうつらと聞いていた。
「絶対に、大人にはしゃべるなよ」
吉沢の大きな声に、まぶたを半分閉じていた桃香は我に返った。
「しゃべるなって何を? 」
「本当のお宝のありかだよ」
ネットニュースによると、この埋蔵金があると言われている北関東のとある地域には言い伝えや埋蔵金の隠し場所らしき地図などが残されている。それらのものを埋蔵金ハンターが長年の調査を行い、ついに場所を特定したとのことだ。しかし、吉沢はその場所は間違いだと言う。
「お宝が埋められているのは、ニュースで言っている場所から東に三キロメートル入った岩山だ」
「何で吉沢が埋蔵金の場所を知っているの。戦国大名の子孫なの」
「まさか。どうして分かったのか、知りたいか」
桃香がうなずくと吉沢は「絶対に内緒だ」と再び念押しして、語り出した。吉沢は高校一年生の冬に階段から落ちて、頭を強打して以来、透視能力が身についたという。
「透視ができるって、厨二病が過ぎるよ。大学二年生にもなって、心配になるわ」
「本当だ。桃香なら信頼できると思って、話したんだ」
「証拠を見せてくれたら、信じてもいいよ」
「今から透視するから、しばらく黙って」
吉沢はそう言うと目を閉じて、俯いた。三分ほど経過すると、目を見開いた。
「桃香の部屋の真下に居間があるだろ」
「そうだよ。でも、うちが一軒家なのは話したことがあるよね。居間の場所ぐらい、適当に言えば当たるでしょ」
「その居間にヒスイがあるだろう」
居間には父親が台湾の取引先からもらった、人間の頭ほどの大きさがあるヒスイで出来た馬の像がある。
「ヒスイの置物は確かにあるけれど、他に何が見えるの」
「ヒスイは魔除けだ。そいつがあると、周りのものも見えなくなってしまう。相当大きいな。スイカぐらいはありそうだ。頭が痛くなってきたよ」
吉沢は水を口に含んで、一息ついた。桃香はヒスイの置物があることを言い当てられたことに驚いたが、これだけで透視能力があることを信じていいのか迷っていた。
「透視能力を信じてくれたか」
「少しはある気がするけど、簡単に信じることは出来ないよ」
「先週、山中から手紙をもらっただろ。桃香の誕生日にデートに誘いたいって書いてあったな」
山中は二人と同じクラスにいる鼻毛が常に飛び出ている男だ。服装にとても気を配っていて、眉毛もきっちりカットしている。遠目には爽やかな部類に入るのに何故か鼻毛だけは放置状態で、女子たちは彼が近づいてくると引き気味になる。桃香も山中が苦手だ。
山中からの手紙は気味が悪くて、桃香は開封すらしていなかった。本棚の隙間に隠してあった手紙を震える手で開くと、吉沢が言った通りの内容であった。
「人の手紙を勝手に読まないでよ。いつ見たの」
「学食でバッグの中がうっかり見えちゃったんだ。悪気はなかった」
「無断で透視するなんて、最低」
「見ないように努力はしているんだ。だから、小さなヒスイを持ち歩いている」
吉沢はお守りほどのサイズの巾着袋から、ヒスイを取り出して見せた。透視能力は自分の意思がない限りは、基本的に発揮されることはないが、気を抜いていると見えてしまうことがある。
このため、他人の秘密を知ることが多々あり、人間不信になり、自己嫌悪に陥ったという。実家が檀家となっている寺の住職に相談をしたところ、ヒスイを持つように教わり、うっかり見える確率が格段に減ったのだという。
「分かった。能力は信じるから、山中からの手紙のことは黙っていて」
「もちろんだ。埋蔵金ことは誰にも言うなよ」
「言ったところで誰も信じないと思うよ。ところで、どうやって埋蔵金の場所が特定できたの? 」
埋蔵金ハンターのYouTubeを観た吉沢は、ハンターが車で通過した背景の岩山の内部に小判が光っているのが見えたのだと鼻息荒く語った。
「で、吉沢は正しい場所に掘り出しに行くの」
「当たり前だ。それで、桃香にも手伝って欲しくて、声をかけたんだ」
桃香は背が高いが、強風の日に体が飛ばされそうになるほど体重が軽い。吉沢は高校まで剣道で鍛えた細マッチョだが小柄だ。
「穴掘りの手伝いながら、力がある男子に頼んだ方がいいんじゃない。ガタイがいい体育会の子が適任だよ」
「人力じゃ無理だ。穴の入り口が岩で塞がっている。ダイナマイトで吹き飛ばすしかなさそうだ。それに、大学の奴らは心が汚い大人ばかりさ」
「ダイナマイト使うのは、相当危険だよ。それに私だって、もう二十歳なんだから立派な大人だよ」
「年齢は大人だけど、桃香はピュアだから大丈夫だ」
「でもさ、ダイナマイトで勝手に埋蔵金掘り出したのが見つかったら、捕まっちゃうよ」
「二十兆円ものお宝が埋まっているんだぞ。危険を犯す価値はある。二人でこっそりやれば、大丈夫だ」
あまりの金額の大きさで、どれくらい価値があるものなのか桃香はピンとこなかった。ネットで検索してみると、日本の国家予算が百十兆円、東京都の予算は八兆円ほどだと言うことが分かった。とてつもなく莫大な埋蔵金だ。
「ダイナマイトってどうやって調達するの」
「ネットに作り方は紹介されている。ただ、大量の火薬を集めると足がついてしまう。だから、二人で手分けして花火を少しずつ買い集めたい」
「防犯カメラでばれるよ」
「防犯カメラがなさそうな、地方にある古い店を回ろうと思う。夏休みの旅行って体裁で」
花火の火薬を集めてダイナマイトを作るのには、相当な量の花火を集める必要があると吉沢が続けた。あまりにも気が遠く、何よりもリスクが高すぎる計画に桃香は無理があるとため息をついた。
「ハードルが高い計画だけれど、埋蔵金が手に入ったら一生、遊んで暮らせるぞ。桃香、サラリーマンになりなくないって言っていたよな」
「うん。まだ先だけど、就職活動のことを考えるとブルーになる」
「僕の計画に協力してくれたら、一生苦労させない。一緒に楽しく生きよう」
「一生一緒って、それって、どういう意味なの」
桃香が問い返したところで、両親の部屋から目覚まし時計の音が聞こえてきた。時刻はもう四時過ぎだ。夜がいつのまに明けていた。父親から、まだ起きているのかとドアの外からどやされ、そこでビデオ通話は終了となった。
その翌週から吉沢は大学に来なくなった。SNSで連絡をしても既読がつかない。クラスでは、世界放浪に出たのだと噂されていたが、桃香はダイナマイトの火薬を集めに地方を回っているのだろうと胸の内で思っていた。
吉沢が消えて一年が経ち、就職活動の時期がやってきた。桃香が学食でエントリーシートに苦戦しているところに、山中がスッキリした顔で現れた。
「就職カウンセラーに、鼻毛を切れってアドバイスされたんだ。そうしたら、面接突破しまくりだよ。みんな、鼻毛のことを気がついていたなら教えてくれたらよかったのに」
ホワイト企業から内定が取れずにどんよりしていた桃香だったが、山中の発言に思わず吹き出してしまった。
これをきっかけに二人の距離は縮まり、付き合うこととなった。山中が公務員試験に合格したことも、将来が不安な桃香には魅力的であった。
卒業後も付き合いは続き、社会人生活三年目の夏に山中は桃香にプロポーズした。婚約をした二人は同居を始めて、一ヶ月も経たないうちに洗面所に置いてあった山中の鼻毛カッターに細い毛が絡まっていることに桃香は気がついた。
違和感を感じた桃香はソファーで寝落ちしている山中の鼻の穴を覗き込むと、鼻毛カッターに残っていた毛の三倍以上太い毛が蔓延っていた。山中を揺すり起こした。
「これ誰の鼻毛なの」
「俺のだよ」
「剛毛のくせに。嘘つかないで」
県庁の同期と浮気をしていることを山中はあっさりと認めた。鼻毛カッターをシェアするほど深い仲の浮気相手に桃香は勝てる気がしなかったし、山中の鼻の穴の中に生い茂る鼻毛の濃さに吐き気を覚えてしまった。
婚約破棄をした桃香を慰めるために、友人たちがランチ会を開いた。目に涙を溜めながら、山中の浮気の話をこぼした。
「真面目そうに見えて浮気者って最悪だね。私だったら、山中の大きな鼻の穴にダイナマイト突っ込んじゃう」
友人の言葉に、吉沢のことを思い出した。吉沢と無邪気に埋蔵金を発掘していれば、今頃幸せな人生を送っていたに違いない。たとえ、失敗して捕まったとしても、今よりずっと楽しかったはずだ。
帰宅した桃香は純粋さを失ってしまった自分の心を省みた。山中との結婚を決めたのは、公務員の妻になれば安定した生活が送れるという下心があったことは間違いない。自分はすっかり心が汚い大人になってしまった。
涙がこぼれ落ちたスマホの画面に通知のポップアップが光っていた。見知らぬ連絡先からのメッセージであった。
「やっと集まった。そろそろやるぞ」
花火の絵文字を見て、すぐに桃香は返信を打ちはじめた。
了
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