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3.風の精
「小石川植物園に入る前にお昼食べていこうか」
「今日は小石川植物園に行くんだ?」
「あ、言ってなかったか。ごめん」
お花見に行かないかと一昨日言って、どこがいいか検索してて今朝まで決めかねていた。
「いいよ。何食べるの?」
「健太は何がいい?」
「ラーメンかな。あの、お願いがあるんだけど」
「何?」
白山付近のラーメン屋を検索しながら訊く。
「今日は健太じゃなく、かわいい名前で呼んで欲しい」
一瞬うろたえたけど、平静を装って、
「ああ、いいよ。どんなのがいい?」と訊く。
「翔ちゃんが決めて」
ふええ。バカップルじゃないか、こんなの。
「小絹、シルク、シルフィーとか?」
「すごくいい。ありがと」
後で調べてみたところ、シルフィーって妖精とか風の精のことらしい。いえ、コメントは差し控えます。
白山駅付近にはいろんなラーメン屋があった。その一軒に入ると大多数の男子の静かな緊張感と少数の女子の無言のざわめきが走った。いえ、この子は小泉さんじゃないです。
ぼくがチャーシュー麺、シルフィーがラーメンを注文した。
「ラーメン好きだったんだね」
「ふつうかな。ラーメンって言ったのは翔ちゃんが『檸檬』のことを教えてくれたから」
秋に船橋競馬場に行ったんだけど、未成年2人だと入場もできなかった。それで急にお腹が空いて、すぐそばの蒙古タンメンに入った。
「檸檬って漢字は丁寧な蒙古タンメンなんだよ」
しばらく指で書いたり、スマホで檸檬という漢字を検索したりして、
「なるほどー。木に寄りかかってタンメン作ってるんだね」と楽しそうに言う。
ぼくは待っている間、梶井基次郎の『檸檬』の冒頭の鬱屈と精神的なテロによるカタルシスをどう説明しようかと考えていたが、無邪気な笑顔を見てやめた。
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