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6.桜の樹の下には……
桜の大木がある辺りにはブルーシートを敷いてお花見をしているグループが何組もいた。さっきはその喧騒を敬遠して離れたところを通った。
「桜の樹の下には屍体が埋まっているって言うよね。そんなわけないし、じゃあ梅の樹の下にはウグイスの屍体が、楓の樹の下には鹿の屍体が埋まってるのかなって」
「あはは、花札だね。だとしたら桜には短冊か幕が埋まってることになるか」
「うんうん」
「桜の樹の下にはっていうのは梶井基次郎が言い出したんだけど、桜の狂ったような美しさを喩えて言ったみたい。その小品にはカゲロウの屍体しか登場しないんだけどね」
「そっかぁ。でも、ドキッとして、何か納得しちゃうところがあるよね」
「桜と死を結びつけるのは日本の美の伝統みたい。例えば平安時代末の西行は、
願はくは花の下にて春死なん
その如月の望月の日
と詠んで、そのとおりの月日に死んだ……」
ぼくは不意に感情があふれ、涙がこぼれそうになった。
「どうしたの? だいじょうぶ?」
「うん。なんでだろう」
背中にシルフィーの手がそっと置かれている。温かさが伝わって来る。
「翔ちゃんは感受性豊かだから」
そんなことはないと言いたいけれど、しゃべるともっと感情が噴き出しそうな気がしてやめた。そのまま出口まで寄り添って歩けたのはうれしかったんだけれど。
その夏、八月にシルフィーは亡くなった。交差点を直進する彼の自転車を右折するベンツが巻き込んだ。運転手の老人は「来月には免許を返上しようと思っていた」とか「ヘルメットをしていなかったのが悪い」とか言っていると彼のお母さんから聞いた。
お葬式ではお姉さんが遺影の前にペタンと座り込んで静かに涙を流していた。藤代さんは担任に抱かれてわーわー泣いていた。ぼくは何も考えずにそうした光景を眺めていた。August, Die She Mustーーあの歌のとおりだと。
あのお花見から何年経ったのだろう。ぼくは西の古都の大学に入り、その近くの大都市で就職した。でも、桜の季節になると帰省してお花見に行く。
「東京の桜なんかいいんですか?」と訊かれることがあるけど、
「きれいですよ。いろいろ埋まっているし、風がやさしいから」と答えることにしている。
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