三題噺『親友、嫉妬、そして、』

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三題噺『親友、嫉妬、そして、』

お題『親友』『ジェラシー』『胸が痛い』  親友は神絵師だった。  私たちは、中学三年間、共著で少女漫画を連載していた。といっても、クラス内での話だが。  親友のAと、自由帳にリレー形式で粗末な漫画を描いていた。でも、クラスの女子には大人気だった。校則も勉強も厳しく、周りに遊ぶ場所も無い、息苦しい学校の中では、数少ない娯楽だったのだろう。  Aは学校一絵が上手かった。一学年一クラスしかない中学校だったけれど。でも、大体どの中学校に行っても『学校一絵が上手い人』になれそうな実力を持っていた。その証拠に、AがSNSに投稿したイラストのいいね数は平均三桁代だった。  中学に入学して初週。休み時間にAの絵を見て、初めて『井の中の蛙』という言葉の味を知った。生まれて初めて嫉妬したのも、この時だ。  小学校まで『絵が上手い人』といえば私だったのに。  私と違って、Aは綺麗な線で絵を描く。線の引き方に迷いがない。陰影の付け方やパースにも違和感がなかった。最初に見たのは制服姿の少女のイラストだったが、衣服のしわや襟まわり、スカートのひだなど全てのディテールが細かく、繊細で、圧倒された。  なんてこった。今まで『絵が上手い人』としてチヤホヤされながら、クラスメイトとコミュニケーションをとってきたのに。これじゃ無理だ。  この瞬間、私は何の価値も無い、ただの陰キャオタクに成り下がった。  クラス替えが無い三年間。Aを超えないと、私はカースト最底辺のゴミとして中学生活を過ごすことになる。そう思い、追い込まれた私は賭けにでた。 「ねえAちゃん、私とリレー漫画しない?」 「いいね!おもしろそう」 「Aちゃん、漫画描いたことある?」 「ないなー。でもずっとやってみたかった」  かかった。これこそが、当時の未熟な私が考えた作戦だった。  私は小学生の時、漫画の賞をとったことがある。小学生限定漫画賞の、参加賞の一個上だけれども。  私は経験者、Aは未経験。漫画は絵だけではなく、ストーリーなど絵以外の部分も重要になる。これなら、Aに勝てるぞ。  さっそく自由帳に十ページほど漫画を描き、Aに『続きを描いて』と渡した。  しかし、甘かった。最初の頃は全く歯が立たなかった。クラスメイトに読ませてまわったが、みんなAの絵ばかりを褒める。  Aの方がコマ割りが読みづらくて、セリフまわしが不自然なのに。なんでみんなAばかりを『すごい』と讃えるのだろう。  悔しかった。嫉妬した。憎かった。お風呂の時、寝る時、通学バスに乗っている間、授業中、ずっと、『どうやったらAを倒せるか』そんなことばかり考えていた。  毎日好きな漫画を模写して絵の練習をした。ネットで漫画の描き方やシナリオ術について調べた。実践した。  努力の成果があらわれだしたのは九月。今でも鮮明に思い出せる。雨の降る放課後、女子だけ音楽室に残って、合唱コンクールの練習をしていた日……の休憩時間。 「新しい漫画読むー?」  と、Aがみんなに声をかけた。 「見せて〜」 「昼休みに幸穂(ゆきほ)が描いてたやつー?」  みんなが群がり、じゃんけんの結果、まずはNちゃんがノートを手に取った。今回は私の担当だ。緊張して身が縮こまった。  パラッパラッとノートをめくる音だけが響く。あ、めくるペースが落ちたな。今のとこわかりづらかったかな……と不安になっていると、 「ふふっあははっ」  普段大人しいNちゃんが、声をあげて笑った。大笑いだ。  どうやら、私が描いた渾身のギャグシーンがツボに入ったらしい。 「ねえみんな、ここ見て」  Nちゃんが腹を抱えながら、ノートを後ろにいたクラスメイトたちに渡す。そして笑いの輪がどんどん広がっていった。  Nちゃんは気にいったように、何度も私の考えたセリフを口ずさむ。その度にふふっと笑いをもらした。  この日から、クラスにおける私の待遇が変わった。私たちの漫画について『絵はA、ストーリーは幸穂が良い』と評されることが増えたのだ。  未だ絵でAに勝てないのは悔しいが、金魚のフン扱いされていた日々よりマシだった。  それでもAの担当回の方が、評判が良かった。高い画力ゆえに人を惹きつける演出ができるのだ。  三年間、私はリレー漫画に力を注いだ。テスト期間中も勉強と並行して描いていた。とにかく必死だった。  Aを倒したい。Aよりすごいと思われたい。嫉妬に取り憑かれていた。  私の努力も虚しく、結局三年間、Aよりも評判の良い漫画を描くことができなかった。  中高一貫なので、次は高校で勝負をしようと思った。だが、願いは叶わなかった。  Aが同じ高校の美術科に進学したからだ。内部進学では入れない学科だが、Aは推薦入試を受けて合格したらしい。  Aが美術科に進学すると聞いて、また激しい嫉妬に取り憑かれた。私だって美術科に進学したかったのに。両親に『あんたは絵が下手なんだからやめときな』と反対され、諦めたのだ。  普通科の私と美術科のAとは校舎が別で、接点が激減した。たまにSNSで声をかけあって、一緒に遊びに行ったりもしたが、徐々に疎遠になった。  美術科は定期的に展示会をやっている。Aが在廊している時を狙って、毎回観に行った。どれもレベルが高くて、あの時美術科を受けなくて良かったと心の底から思った。  高校生になってから、Aの画風が変わった。濃い絵柄の漫画にハマって、写実的な絵を描くようになったのだ。少女漫画を一緒に描いていたあの頃のおもかげはない。  しかし、Aの絵を見ると、私も猛烈に絵を描きたくなってくる。闘争心が燃える。  リレー漫画なんて無くても、今のクラスには馴染めている。だから、Aに勝ちたい理由など、もう無いはずだ。  それでも、私はまだ嫉妬に取り憑かれているのだろうか。  今度は勝負の舞台をSNSに移した。Aと同じジャンルで二次創作活動をすることにしたのだ。原作については、Aが貸してくれた単行本ですべて履修した。  Aは写実的な厚塗りで推しキャラを描き、私はデフォルメ調の絵で推しキャラを描いた。キャラの人気は同じくらいだが、Aの方が圧倒的に評価されていた。同じキャラがお題のワンドロで、私は32いいね、Aは1018いいね、うちのめされてワンドロに参加するのはやめた。  ここでも私は『漫画で勝負戦法』をとった。ストーリーがあった方が見て貰いやすいからだ。  推しカプの漫画を描き続けた。おかげで毎回リプをくれる読者も増えた。だが、神絵師として、多くの人にチヤホヤされるのは、いつもAの方だった。  結局高校三年間、Aより、いいね数が多い絵(漫画)を描くことはできなかった。  そんな時、Aが私と同じ大学の心理学部に合格したという話を聞いた。 「芸大とか美大じゃないんだね?」  驚いて、メッセージアプリで聞いてみた。 「視野を広げようと思って でもイラストレーターになる夢は諦めてないよ」  確かに、美術系の学校出身以外のイラストレーターもたくさんいる。Aの実力なら、ちょっと頑張れば、すぐにプロになれるだろう。  当時はそう思っていた。  大学生になった。文学部という特性ゆえか、すぐにオタクの友達ができた。  大学の友人たち曰く、私の絵は上手いらしい。そんなこと久しぶりに言われた。中学にはAがいて、美術科のある高校に通っていたから、絵が上手いと褒められたことがなかったのだ。  褒められてとても嬉しかったが、同時にAの顔が思い浮かんだ。 「同じ大学に私より上手い友達がいるよー。私、この子に勝ちたくて描き続けてるんだよね」  AのSNSアカウントを友達に見せようとスマホを取り出した。AはBLとか描いていないから見せても大丈夫だろう。  あれ?フォロー数とフォロワー数が一人ずつ減っている。誰かブロックかアカ消しした?フォロワー欄を確認する。  いなくなっていたのはAのアカウントだった。  アカウント自体が無くなっていた。血眼になって探したけど、新しいジャンルに移住した様子もない。  もしかして私、ブロックされた?何か嫌なことしちゃったのかな……モヤモヤを抱えながら大学生活を過ごしていたら、食堂でばったりとAに会った。女子大生らしく髪を茶色に染めていた。 「幸穂ー久しぶり」  にこやかに手を振るAに敵意は感じられない。話していても、いつものAだったので、思い切ってSNSアカウントのことを聞くことにした。 「あー消しちゃった。絵描くの無理になっちゃって」  Aが平然と、時間割の話をするかのように、そんなことを言うものだから、混乱した。言葉を噛み砕いた後、胸がしめつめられて、傷んだ。  ガラガラと信仰していたものが崩れる音がした。 「もう……描かないの?」  魔法が解ける瞬間……いや、 「だって忙しいし。もう好きなことだけやってられない歳じゃん」  神が人間に戻る瞬間を見た。 「もう好きなことだけやってられない歳じゃん」  ワンルームのアパートで一人、Aの言葉を呟く。その通りだな。大学三年生になり、実感することが増えた。  自己分析をするために、この文章を書いてみたが、企業が望んでいる分析の仕方ではないな。やり直そう。  あ、十八時か。そろそろ漫画描かなきゃ。  私は今もまだ、漫画を描いてはSNSに投稿する日々をおくっている。漫画家になりたいとは思わないのに漫画中心の生活をおくっている。  もうAは絵を描いていない。もう私は誰にも嫉妬していない。なのに。  じゃあ、私に取り憑いているものは、一体何なのだろう。
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