ゴミから始まる妄想ストーリー 【ニット帽】

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【ニット帽】 東京は桜が満開だった。 どうしても見たい演劇の舞台があり、新幹線で東京へ日帰り旅行を決行した。 一人で東京に行くのは、四十八年間生きてきて初めての事だ。 妻も誘ってみたが、用事があるからということで、それではと一人で行くことにした。 初めて降りる駅で少し道に迷いながら会場に辿り着き、鑑賞した舞台は、思った通り素晴らしいものだった。 舞台を堪能した帰り道、あまりの暖かさにニット帽を脱いで歩いていたところ、東京在住の古い友人と数年ぶりに偶然の再会を果たした。 歩道橋の上で出会ったその友人と、近況などを話し合い、路上にも関わらず盛り上がってしまった。 その時、ほとんど無意識に、ニット帽を歩道橋の手すりに置いた、ような気がする。 そして、おそらくそこにそのまま置いてきてしまった。 ニット帽がないことに気づいたのは家に帰ってきてからだった。 片道二時間。 往復料金約二万円。 流石に取りに戻る気にはなれなかった。 もったいないのはもちろんだが、他人から見たらゴミでしかないようなものを路上に置いてきてしまったかもしれないことに申し訳なさが募る。 これからは気をつけよう。 そう心に誓いつつ、今日の出来事を振り返る。 わざわざ遠出して見に行った舞台は素晴らしかったし、友人との再会も嬉しかった。 しかしそれ以上にインパクトがあったのは、旅の途中で偶然出会ったある光景だった。 舞台鑑賞前、たまたま迷い込んだ公園の満開の桜の下に、その店はあった。 いわゆるキッチンカーというやつだろう。 シックな中にもセンスを感じさせる、少しくすんだ水色と茶色をベースにした配色のワゴンの前には、長蛇の列ができていた。 何の店かと覗いて見ると、どうやらタピオカミルクティーのお店のようだ。 今更タピオカ?とは思ったが、この行列だ、この店には何か人を引き寄せるだけの確かな魅力があるのだろう。 中でニコニコと笑顔で働く二人の店員は夫婦だろうか? メニューのバリエーションの豊富さもさることながら、それよりも目を引いたのは、のぼりに書かれた『純国産タピオカミルクティー』の文字だった。 タピオカと聞くと、台湾かどこかから輸入しているイメージだったので、日本でも作られているということに驚いた。 紅茶含め使われている素材はこだわり抜いた国産のものを使用しているらしい。 そしてさらに目を引いたのは、店の前のスペースに置かれた棚に並べられたトングと小さなビニール袋だった。 そこに張り出された、これまたセンスを感じる張り紙を見ると、トングもビニール袋も自由に使ってかまわない。周辺を散策しながらゴミを一つでも拾ってきてくれた方には、サービス価格でタピオカミルクティーを提供するというようなことが書かれていた。 たしかに、列に並ぶ人々の手元を見ると、ゴミらしきものが入ったビニール袋がたくさんぶら下がっていた。 一つでもいいと書いてあるのに、ほとんどの人は袋にたくさんのゴミを詰め込んでおり、中には袋を複数下げている人までいた。 張り紙と列を見ながら考える。 このサービスは、店にとって何かメリットはあるのだろうか? おそらくそんなものはないように思われた。 トング代とビニール袋代、それに加えてゴミ処理代、サービス分の値引き。 マイナスしかないような気がするが、補うだけのなにかしらの助成でもあるのだろうか? 多少はあったとしても補い切れるとは到底思えない。 そして並ぶ人々は割引価格で買えるとはいえ、そんなにたくさんゴミを集めてくる必要はないはずだ。 あの張り紙の通りであれば、一つだけでかまわないのだ。 にも関わらず皆たくさんのゴミを拾って並んでいる。 なんだろう、この空間は。 満開の桜の下というロケーションも相まって、よく分からないがものすごくプラスのエネルギーが満ち溢れているような気がする。 善意の連鎖とでも言えば良いのだろうか? あの店員の二人が作り上げた幸せの塊のような空間。 列に並ぶカップルや親子連れ、同年代のグループ、どの人たちの顔にも笑顔が満ち溢れている。 いつまででも見ていられるようなそんな風景だった。 時間に余裕があれば私もゴミを拾い、列に並んでタピオカミルクティーを飲みたかったが、あいにく舞台の時間が迫っており、後ろ髪をひかれながら私はその場を後にしたのだった。 今日という日は、帽子を無くしてしまうという残念なハプニングもあったが、念願の舞台を見ることができ、久しぶりに友人と会うことができ、そして何より、あの光景を見ることができた、素晴らしい一日だった。 今でも鮮明に覚えているあの光景の中に、いつか自分も身を置いてみたい。 そんなささやかながらも素晴らしい夢を見つけることができた日でもある。 そうだ、私も近所のゴミ拾いでもしてみようかな。 そんな案がふと頭に浮かんだ。 そのほうが、いつかあの店に行った時に、より胸を張って笑顔で列に加われる気がする。 善は急げとばかりに、私は毎朝のウォーキングの際に着る上着にビニール袋と軍手を詰め込んだ。 五十歳を前にして町内会の清掃作業以外では初めてのゴミ拾いだ。 年甲斐もなく少し興奮し、明日の朝を楽しみにしている自分に気づき、なんだか嬉しくなった。 明日はいつもより少しだけ早起きをしよう。
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