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1 坂の上
その子は赤子にしては大きく、だが常に落ち着いた姿であったといいます。ただ金糸のような髪とその青い目の輝きは、どの子供にもなかったようです。そしてはやくに言葉を話し、生まれてすぐに立って歩いたといいます。乳母がそう記憶していましたが、だがそれもあいまいだったようです。なぜならその子は生まれてすぐに乳離れし、乳母の記憶にあまり残らなかったからでした。
さあこれから、きょうも元気なわがだんなさま、松尾丸さまのはなしをしましょう…
――平城京…田村苅田麻呂の屋敷
俺は松尾丸。十歳になったばかりのまだガキだ。十歳といったって、もうケンカは誰にも負けなかった。おとなにだって負けはしない。なんせ俺は将来、すっごい強い武将になるんだからな。まあともあれ、一番上の兄者には敵わない。いやケンカじゃ負けない。でも負かすと親父にこっぴどく怒られるのだ。親父は恐いからな。
まあそれが俺だ。容姿はほかのやつとちょっと変わっているが、やっぱり何の変哲もないただのガキだ。
父の名は坂上苅田麻呂。公卿、つまり貴族だ。えらいのだ。母は俺が生まれてすぐ死んだそうだ。だから俺は母の顔を知らない。まあ、知ってたって孝行をするような俺じゃないから、ただやみくもに心配かけるだけの悪童の心配をしなくて済んだんだから、まあよかったんだと俺は勝手に思っていた。
「兄者、稽古の続きを」
俺は麻衣の服を腰までおろし、身長くらいある木剣を握ってそう兄に稽古を続けてくれとせがんだ。冬なかばで、きょうの朝はとくに冷えた。だが俺は身体から熱い湯気を立てていた。
「いやもういい。寒いし俺は疲れた。まったく体力馬鹿のお前なんか相手にして失敗した。何が剣の稽古をしてくれだ。こっちが殺されそうになったっていうのに」
ブツブツ言いながら兄者は奥に足早に引っこんでしまった。そうなると俺ひとりになっちまう。ああ、剣の稽古がしたい。父はお役目で宮中に参内しているし、二番目の兄者は病気で離れ屋で臥せっている。正直、一番上の兄貴なんかより二番目の兄者の方が強いし頭もいいのに、まったく世の中不公平だ。あんな優秀な兄者が病で動けないなんてな。しかたがない、こうなりゃ庭で素振りするしかないか…。ああ、誰か強いやつはいないかなあ。
そんなところに権爺が、飛び込んできた。
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