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明はまた、手の甲をつねる。何度試しても同じだ。痛い。どうしよう。昨日からずっと、夢じゃないなら、いろいろ恥ずかしすぎる・・・。
ぐずぐずしている間に、首を回した晶貴がこちらに気付いたらしく、手を振ってくれる。慌てて、深々と頭を下げた。そのまま上げることができない。
「どしたの。また具合悪い?」
神の声が降って、後ずさった。明が動かないのであちらからやってきてくれたのだ。
「だ、だ、だ」
大丈夫、と言いたいのに、ドラム音の口真似しかできなかった。
「うん」
サングラスを外してのぞき込まれる。近すぎて、ムリすぎて、逃げたいくらいなのに動けない。ほんとに熱があるみたいに体が火照る。
「ちゃんと息吸って。吐いて。呼吸して」
朝も昼も夜も、毎日聴いて耳になじんだその声に従った。深呼吸を繰り返して、ようやく、喉元にひっかかった言葉を押し出した。
「だ。大丈夫です」
「よかった。なんか飲む? 何がいい?」
座ってて、と指されたのは、キッチンカー周りの手近なテーブル席でなく、もっと離れた場所にぽつんと置かれた川沿いのベンチだった。明は焦って、私が、とひきとめたが、当人はさらりと微笑んだ。
「いいよ。オレごときそうバレない」
再びサングラスをかけて、薄緑色のキッチンカーに向かう。見守っていると、確かに普通に応対されているようだ。店員の男性は、晶貴と知ってか知らずか。明は首をひねらずにいられない。
すぐ、わかるのに。サングラスかけたって帽子被ってたって。こげ茶と黒の地味な色合いで全身を覆ってみても、隠しようもない。後ろ姿だって、帽子の下にのぞいた毛先だけですぐ、わかる。陽光に溶けてきらめく。
明には、彼だけが光を放っていた。足元のクリーム色の舗装も、初夏の花が咲き開いた花壇も、景色の大半を占める頭上の空も穏やかな川面も、彼のための背景にしか見えない。
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