お花見

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お花見 「じゃあスーパーでビールでも買って乾杯するか」  驚くようなことを同期が言ってきたので私は眉をひそめた。 「何を言ってるんですか。勤務中ですよ」  すると同期は反論されるとは思っていなかったのか、目を丸くして言い返した。 「こんないい天気で、桜は満開、屋台では焼き鳥も焼きそばもわたがしも売ってる。ほら、見ろよ隣のシート。さっきからみんなビール飲んでる。俺達だって一本や二本くらいいいだろ?」  川沿いの広場はいい陽気で、ニュースの開花予想は80%のところだったが、見た感じは満開に近い。桜並木の広場は毎年激戦区で、午前中から場所をとっていないと周辺の学生や企業が場所をいいスポットをすべて取ってしまう。夕方になると桜がライトアップされる。その幻想的な風景は数々の旅行雑誌にも取り上げられるくらいだ。場所を取っていればのんびりビールとつまみを楽しみながら最高の時間を楽しめるが、場所がなければくつろぐこともできず、ただ人混みに疲れて帰ることになるだろう。 「駄目です。あれは大学生でしょう。いつまでも学生気分でいるな、と課長に叱られますよ」  課長の名前を出すと同期もシュンとなり、「あーあ、公然と仕事をサボれると思ったのに貧乏くじだったな」と言ってスーツのままブルーシートの上に身体を投げ出した。 「ジャケットが皺になりますよ」と私が注意するが、「ほっといてくれよ」と聞く耳を持たない。  新入社員である私と同期の二人はこの河川敷で行われる社内お花見大会の場所取りを命じられた。巨大なブルーシートを手渡され、「今度の花見大会にはうちの重役も来るらしい。定時の17時までベストスポットを押さえておくように」とのことだった。私は両手いっぱいのブルーシートにその責任の重さを感じたが、同期はやけに嬉しそうだったのを覚えている。まさかこの大役をサボりの口実と捉えていたとはあきれたものだ。  いつもはやかましい同期がやけに静かだと思ったらすやすやと寝息を立てていた。私は呆れ果て、彼をたたき起こそうかと考えた。なぜなら業務規程で勤務時間中の睡眠は禁止されていたはずだからだ。だが、起こしたら起こしたできっと文句を垂れてうるさいだろう。それに勤務時間中に寝ている社員は残念ながら彼以外にたくさんいる。結局起こすことはせず、ノートパソコンを開き、頼まれていたミーティング資料を作り始めた。  太陽が高く上っていくにつれ、気温がぐんぐん上昇していった。ネットで気温を見てみると、もう30度近い。春だというのにこんな気候になるなんて聞いていない。隣で眠っている同期も「うーん」とうなされはじめ、そのうち「暑い」と言ってジャケットを脱ぎ始めた。私は北風と太陽の童話を思い出した。結局太陽が旅人のマントを脱がすのに成功したというわけだ。 「だめだ、耐えられない。水でも買いに行こう」  昼に近くなってくると、いよいよ暑くなり、汗をかきはじめたために喉がからからだった。耐えかねた同期がそう言い、さすがに私も同意した。ただ、どちらか片方が買い出しに行くべきだろう。せっかくここまで場所を確保したのだから。じゃんけんで私が勝ったので、同期が買い出しを担当することになった。なにか余計なものを買ってこないか心配だったが、喉の乾きがピークだったので背に腹は代えられない。同期は財布を手に、足取りも軽く桜並木を歩いて行った。  一人になると、気を紛らわせるために仕事に集中しようとしたが、ノートパソコンの電源が残り僅かになっていることに気がついた。あわてて作業中のファイルを保存し、パソコンを閉じる。すると眼の前に私と同じようにスーツを着た若い男がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。 「失礼ですが、◯◯株式会社の方とお見受けします」 「はあ、そのとおりですが」  にやにや笑いの慇懃な男は私を値踏みするように見てもったいぶった感じで続けた。 「わたくし△△商事でして。見たところずいぶんお若いようだ。もしかして新入社員の方で、この地域で花見の場所を取るのは初めてですか?」  私はもともとこのへんの出身だが、場所をとっての花見は初めてだ。それで私は「ええ、そうですが」と素直に答えた。 「ああ、そういうわけでしたか。なるほど、なるほど。それでしたらご存知ないのも仕方がありません。実はですね、この場所はブルーシートを使って場所を取るのは禁止されているのです」 「ええっ、本当ですか?」  私は驚いて聞き返した。するとスーツの男は申し訳無さそうな表情を浮かべた。 「残念ながら。でもご安心ください。今ならほら、他の場所も空いていますから。あの土手の裏ならまだシートを敷く場所が潤沢にあります」  そう言ってスーツの男はこんもりと盛り上がった土手を指さした。 「でもほら、他の人達は場所取りをしているようです」  実際私達の隣のエリアでは朝から飲んでいた大学生たちがすっかり出来上がっていて、あるものは一升瓶を抱えて眠り、あるものはトイレに駆け込んでこもっており、ある者は缶ビールを片手にウトウトして、そのほかの者たちは炎天下にもかかわらずいびきをかいて倒れていた。 「ああ、あれは大学生ですから。ルールを守っていないのです。スーツを着た、我々のような社会人が一人でもここで場所取りしていますか?」  そう言われると弱かった。なんとなくこの大学生たちが場所取りをしていたので近くに場所を取ったが、禁止されているとは思わなかった。それで私はそのスーツの男に礼を言って、土手の奥に場所を移動した。その土手は確かに場所取りをしている人たちがほとんどいなかった。それというのもあまり桜を見るのに適した場所ではないからだ。桜の花は先程の場所とくらべてほとんど見えない。  どこか釈然としない気持ちを抱えながら同期の到着を待っていると、紙袋いっぱいに水やらジュースやらを持った同期が帰ってきた。 「おいおい、どうしてこんな場所にいるんだ?」 「さっき親切な人があの場所で場所取りするのは禁止されてると教えてくれたんです」 「禁止されてる? それどころかもうあの場所他のやつらに取られてるぞ」  同期の言葉に驚いた私が土手を駆け上がっていくと、あろうことかさっきのスーツの男がブルーシートにクーラーボックスを運んでいるところだった。 「ああ、なんということだ。嘘をつかれたのです。私達の最初にとった場所がいい場所だから。これも私の責任です」 「どうするつもりだ?」 「もちろん抗議します」  すると同期は少し考えてから「いや、そんな嘘をついてくるやつだ。まともに講義しても仕方がないだろう。それに君は顔が割れてるしな。俺に案がある」 「どんな案ですか?」 「まあ君はここで見てな」そう言って同期はにやっと笑った。  彼はおもむろにジャケットとネクタイを整え、すたすたとあのスーツの男のところに行った。まさか実力行使に出るのか、とハラハラした。お花見の場所取りで暴力騒ぎなんて起こしたらクビだろうか。勤務規定はどうだっただろう。私の心配とはうらはらに同期は平和的に話し合いをし、その結果スーツの男は広場から出ていった。こころなしかスーツの男は慌てているように見えた。しかも私のほうをみながらしきりに頭を下げていたのが少々気になった。 「さあ、場所が空いたぞ」と意気揚々と同期が帰ってくるので理由を尋ねると、「お前をうちの会社の創業一族3代目だってことにした」 「なんでそんな嘘を?」と私は驚いた。 「△△商事はうちとも付き合いがあるからな。おたくの会社の役員を通じてあんたのやり方について相談する、と言ったら平謝りさ」 「そうじゃなくて」と言いかけたが、まあ、向こうも向こうで嘘をついているのでお互い様だ。  こうしてなんとか私達は夕方までこの場所を守り抜いた。はじめはいい加減なやつが同期になったと頭を抱えたものだが、案外いいやつかもしれない。定時を終えた先輩社員たちが続々と花見会場にやってきて準備を始める。私達の役目もこれで終わりというわけだ。 「ほら、おつかれさん」と先輩社員は私達に冷えた缶ビールを差し出す。 「ありがとうございます!」と受取り、ビールのプルタブを引く寸前に、課長が来て「あれ、このビール」と言って眉をひそめた。 「だめだよこれ。うちの会社は□□社のビールじゃないとね。うちは□□と系列会社だからさ。社会人としての常識だよ。社の行事なんだから。おい、お前ら買ってこい」  私と同期はビールを持ったまま顔を見合わせた。私達は知っている。午前中にあの大学生たちが近隣の□□社のビールを買い占めてしまったことを。 了
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