なにより身近なうそつきは

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──鏡はなによりも嘘に近い真実を写し出すものだと思う。なにより精密な嘘が鏡というのが俺の持論だ。日常的に偽物を写し出す嘘吐きは今日も硬質な肌を惜しげもなく俺に見せていた。温度が有りそうなほどに正確な嘘のくせ、触れたらつめたく、なんの感情も読み取れない。完璧に模倣した『ひとのようなもの』がただ写っているだけだ。そこになんの意味も意図も感じられはしない。息をするように嘘を吐く。 「──」 鏡よ鏡、と。童話の一節が頭を過ぎった俺は、風呂上がりの髪もそのままに鏡面へ指先を這わせる。湯にあたためられた指先に反して硬いそこは生命の息づきを感じられない。至極当たり前のことではあるが。 俺は思考に片足を浸す。かのひとは美しさを鏡に向けて問うたが、それがなにより真実に近い嘘である場合。その時には一番美しいものは「かのひとを写している自分」になるのでは。なんともまぁ滑稽な想像だが、それが万一真実であったなら可哀想な女性がふたりも生まれたことになる。自分の想像に多少なりと悲しさを憶えた俺は指先で鏡面を引っ掻いた。 なによりも正直な嘘吐きは、ここに写し出される。 緻密さと正確さをもって写し出される。 歪むことも捻れることもなく、正確に──ああ、やめだ、やめ。こんな始末に負えない思考に陥るのも今日がエイプリルフールだからだろうか? 「──これを、」 割ったならば、もしかして。卑小な自分と決別するきっかけになるのではないか。そんな馬鹿げた考えが脳裏に浮かぶが首を振ってその意見を打ち消す。かたく瞑っていた目をゆっくりと開くと、目の下にうすく隈の浮かんだ男の顔が写し出されていた。 連日連夜、いろいろな出来事に追われ疲弊しきった男の顔だ。「まだやれる」「まだ大丈夫」の嘘をこつこつと積み重ねて作り上げられた男の顔だ。 俺はゆっくりと首を左右に振る。 まだ大丈夫だ、まだ大丈夫だ。 心の中で繰り返し唱える。 ──そのとき。 『うそつき』 鏡のなかの俺が、唇を歪めて嗤った気がした。
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