季節外れのお花見おじさん

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季節外れのお花見おじさん

「俺、お花見って嫌いなんだよね」  おじさんはそう言うと、手にしていた缶ビールを飲み干した。  それから盛大にむせて、全身をブルブルと震わせる。顔は心配になるくらいに青い。  無理もない。  初雪がちらつき出した冬の公園。ダウンコートを着ているとは言え、寒くないわけがない。レジャーシート越しに伝わる地面からの冷えも相当なものだろう。  しかし、おじさんはレジャーシートの上であぐらをかき、先ほどから酒をあおり続けていた。そして、キンキンに冷えて硬くなったであろうみたらし団子を食べ続けていた。  ここは、春になれば花見客であふれる公園の一角。  この時期には人がいることさえ珍しい場所に、まるで花見をしていると言わんばかりのおじさんの姿があった。  今年になってお酒を飲むことを法的に許され、やっと最近おいしさが分かり始めた僕だったが、お酒の楽しみとは本当に奥が深いらしい。こんな寒空の下で、ビールを飲むなんて。  罰ゲームでもないと割に合わないのではないだろうか。  いや、咲く前の花を肴にする楽しみ方が実は存在したのかもしれない。  それとも、今から花見に向けて場所取りを始めているのかもしれない。  様々な憶測が頭の中を飛び交うが、どれも僕自身を納得させるには足りなかった。なので、これはもう直接聞いてみるほかないと決心した。  ヤバい人だったらヤダな。いや、もうすでに見る限りはヤバい人なのだけど、僕は勇気を出して声をかけてみた。 「こんにちは。お花見されてるんですか?」  今にしても思えば、ちょっと馬鹿にしていると誤解されかねないワードチョイスだ。  しかし、おじさんは僕に満面の笑顔を向け、豪快に笑う。だがすぐに顔をしかめると、先ほどの「俺、お花見って嫌いなんだよね」を言い放ってきた。 「ほら、ここって。有名なんでしょ? 花見スポットとしてさ」 「らしいですね。僕、人込み嫌いなんで来たことはないですけど」 「お。だったら兄ちゃんも仲間だ」  そう言って、缶ビールを差し出してくる。  この寒中お花見に招待されていると判断していいのだろうか。  恐る恐る僕は手を伸ばし、キンキンを通り越してギンギン(という表現が適切はわからないが)に冷え切った、缶ビールを受け取った。しかもロング缶。  おじさんは、少し横にズレてくれた。なんと同席を許されたようだ。 「お花見っていうのはさぁ。こう、わびさびって言うの? 風情が大事なもんだと思うのよ」 「そういうイメージありますね」 「だからさ。こうして桜の下で飲むのはいいとしてさ。ただどんちゃん騒ぎするっていうのは違うんじゃねえかって。俺は思うわけ」 「花を肴にしてるって意味では、合っているんですけどね」 「その桜にだってさ。対して目を向けてねぇと思うんだよな。春にさ、りっぱな花を咲かせた時しか集まらないくせに、途中から花見の主役は“桜”じゃなくて“酒”になってる感じよ」  言いながらおじさんは、背にしていた木にソフトタッチ。 「なんか、そう思うとこの桜が可哀そうでよぉ。だから俺一人くらいは、春じゃなくても。花が咲いてなくても。こいつと一緒に静かにわびさびを感じてやろうと思ってな」  新しい缶を手を取り、ブルタブを開ける。景気良く噴き出した泡が、みるみるシャーベット状になっていくように感じられた。  僕もそれに倣うと、互いの缶を軽くぶつけて乾杯する。  まだビールの味には慣れていない僕を横目に、おじさんは一気にビールを流し込んでいく。驚異的なペースだ。 「夏の桜は虫が落ちてきて大変だったし、秋は風が強かった。そして冬は……ありがたいことにこのざまだよ」 「四季を満喫してますね」 「俺一人くらいは、桜に失礼のないようにしてるってだけさ」  また豪快に笑うと、おじさんは団子を口に運んでいく。なかなか串から団子が外せず、苦戦している。  おじさんは、一見すると変なおじさんだがとても優しい考えの持ち主であった。  確かに古来から日本人は、桜を神聖視していたという。たしか、神様が下りてきた時に休む木が桜だったとか、そういう由来だったかと記憶している。  昨今、桜の下でお花見する人のどれだけだが、おじさんほどではないにしろ、桜に関心を持っているのだろうか。  僕自身、まだお酒と共に楽しむお花見の経験がないので分からない。  だが、次の春にお花見する時には、おじさんに倣って、ちゃんと桜を愛で、慈しもうと思う。  だけど。  念のため、言わなければならないことがある。 「一つだけ。気になるんですけど」 「どうした兄ちゃん?」 「その。後ろにあるのは……梅の木です」  寒空の下だというのに、みるみるおじさんの顔が赤くなっていく。  ビールのペースが速すぎたのだろうか。 「……あと1本飲んだら帰ろうかな」  やはり思ったよりも酒が回ってしまったのだろう。  おじさんはそう宣言すると、さっきまでは打って変わってちびちびと缶ビールを飲み始めた。  しかし、調子が悪くなったのなら飲むを止めればいいのに。いや、おじさんはこの梅の花のために、自らに課したノルマをこなそうとしているのかもしれない。邪魔をするわけにはいかない。  僕も、手にしていた缶ビールを少しずつだが飲み進めていく。寒い。冷たい。でも美味しい。 「梅でもさ……」    びっくりするほど小さな声で、おじさんが問いかけてくる。一瞬、話しかけたられのか風が吹いたのか分からなかった。 「梅でもさ。するよね? お花見」 「もちろん。今はお花見イコール桜ってイメージが強いですけど。お花見って、元々は梅の花の鑑賞会だったらしいですから」  そう答えると、おじさんの顔は再びぱぁっと明るくなった。  何かいいことでもあったのだろうか。   「俺、今日兄ちゃんと呑めてよかったわ。マジで」 「僕も勉強になりました。ありがとうございます」 「いや、感謝するのは俺の方だよ。マジで」  本気度を語尾に付与しながら、おじさんは喋っては飲み、飲んでは喋った。  笑顔も、声量も、飲むペースも元に戻っている。  僕が同席する前と違うところがあるとすれば――酒が進んだからだろう、顔色が明るく、頬がほんのりと桜色になっていることくらいだ。    終
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