第一章 1

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最初に言葉を交わしたのは、一学期の後半で席が隣になったからだ。 三柴の軽快なしゃべりと緩い笑顔に美紅が抱いた第一印象は、「この男、軽いな」だった。 それでも三柴のそれは嫌な軽さではなく、愛嬌があるというか、ついつい気を許してしまうもので、気付くと席が離れた二学期以降も二人はよく話す仲になっていた。 とりとめのない、どうでもいいような内容がほとんどだったけれども、三柴の好きな車のこと、美紅が読んでる本のこと、昨夜見たテレビドラマのこと、担当教師のことなど、他愛のない話でいつも笑っていたように思う。 そろそろ受験の気配も色濃くなってきた二学期の半ば頃のことだった。 昨夜、自宅で解いていた数学の問題集につまずき、授業担当の数学教師に質問をしてきた美紅は職員室から戻り、放課後の教室の扉を開けた。 置いてある鞄を取って帰ろう、そんな単純なことしか頭になかった美紅の視界に男女二人の姿が飛び込んでくる。 「えっ…」 椅子ではなく、机に浅く腰掛けた男、その男の横に立ち、窓に背を預けている女。 窓際にいる二人にはどこから見ても「いい雰囲気」が漂っていて、美紅の登場は明らかにその雰囲気をぶち壊す迷惑そのものだ。 「三柴くんっ…」 慌てた美紅は、その男が三柴であることに気付き、更に動揺する。 「ごめん!」と叫び、そのまま踵を返した。 行くあてなどない。それでもあの教室にいてはいけないことくらいわかる。 廊下を走る美紅の背に三柴の声が飛んだ。 「高梨!逃げるなって!大丈夫だから。」 足を止め、恐る恐る振り返ると、教室から顔をのぞかせた三柴が苦笑している。 「…ごめん。鞄だけ…取らせてもらっていい?」 「もちろん。」 どうしようもなくいたたまれないが、とりあえず鞄だけは確保しないと帰るに帰れない。美紅は気が進まぬ足を動かし、教室に戻った。 相手の女子生徒にも申し訳ない。窓際に立ったままの彼女にも「ごめんね。」と小さく詫びると「ううん。気にしないで。」とにこやかに返された。 彼女は確か、隣のクラスの子ではなかったか。同じクラスになったこともないし、交流もないその女子生徒の名前もぼんやりとしかわからない。 鞄を回収して美紅はそそくさと教室を後にした。 三柴の「また明日な、高梨。」という能天気な声に手を振って。
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