0人が本棚に入れています
本棚に追加
続・やっぱり桜が嫌い
会社の先輩たちが次々に集まってきた。皆が皆、その場所を目にして表情を曇らせる。僕は気まずい思いで顔を背けることしかできなかった。
「なあ、どうする?」
誰かがこぼしたせりふに誰かと誰かが応じる。
「場所、移動するか」
「いや、今さら他にいい場所なんてもうないだろ」
みんながいっせいにあたりを見渡した。木々の間に吊るされた行灯にはすでに灯が点り、あちこちで宴が始まっている。
「しょうがねえなぁ」
「確か、去年はどこかの学生もここでやってたはずだから、それで厄落としされたってことにしませんか?」
「そうだな」
しぶしぶと言う風に全員が靴を脱ぎ、ブルーシートの上にあがりはじめた。
ここはお花見の会場だ。新入社員の僕が場所取りを命じられ、この桜の木の下にブルーシートを敷いたのだ。が、この桜の木は三年前にリストラされたどこかのサラリーマンが首吊り自殺を図ったと言う曰くつきの場所だった。おまけに、ついさっきまでブルーシートの端っこにそのサラリーマンと思しき幽霊が座っていたのだ。視線が合った瞬間に消えちゃったけど。知らなかったこととは言え、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
それでもいざお酒を飲み始めれば、事故物件などどこ吹く風。みんな陽気にはしゃぐようになった。
そのうちに先輩の一人が真剣な面持ちで皆に問いかけた。
「なあ。せっかくこういう場所で飲んでんだからさ、怖い話とかやらない?」
「お?自殺現場で百物語か?」
「いいねぇ」
誰も反対する人がいなかった。言いだしっぺの先輩がどこかで聞いたことがあるような話を披露し、そこから次々と語り部が変わっていく。当然僕にも順番が回ってきた。とりあえずネットで拾った都市伝説を話し終えると、二週目に突入した。
100話には到底及ばないところでネタ切れとなった。皆が休憩しているところで、一人の先輩がこんなことを言い出した。
「そう言えばさ、ここで自殺した人、実は会社の金を使い込んでいた、って噂を聞いたことがあったな」
「ああ、あったあった。本当はリストラが原因じゃなくて、それがバレそうになったから自殺したってね」
え?そんな悪い人だったの?と思いつつ、ついさっきまで幽霊が座っていた場所を振り返った。
またいた。おまけに視線が合った。彼は悲しそうな表情で、左右に首を振っている。
「なんか違うみたいですよ」
酔った勢いで思わず言ってしまった。
「は?違う?なんだ。お前、このこと知ってるのか?」
「あ、いや、知っていると言うより……」
幽霊が否定しているから、などと言っても信じてもらえないだろう。実際この場の誰もあの存在には気づいていないのだから。
「なんだよ。本当のこと知ってるなら教えろよ」
「えっと、そう言われましても……」
助けを求めるように幽霊へと視線を向けた。彼は這うようにしながら僕の方へと近寄ってくる。そしてその手が僕の膝に乗った瞬間、身体が言うことを聞かなくなった。おもむろに立ち上がると、しゃべるつもりもないのに口が勝手に動き出す。
「私は自殺したのでもリストラされたのでも、ましてや会社の金を使い込んだのでもありません」
これって、もしかして幽霊に取り憑かれたのか?身体をのっとられたってことか?全く知らない話が僕の口から淀みなく溢れ出てくる。
「会社で経理を担当していた私は、ある日帳簿に不明な金の流れがあることに気づきました。調べるうちにある役員が会社の金を流用していることを突き止めたのです。そんな折、私はお花見の場所取りを命じられました。それも早朝からです。怪訝に思いながらも言われたとおり場所取りをしていると、目の前にその役員が現れました。いい機会だととばかりに問い詰めると、彼はあさっり認めたのです。その上で、彼は私を懐柔しようとしました。でもそれを断ると、役員は非情な手段に出たのです。早朝ということもあって人目はほとんどありませんでした。彼は私に睡眠薬入りのお茶を飲ませ、意識を奪ったところで首に縄をかけ、桜の枝から吊るしたのです。そして偽造した遺書を置き、全ての罪を私にきせました」
言っているうちに、僕の心に幽霊の感情がじわじわとしみ込んできた。それはとてつもない怒りだ。
「おい、なんだよ私って。まるで自分の身に起きたことのようじゃないか」
誰かが言った台詞に応えるのは僕ではなく、もちろん幽霊だ。
「そうですよ。だって、私はこの身体を借りているだけですから」
その意味を理解できたのは僕だけで、他のみんなはぽかんとした表情でこちらを見上げるばかり。それでも口は勝手に動き続ける。
「ずっとここに縛り付けられていたんです。ここに未練が残っているからでしょうかね。でも三年を過ぎてようやく自由になれそうです」
言っているうちにさっきまで感じていた怒りの感情がさらに増幅されるのが分かった。それと同時に幽霊の思念も伝わってくる。脳裏に浮かんだたったひとつの言葉。
〈殺す〉
それが何度も何度も繰り返される。
僕の目にはなぜか一人の中年男性が映っていた。少し離れた場所で若い女と腕を組み、桜を眺めながら歩く男の笑顔。それを見るうち両手が握りこぶしを作っていた。
どうやらその男が彼に罪をなすりつけた犯人のようだ。だからこそ強烈な殺意を抱いているのだろう。
不意に視線は足元のブルーシートの上をさまよった。
幽霊の考えは僕にも分かる。
おい。待て待て。早まるな。
思いも空しく手はナイフに伸びた。隣のブルーシートでおばさんが持っていた果物ナイフだ。
それを奪い取るなり足が勝手に走り出す。
待てってば。いったん落ち着け!
心の中で説得を試みるが、幽霊は完全無視だ。
僕の身体は他人のブルーシートを突っ切ってまっすぐ男のほうへと向かうと、そのままの勢いで体当たりをした。
手には男の腹を刺した生々しい感触が伝わってくる。
一瞬の静寂の後、悲鳴と怒号が飛び交った。
耳の奥で幽霊のものと思しき声が聞こえた。
〈君には悪いことをしたが、おかげで成仏できそうだ〉
その直後、身体は自由になった。
でも僕は大勢の男たちにのしかかられ、再び自由を失った。
改めて思う。
やっぱり桜は嫌いだ。
最初のコメントを投稿しよう!