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「却下、ですって?」
校長室の中から、セシルの心底驚いた声が響く。
「人類の未来に貢献したい、そんな生徒の希望を拒絶する。そう仰るのですか?」
「いやはや、魔素変換装置に対する君の気持ちは尊重するよ、セシル嬢。しかし、校内に研究棟を建てるとなると、些か難しいものでね」
よわい五十台後半のふくよかな男性。
校長はスーツの裏ポケットからハンカチを取り出すと、額の汗を拭った。
「建設費や備品などをグリーンウッド家が負担すると言っても、君が卒業した後の運営に困るものでね……なあ、アーサー君」
セシルの同伴で来たアーサーはこくりと頷く。
本来なら風紀委員会の会長であるダミアンが同席すべきだが、今はまだ夏休みの最中で、先に駆けつけたアーサーが対応すると申し出たのだ。
「1人の生徒の要望を優先すると不平等感につながりますから、慎重になるべきかと思います」
「そう! そうなのだよ、だから申し訳ないのだがねーー」
「とはいえ、です」
校長を遮り、アーサーは淡々と続けた。
「セシル嬢に関しては諸事情により懲戒処分を下しにくく、目を離せば再び実験を続けることでしょう。今度は寮室どころか、寮自体を吹っ飛ばす危険性があります」
「それは困るな……」
「しかも、グリーンウッド家の弁護士の言葉を借りるなら、無断とは言え、彼女の実験は授業の実習に該当します。むしろ、高度な実験に対応しきれない学校の施設に問題がある、と」
「うぅ、カリスマ弁護士様には敵わないが、その高度にも程があると思うがね……」
アーサーと校長から冷めた視線を向けられて、対面ソファのセシルはやや萎縮するように目を逸らした。
女子寮の一室。
セシルの部屋の窓から、まだ爆発時の黒煙の跡が残っている。
その残状を校長室の窓から再確認すると、校長はもう一度額の脂汗を拭った。
「セシル嬢、君の研究活動をできれば応援したいが、体面というものがあるのでね」
「……その体面ですが、もし私の要望を叶えることが、学校の利益につながると証明できるなら、研究棟の件は考えてくださいますか?」
校長はハンカチを下ろすと、打って変わったように冴えた瞳をセシルに向けた。
「心当たりがあるのかね?」
一見温厚そうに映る校長だが、彼とてこの学校を任されるだけの人才である。優秀で合理的なのは一目瞭然だ。
セシルは頷くと、慎重な口調で言った。
「近々アルマンに発明大会があることをご存じでしょう?」
「各国を代表する若手発明家が、互いの発明品を競い合う大会のことかね?」
「ええ。パトロンのいない、20才以下の若手という制限がありますけれど、生徒は参加不可とは書かれていませんわ」
「なるほど? ……とはいえ、そのパトロンのところに、君は本当に引っかからないのかね?」
「教育背景や家庭環境に関する制限はありませんから。発明品の開発費用と旅費を自分で工面できれば、条件をクリアできると思いますわ」
アルマンの発明大会は10年前に開催されたばかりの新イベントだ。
優勝者の中には偉大な発明に貢献した者もいて、有望な若手を見出す場として近年では隣国の注目を集めている。
勿論、オングレの貴族たちも熱い視線を向けている。
「確かに。その大会で優勝した君が設立する研究棟なら、弊校の箔付けになるだろうね。しかし、相手は各国から集まったエリート。いくら君でも、優勝は確約では無いと思うがね?」
「私は変換装置のパイオニアを名乗るグリーンウッド家の娘ですよ? ただの優勝ではありません。最年少、しかも女性初で優勝してみせますわ」
揺れないセシルの瞳に校長はポカンとしてから、大口を開けて笑った。
「確かに! 君の気迫におされて、女性であることを忘れかけたな!」
「無理もありません。自分の部屋を爆発させる女性など、前代未聞ですから」
同調するアーサーに、セシルが不満を呈することは言わずもがな。
★★★☆☆☆
セシルはさっそく、資金調達を始めた。
実家からはもちろん、学校からの援助も受けられないため、自分で稼ぐほかないのだ。
季節は秋に差しかかっている。
夏休みが終わるまで後1週間。セシルは外出許可をもらって街に出かけていた。
ちょうど感謝祭が開催されており、中央広場には各地方からの出店が立ち並んでいた。
「ここかしら? まあ、意外と広いわね」
広場のハズレにある空きスペースに、セシルは持参してきた工具箱を引きずり込んでいく。
「微妙な立地だな」
「ほわ!?」
音もなく背後に現れたアーサーに、セシルは眉間を顰めてみせた。
「また見張りに来ましたの?」
「そう嫌そうな顔をするな、校長先生の命令だ」
「不本意ならお帰りになってもいいのですよ。どちらにせよ、あちらこちらに学校のお方がいらっしゃるわけですし」
「君の安全を守るのも学校の義務だからな」
アーサーはセシルの手から重たい工具箱を受け取ると、それを軽々しくテーブルの上に置いた。
「祭りで出店して金を稼ぐと言ったが、ここだと人は来ないだろう」
「後払い可能で貸し出してくれましたから、贅沢は言えません。客引きを頑張ればなんとかなるでしょう」
「……そうか。君は意外と楽観的だな」
セシルの眉がぴくんと跳ねた。
しかし、アーサーがテントの布を広げるのを見て、表情を和らげた。
「設営を手伝ってくれますの?」
「援助にカウントされないくらいは手伝うつもりだ」
設営は重労働なので助かると思いながら、セシルはポールを持ち上げて支えた。アーサーはポールを固定させると、屈んで留め具を地面に差し込んだ。
「君の豪語のとおり大会に優勝できれば、学校の名誉にもなるからな」
「へぇ、あそう。意外と優しいのですね」
カンカンとペグを打ち込んでいたアーサーは動きを止めて、セシルを仰ぎ見た。
「……なぜ喧嘩腰なんだ?」
「あら、奇遇ですね。私も同じことを思っていましたわ」
ニコニコと笑うセシル。
アーサーは戸惑ってから、困ったように前髪を掻き上げた。
「そうだな。……今のは僕が悪かった。目標のために頑張っている君を応援したい。これが本音だ」
いつもと違ってセットしていないアーサーの髪が、サラサラと風に靡く。
「……ふぅん。へぇ。まあ、私も手伝ってもらっているのに、意地悪かったです。ありがとう、ございます」
素直に言われると案外恥ずかしいもので、セシルはアーサーから目を逸らした。
「……どういたしまして」
アーサーは下を向くと、無言でカンカンとペグを打ち込んだ。上から見える彼の首筋は、やや赤く染まっている。
そうして数十分が経つと、無事にテントを設置できた。
「よ〜し!」
セシルは持参の壊れかけた変換装置をテーブルの上に広げて、工具を握りしめた。
「さて、援助にカウントされないくらいのお仕事をお願いしますわ、風紀委員会の副会長様」
「は?」
ニマニマ笑うセシルをみて、アーサーの本能が警報を鳴らした。
★★★☆☆☆
夕方。
広場には見物客でごった返している。
しかし、やはりと言うべきか、セシルたちがいるハズレにはあまり活気がない。
セシルはテントの前に移動したアーサーに目をやり、合図するように頷いた。アーサーは半眼になりながら呟いた。
「あぁ、すごい。懐中電灯が、5分で直った」
「……ちょっと、真面目にやってください。私を応援したい、そう仰ったのでしょう?」
「応援したいとは言いたが、詐欺に協力するとは言っていない」
「シーっ!」
セシルは前屈みになって、アーサーに耳打ちした。
「失礼ね! 修理の腕は本物ですから、詐欺ではありません。修理費が安いのも本当です。これは人々の生活費のための実演販売。そう思って、もう少し気合入れてくださいません?」
「…………さすがに詭弁だろ」
ぶつぶつ言いながらも、アーサーは深呼吸して同じセリフを繰り返した。
「ああ、すごい! 懐中電灯が、5分で直った!」
声は大きくなったが、棒読みであることに変わりはない。
セシルは諦めて、自分で元気いっぱいの声を張り上げた。
「この通り、どんな変換装置も修理できるわ!」
言いながらチカチカと懐中電灯を開閉して、光で人々の注意を惹きつける。
「へえ、君は若いのに、変換装置の修理ができるんだ?」
「ええ、できるし、上手いわよ」
「本当か? なら、これを直してみろ」
脚本通りのセリフをアーサーが無表情で言う。
そして差し出されたライターをセシルが受け取ると、開閉板を親指で数回ほど弾き、火がつかない実演を人々に見せた。
「故障ね。すぐにできるわ……ほら、できた!」
「おお! 1分でできたぞ! すげぇ!」
偶々見ていた野次が感嘆の声を上げた。
「なになに? なんの人だかり?」
そろそろ人が集まってきたタイミングで、セシルはより一層元気な声で言った。
「変換装置の修理を期間限定で請け負っているわ! 記念に先着40名様には特別価額で修理する。そう、店舗価格の半分以下よ!」
「マジか、やっすぅ! じゃあこれ頼むぜ!」
「待って! 私が先に来たのよ! あなた、家に帰って扇風機持ってくるのよ! あと自動掃除機も!」
「えぇ!?」
≪期間限定≫、≪先着順≫、≪特別価格≫。
さすが商家の娘というべきか、人心掌握のプロである。
人気のなかった広場のハズレが、瞬く間にひといきれに満ちていく。
やがてセシルだけでは対応しきれず、アーサーが接客役に回った。
仕込み役であったことも、誰1人覚えていないらしかった。アーサーは複雑な心境で、整理券と料金の精算を淡々と行った。
★★★☆☆☆
「ふぁあ! 疲れましたね!」
深夜。テントの回収作業を終えて、2人は校内に戻った。
夜風に揺れる針葉樹の道は、思いの外心地よかった。
「ほとんど小物とはいえ、100人くらいは対応しただろう。腕だけは本当に確かのようだな」
「うふふ〜ん、そうでしょう? 腕には自信がありますわ」
意地悪のつもりが満面笑みに迎えられて、アーサーは困ったように笑った。
「君は本当に変換装置が好きなんだな」
「ええ、大好きよ」
「即答か」
「当然ですわ! だって、自分が書いた数式が成功した時の感動が堪りませんもの! アイデアさえあれば何でも実現できますのよ? 可能性無限大。好きにならないではいられませんわ」
自慢げに語るセシルの横顔が、爛々と輝いてみえた。
可能性無限大。その言葉が、妙にアーサーの胸を躍らせた。
なんとなく視線を外せないでいると、2人の瞳がかちあった。
「……私の顔に何か?」
「あ? いや。素敵な考えだな、と……」
アーサーは誤魔化すように夜空を見上げた。
満月の光彩が黒い雲を流していく。
「明日は、もう少し気合を入れて客引きの役を演じよう」
アーサーは真面目な顔になった。
セシルはパチパチと目を瞬かせると、可笑しそうに笑い出した。
「ええ。ぜひ頼みますわ」
「……笑うな。僕は真面目だ」
「失礼、私も大真面目です。ぜひその演技を早く見たいものですわ」
「ああ、そうか。今のうちに笑うがいい、絶対君を驚かせてやる」
「あら、楽しみですわ。ふ、うふふふふ!」
「…………やっぱり笑うな」
「え〜、優柔不断な殿方ですね、心を決めてくだされ」
「だから笑うなって……」
「それを真面目なお顔で言われますと、うふふふ…… そんな怒った顔なさらないでくださいまし」
「…………」
アーサーが拗ねたように頬を膨らませた。
それがまた可笑しくて、セシルの楽しげな笑い声がしばらく続いた。
★★★★☆☆
翌日。
昨日より早めに設営を終えたセシルのテントの前に、1人の少年が仁王立ちしていた。
「おい! アンタが噂の修理師? 店より半額安く請け負うという詐欺師か!」
工具を整理していたセシルがピッタリと動きを止めた。そして、ぎぎぎと首だけ少年のほうを向けると、優雅な笑みを浮かべた。
「あら〜、ご機嫌よう。ご用かしら?」
「待て、セシル嬢? なぜそれを持っている? 下せ、……怖いから下ろすんだ!」
剛鉄のレンチを持ち上げるセシルの肩を、アーサーは焦って掴み止めた。
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