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△△△△△△
セシルとハインリヒの頭文字をとった『ハインセ数式』が正式に登録され、二人の名声は瞬く間に国内外を轟かせた。
「おお! よく来てくれた、セシル嬢。さあ、入って入って」
新学期の初日。
セシルは昼前に校長から呼び出しを受けた。
「…………失礼します」
セシルが校長室に入ると、校長は新聞紙を広げて興奮気味に見出しを指で辿る。
「これを見たまえ! ガーディアン新聞号外『ハインセ数式ーー新時代の大躍進』、とさ!」
「……嬉しいお言葉、光栄です」
「まだまだある! ほら見たまえ」
言いながら校長は次々とテーブルの上に新聞紙を広げていく。
「タイムズ新聞『グリーンウッド家の才女とアルマンの天才・ハインリヒが共同で新数式開発』、ディリー新聞『従来の常識を覆す天才的発想』……だとさ! 新聞各社が君たちの話題で埋め尽くされているのだよ!」
「……校長先生。矢継ぎ早に褒めるとさすがのセシル嬢も困ってしまいます」
校長の熱に気圧されるセシルをみて、隣にいるダミアンが苦笑いした。
「すまないね、先生は朝からこんな調子なんだ。まずは座って」
「……ええ」
セシルが対面のソファに座ると、ダミアンは温かい紅茶をそっと彼女に差し出した。
「先生が少し暑苦しく感じるかもしれないけど、そのくらい君の成したことが素晴らしいという証拠だ。改めておめでとう、セシル嬢」
「恐縮です」
差し出されたダミアンの手を、セシルは軽く握り返した。
「……それで、お呼び出しの要件をお伺いしても?」
「そうだったね。ほら先生。本題に」
「ああ、そうだ、本題! セシル嬢の貴重な時間を無駄にするところだった」
校長はソファに腰を落とすと、吸いかけのシガーを手に取った。
「気持ちを落ち着かせるためだ、気にしないかね?」
「もちろんです。どうぞ」
校長は早速シガーのエッジをカットして口に含んだ。
そして残煙を吹き出すと、ライターでチャカチャカと火をつけた。
セシルは一連の動作を興味深げに眺めた。
「……校長先生は変換装置を使われるのですね」
「ふふふん、よく気づいてくれた!」
校長はご満悦げに着火したばかりのシガーを置くと、部屋の隅を見るように示した。そこには空調装置が取り付けられてある。
「設置型の変換装置まで……?」
「それも最新型だ。今後は変換装置の時代がやってくる。校内の意識改善のためにも、私が率先して使うようにしているのだよ」
「……唐突ですね。貴族の反感を買うことになりませんか?」
「そのためにダミアン王子を同席させているのだよ。それが本題でもあるのだが……」
校長先生の視線を受けて、ダミアンがコクリと頷いた。
そして太ももの上に長い指を組むと、改めるようにセシルを見た。
「難しい政治話は長くなるから、君に協力して欲しい用件に絞って語ってもいいかい?」
「……ええ。それがお互いのためになるかと。それで、私に何を?」
「君が聡明で助かるよ。……単刀直入に言おう。君には今後の急進派と漸進派の架け橋になってもらいたい」
「……と言いますと?」
「簡単な話だ。今回の件に王家が水面下で協力したことにして欲しい」
「…………水面下」
「ああ。私の親友で側近のアーサーが君にずっと同行していたね? 王家が君を見守るために手配したことにできないかな」
「……断る権利はあるのですか?」
「当然さ。君が嫌がることはしない。そのための交渉の場だ」
「………………」
ニコニコと甘美な笑顔を崩さないダミアン。
セシルは場の温度感を確かめるように、ゆったりと紅茶をひと口啜った。
ほのかな甘い香りが鼻腔を抜けていく。
どうやら最上級の紅茶を用意してくれた。
先ほどのシガーの一幕もセシルの懐に入るために用意した小芝居だったのだろう。
『懐柔したい』という意図を隠す気もないようだ。
「……聞く準備はできていますわ」
「聞くのはこちらの役割だ。遠慮なく君の望みを聞かせてくれるかい?」
「なるほど」
王家がセシルから甘い汁を吸う腹積りなら、こちらも遠慮する必要はないだろう。
「些細な希望がたくさんありますの。聞いてくださいますか?」
「当然さ。君と王家が仲良くなった印でもあるからね」
予想どおり今回はセシルの機嫌をとる方針らしい。
ダミアンは甘い笑顔でセシルの要望をすべて聞き入れた。
★★★★☆☆
「自由研究権、実験所に暫定の研究室。設置型の空調装置に温水設備まで……さすがに欲張りすぎじゃないか?」
セシルの研究室を見回して、アーサーは呆れた顔をした。
「ダミアン殿下のご温情の賜物です。有効に使わせていただきますわ」
正式に研究室の建築許可が出たものの、研究棟が出来上がるまで林公園にある物置小屋を仮の研究室として使うことになった。
簡素だが必要な家具も揃えてくれて、研究室としての機能は果たせる。
セシルは運ばれてくるダンボールから厚めの本や工具を取り出しながら、それをせっせとテーブルの上に並べていく。
ダンボール運びを手伝いにやってきたウォルターはヨイショとダンボールをテーブルの上に置くと、袖で額の汗を拭った。
「セシルちゃんの実績がダミアン兄ぃと学校の箔付けになるし、むしろ安い方じゃん?」
「王家の者とは思えない発言だな、ウォルター」
「俺はセシルちゃんの味方だから〜。ダミアン兄ぃからも『セシル嬢と仲良くしろ』と言われたし」
「おい! それを言ってしまうのか……」
アーサーはチラリとセシルの反応を窺った。
彼女は困惑した表情になってウォルターを振り向いた。
「本当に言われたの?」
「真顔で言われた」
「…………すでに仲良いのに?」
「俺も同じこと言った〜! そしたらすんごぉい怖い顔になってさ、『真面目にしろ!』て怒られた。理不尽だろ?」
「それは災難だったわね……」
セシルは気にする様子もなく、手の作業を再開した。
同じクラスでずっと一緒に勉強してきた2人だ。このくらいのことで気まずくなることはない。
「……本当に仲が良いのだな」
「おや、嫉妬してるのかい、アーサー?」
ウォルターは自分の肩をアーサーの肩にぶつけて、ニカっと悪戯げに笑う。
「…………冗談も程々にしろ。風紀委員の仕事に戻る」
アーサーは仏頂面のまま、マントを翻すと外へ出ていった。
「あれ? 怒った? 怒ってるよな?」
「…………さあ? いつも機嫌悪そうな人だから」
「そりゃ間違いないね!」
あはははと陽気に笑うウォルターとセシル。
奥でダンボールの開封をしていたアンナはそんな2人の背中をみて、「はぁ……」と小さく首を振った。
◆◆◆◇◇◇
「セシルちゃん、何作ってんの?」
「秘密」
「ええええ〜〜、もう1ヶ月も作ってるじゃん。それ、発明大会用の変換装置でしょう? 気になるぅ」
「来週には見せてあげるから、もう少し我慢なさい」
「むぅ、セシルちゃんのケチ、イジワル」
ウォルターは唇を突き出して、不満げな顔を作った。
仮の研究室を作ってから、ウォルターは足繁くセシルのところに通った。
最初は放課後だけだが、次第に休日も現れるようになり、気づけば入り浸る状態に加速した。
変換装置に興味を示し真摯に手伝ってくれるのは有り難い。
しかし、さすがの頻度にセシルも心配になる。
今までは放課後で遊ぶ約束をしても、せいぜい30分くらいで帰るウォルターのことだ。暇というわけではない。
「ーーーーえ! 今までダミアン殿下の代わりに宴会やサロンに強制参加させられていたの!?」
思い切って理由を聞いたは良いが、ウォルターから返された予想外すぎる答えにセシルは驚愕を露わにした。
「そそ、ひどいよねぇ? 貴族たちの厳しい視線で俺のヘラヘラ根性を直すってさ」
「…………あまり効果的とは言えないわね」
「だって俺ヘラヘラしてないもん。この間だって第二言語は満点取ったし」
「それ以外は合格ギリギリだったけどね」
「赤点じゃないだけ褒めて?」
にひひひと白い八重歯を見せて笑うウォルター。
まさにダメな弟の模範のようなウォルターのことだから、ダミアンも彼を更生させるために色々と苦心しているのだろう。
とはいえ、もといーーだからこそ、まさかウォルターがダミアンの指示どおりに公務に励んでいたとは、セシルは俄かに信じられなかった。
「ウォルターはサロンや宴会が好きなの?」
「え!? あんなつまんない行事を、俺が!?」
「…………そんな悲壮な表情しないでちょうだい。あなたが積極的に参加していたようだから、気になっただけよ」
「ダミアン兄ぃは鬼だから、俺が断ったら当日に怖そうな護衛を送りつけて連行されていくんだよ」
「本当に強制的なのね……」
「そうなんだよ〜」
ウォルターは額に手を当てると、芝居がかった動作で椅子の上に倒れ込んだ。
「それで寝不足になって授業にも出られないんだよね〜」
「さすがに嘘でしょ」
「本当だって〜。でも今はセシルちゃんの手伝いで忙しいって言えば許してくれる」
「……つまり避難所として使われていたのね」
セシルにジト目を向けられるが、ウォルターは悪びれる様子もなく笑顔を浮かべた。
「俺は宴会よりセシルちゃんと居るのが好きだよ」
「…………まあ、光栄だこと」
「えぇ〜〜、冷たいなぁセシルちゃん。もっと喜んでくれてもいいのにぃ」
「あなたが授業をサボる理由にされているのに?」
「これはこれ、それはそれ」
「…………要はクラスに行きたくないのでしょう?」
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える〜〜」
ウォルターはニカって笑うと、途中まで作っていた我流の変換装置の作業を再開させた。
ウォルターは勉強自体が嫌いというわけではない。
むしろ要領がいいほうで、変換装置の知識も凄まじい勢いで成長している。
どうしてここまで出来の悪い生徒を演じる必要があるのか。
セシルは不思議で仕方がないが、いつもウォルターにはぐらかされて理由を教えてもらえることはなかった。
◆◆◆◇◇◇
新学期が始まって、いよいよ1ヶ月半が経つ。
セシルが発明大会に向けて作っていた作品のお披露目会を兼ねて、学校内に小さな祭りが開催された。
「セシルちゃんの研究を学校が全面的にサポートしてる〜って圧がすごいね」
ウォルターはテーブルの上に座り、足をぶらぶらさせながら研究室の窓から外を見た。
林公園の広場には全校生徒が集められ、皆レジャーシートを敷いて大人しく座っている。
先生や風紀委員会の者たちには仮のベンチが設けられ、数列に分けて正座している。そこにはアーサーとダミアンの姿もあった。
「変換装置の発明に成績の点数が付かないのが納得いかないけどね」
「それを認めたらセシルちゃんはもう研究室から出なくなるだろ?」
「そのほうが皆のためになると思うけれど」
「何その危険人物のような発言!? 俺はセシルちゃんと外でも遊びた〜い」
「あなたがいつもそう言うから、今日は野外でやることにしたのよ」
「嘘ばかり〜、その装置は野外専用って自分で言ったじゃん〜!」
むくれるウォルターを無視して、セシルはガチャガチャと製作した大きな変換装置の最終確認を行った。
そして無事にライトが付いたのをみると、満足げに丸い装置を2回ほど叩いた。
「……ほら、座ってないで運んで」
「重たっ! これを川の向こうまで運ぶの? セシルちゃん人使い荒い〜〜」
文句言いながらもウォルターは丸い変換装置を持ち上げると、専用の台車に載せた。
「これ、数式の鉄板が何個入ってる?」
「200くらい。少し気合い入れすぎたかしら」
「へぇ、想像できないけどすごいのできそうだな」
「ふふっ、失望はさせないわ」
「ひゅう〜! たっのしみ〜」
聞かれてもセシルはウォルターに内容を教えてなかったものだから、彼は待ち遠しそうな様子で台車を押し出した。
やがて定位置につくと、待機していたアンナが最終のセットアップを手伝ってくれた。
「ありがとう、アンナ。火力が強いから、安全な距離からお願いね?」
「わかってるわよ。あとは任せて」
アンナはセシルに遠隔操作用の機械を手渡すと、胸元の前でファイトのポーズを作って見せた。
「頑張ってね、セシル。ここからウォルターさんの驚く顔が見れないのは残念だわ」
「なになにぃ? 驚かせてくれんの、俺を?」
「ええ、セシルがウォルターさんを驚かせるために作った装置だもの。ウォルターさんのために作ったと言っても良いくらいだわ」
「やだアンナ、それはさすがに言い過ぎよ」
「いやいや、俺のためで確定だな、それ! 嬉しいな〜! 今年1番の驚く顔用意しないと!」
「何それ? ……ふふっ」
ニコニコとテンションを上げるウォルターを見て、セシルまで胸が躍り始めた。
そうしてアンナと別れると、セシルとウォルターは全校生徒が待機している広場へと向かった。
「セシルちゃん、絶対俺を驚かせてよ!」
「分かったってば」
セシルが可笑しそうに笑うと、ウォルターと別れて簡易的なステージの上に登った。
そうして校長とダミアンも壇上に上がると、ややラフな開幕の挨拶をしてくれた。
「ーーさぁ、あとは君に場を譲ろう、セシル嬢。全校生徒を代表して、君に祝福を」
「ありがとうございます、ダミアン王子」
セシルは参加者に礼儀上の言葉を一頻り伝え終えると、一呼吸を置いてからステージの前へと一歩踏み出した。
「最後にこの装置のインスピレーションをくれた人に謝辞を」
セシルの言葉に応じて、周囲からパチパチと澄んだ拍手が送られる。
レジャーシートの上に胡座をかいているウォルターは手を高く上げて、「ヒュー!」とひときわ大きな喝采声を上げた。
その光景にセシルは笑いながら、彼を指差した。
「ウォルター、ありがとう!」
「????」
一瞬にして周囲の音が掻き消えた。
全校生徒の視線がウォルターのほうに注ぐ。
ダミアンも怪訝な顔でウォルターをみた。
当のウォルターはよく分からない顔をして、指で自分を差した。
「……俺?」
「ええ、あなたよ。世界にこんな美しいものがあると教えてくれてありがとう。これはあなたへのお礼よ。ちゃんと見なさーい!」
操作ボタンを空高く持ち上げると、セシルはポチっとボタンを押した。
すると瞬時に周囲のライトが全部消えて、林公園に夜の帳が下りる。
たまゆらの静寂ののちーー
ヒューッ、……ドン!!
ドン、ドン、ドン!!
夜空を照らす大きな花が咲き乱れた。
◆◆◆◇◇◇
全校生徒は感嘆の声を溢しながら、色とりどりの花火を見上げた。
玉の数はかなりあるため、10分くらいのショーが観れる。
セシルはステージから降りると、ウォルターの側へと近づいた。
彼は立ち上がったまま、踊る夜空をじぃと見つめている。
その青い瞳の中にはキラキラと明るい花が咲いては散ってゆく。
「ほら、驚かせたでしょう?」
「うん。…………めっちゃくちゃ驚いてる」
「きっかけはウォルターがここで見せてくれた娯楽魔法。ほら、杖の先端で火花を散らすあれよ」
「…………覚えてる」
「本当? 分かるの?」
「だって、俺の好きな色になってるから……」
花火から目を逸らさないままウォルターが呟いた。
セシルはクスリと小さく笑った。
「ふふ〜ん。よく気づいたね。再現度高いでしょう? 色を頑張ったのよ」
「………………」
ウォルターはセシルのほうを見た。
その目は何故かうるうると濡れている。
「……本当に俺のためだったんだ?」
「嘘、泣いてる?」
「ちがう。…………ゴミ。ゴミ入った……」
ウォルターは手のひらで顔を覆うと、袖で目元を拭った。
セシルはドンと自分の肩をウォルターの肩にぶつけた。
「いいのよ、泣いてくれても。私が何ヶ月も頑張って作ったのだから」
「…………何ヶ月も?」
「前期の期末の課題から演算を始めたのよ」
「盗まれたやつ……?」
「そうよ。あれは再計算するきっかけになったから良いのだけれど、夏休み中に実験してみたら爆発して、案外苦労したのよ? …………聞いてる?」
「………………」
ウォルターは無言のままじぃとセシルを見つめた。
彼の背後を彩る花火がきらりきらりと空中を泳いでいる。
「……ウォルター? ねぇ、どうした?」
「いや……、本当に頑張ってくれたんだなぁって、……あの一瞬の魔法で、ここまで覚えてくれて、……なんか嬉しいなぁって、俺をちゃんと見てくれてるなぁって、思って……」
すぅうと一滴の涙がウォルターの頬を伝った。
セシルは嬉しそうに笑うと、指でその涙を拭った。
「アンナちゃんにウォルターを泣かせちゃったって言わなきゃ」
「………………ふっ。ひっどぉい!」
八重歯を出して笑ったウォルターの背中を、一際大きな花火が照らした。
最後の花は色を変えながら散っていく。
再び宵闇に包まれたセシルの四方から、どっと生徒たちの凄烈な拍手喝采が沸き起こった。
◆◆◆◆◆◇
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