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★★★★☆☆
作品の披露目会が大成功を収め、いよいよセシルは発明大会へと出立する。
大会の規約に従って、旅費はすべてセシルが自力で用意した。
乗り慣れた1等船室が縁遠いものになったが、他人と部屋を共有するのは中々不思議な体験になった。
1週間ほどの旅路を終えて、到着したのは10年ぶりのアルマン。
正午とは思えないほど、どんよりした暗い空。
重たい雲の後ろに隠れる太陽を見上げながら、セシルはアルマンの冬の厳しさと懐かしさを思い起こした。
「セシルちゃんの宿は……村の中心だっけ?」
地図を片手に、ウォルターがキョロキョロと周囲を見回す。
安い船旅は危ないからと、ウォルターはセシルに同行してきた。
部屋は隣同士。
泊まったのは狭雑な3等船室だったが、中途半端な清潔感があった。
周囲一体を含め、異様に配慮深いルームメイトたちも実は王家の手配だと分かるにはそう時間を要さなかった。
王家が動かなければセシルの実家が動いていただろう。
この結末は予想の範囲内だ。
金銭的な支援は実際に受けていないから、大会の規約に抵触していない。
とはいえ、セシルとしては複雑な心境だ。
「宿まで付いてくる気なの?」
「当たり前じゃん。一緒に泊まるんだから」
「……村の宿よ。本気なの?」
宿の施設を貸し切りすることはできても、中の設備まで変えられない。
「船と違ってシェフは入れられないと思うわよ」
「料理はいいけど、寝床がな……」
年単位で部屋に蓄積した汚れが数日の掃除で綺麗さっぱりになるはずもない。
慣れない環境で寝泊まりしたウォルターの首に赤い発疹ができていた。
セシルの腕にも同じ症状が出ていて、実は彼女も不安を感じている。
「気合いで行けると思ったけれど、案外身体にくるものね」
「だな……」
セシルは痒み出す腕を軽く摩ると、ウォルターの首をチラリとみた。
「つらいでしょう? 一緒にいてくれるのは嬉しいけれど、無理はしないで欲しいわ」
「だってセシルちゃん1人だと心配だもん。なあ、アーサー?」
「ああ」
仏頂面でアーサーが頷く。
彼は生徒の安全を見守るという名目で同行している。
いわゆる学校のお目付役だ。
「どうしてあなただけ健康体ですの……」
「……野営をよくやっていたから、かも」
「アーサーのお爺は狩猟好きだからな〜」
ウォルターはアーサーの肩に腕を回すと、ニッカリと笑った。
「キャンベル家の領地は綺麗な滝が有名だよ。いつかセシルちゃんを連れてってあげなよ」
「彼を困らせないでウォルター。招待されるほどの仲ではないのよ」
領地への招待は親密な証。
セシルとアーサーにはそれなりの交流があるものの、『親密』というわけではない。
アーサーは歩く足を止めると、不機嫌そうな顔でセシルをみた。
「招待は『関係性を育みたい』時でもする」
「…………え?」
アーサーはよく分からない顔のセシルから目を逸らしながら、ぶつぶつと補足した。
「領地への招待状を出せないほど、仲悪くもないだろ?」
「…………っ」
拗ねて見えるアーサーの言動に、なぜかセシルの胸がキュンと跳ねた。
セシルは慌てて熱い顔を隠すと、「ま、まあ……」と舌先で誤魔化す。
ウォルターはそのやり取りを奇妙な表情で眺めた。
そして急に自分の胸元を押さえると、「……あれ??」と訳のわからない顔になった。
「どうしたの、ウォルター?」
「……いや、なんでも」
「そう? じゃあ急ごう。冬はすぐに暗くなるから」
セシルが歩き出すと、アーサーも黙って付いて行った。
ウォルターは2人の背後を見つめながら、胸元のシャツをぎゅうと握りしめた。
どうやら苦しく感じるのは幻ではないらしい。
「……………………マジか」
ウォルターの口から漏れた白い呟きは、冷たい風に溶けて消えた。
◆◆◆◆◆◇
「宿に泊まれない、ですって??」
3階建ての宿を前にして、セシルは追い出しを喰らった。
いわく住民の1人が喀血したらしく、宿泊は自己責任で頼むと言う。
10年前に流行り病で多くの犠牲者を出したアルマンだ。
病気の拡散については敏感である。
他の旅人のことは知らないが、実家から派遣された従者たちはセシルの宿泊を厳禁としており、別の宿を急きょ探すことになった。
とは言っても、少ない旅資金で泊まれる清潔なところなど、見つかるはずもない。
「…………もう野営するしかないわね」
「本気で言ってるのか?」
「あなたの野営スキルが役立つ日が来たわけですわ」
「……ウォルター、お前の友人に現実を教えてやってくれ」
おう! とウォルターはセシルの前へ出ると、芝居がかったそぶりで言った。
「寒くてやばい時は、ダンゴになって寝るといいってさ」
「…………お前に期待した僕が悪かったよ、ウォルター」
「又いつでも頼ってくれ〜!」
ため息をつくアーサーに、いひひと笑うウォルター。
解決策が見つからず3人がわちゃわちゃしている間に、見知った声が聞こえた。
「冬のアルマンは本当に寒いですよ、セシル」
「ハイン……!」
セシルはハインリヒが見えると、嬉しそうに飛び上がった。
そのまま2人は友好的な抱擁を交わす。
あいさつ程度の軽いものだが、2人が親密である証だ。
「本当に野営するならテント貸してやってもいいぜ」
「こら、ノア」
ハインリヒについてきたノアが腰に手をかけて、イタズラげに笑った。
「失礼だよ、ノア。挨拶は?」
ハインリヒに注意されて、ノアはムッとした。
しかし兄に怒られたくないのか、不承不承な態度で言った。
「…………こんちは」
「ご機嫌よう。(やればできる子じゃない)」
セシルが流暢なアルマン語で意地悪っぽく言うと、ノアはブーッと不満げに唇を突き出した。何だかんだで仲良くしている。
「フォークトさん」
「どうも、キャンベル様」
アーサーとハインリヒも横で軽めの握手を交わした。
それを見たウォルターがわざとらしく自分のコートを整えると、ニコニコとハインリヒに手を差し出す。
「やあ、俺はウォルター。セシルちゃんの弟子だ」
「何言ってるの、ウォルター」
「嘘じゃないさ。変換装置について教えてくれてるんだろ? 俺、この間青色の光球を作ったぜ」
「青色!」
ハインリヒが感心したようにウォルターをみた。
「光球では珍しい色ですね」
「青が好きなんだ。照らしても何も見えないけどな!」
あはははと笑うウォルターにつられて、ハインリヒも楽しげに笑った。
挨拶もほどほどに、なぜセシル達の居場所が分かったかと聞くと、どうやらグリーンウッド家の者から連絡があったらしい。
よかったらハインリヒの住む場所にと誘われて、最初こそ拒むセシルだったが他に選択肢がないのも事実。
ならせめて宿と同じ料金を払わせて欲しいという条件で、一行はハインリヒの自宅に移動した。
◾️◾️◾️□□□
柵に囲まれた広い敷地内は、観賞用の木々や花壇で整理整頓されている。
2階建ての家を中心に、作業場や資材置き場らしき建物が近距離で建てられ、家の後ろには小さな畑まである。
慎ましくも豊かな暮らしだ。
大会が開催される村にこんな立派な家があるということは、街にも屋敷があるということだろう。
「まあ、ハインもお金持ちの平民でしたのね」
揶揄うようなセシルの言い草に、ハインリヒは困ったように笑った。
「ここの家主はそうですが、ボクとノアは違います」
「あら、ここはハインの家ではなくて?」
「ボク達の家でもありますが、なんと言うか……」
「はっきり言えばいいじゃん、アニキ!」
ノアが前へ躍り出て、はっきりした声で言った。
「オレたちは孤児だ。ここに住まわせてもらってるだけ」
「ノア! その言い方はよくない。家族として接してくれてるだろ?」
「………………はん、家族なんかっ」
ノアは言葉の途中でぷいとそっぽを向いた。
それに対してハインリヒが口を開きかけた時、家の扉が開いた。
中から現れたのは、長身細身で優しそうな中年男性だった。
「ノアを叱らないでやってくれ、ハイン。家族はなろうと思ってなれるものじゃないから」
「ニコラスさん……」
ハインリヒは黙りこくるノアをチラリと見てから、ニコラスに向き直った。
「こちら、セシルとそのご友人です。ウォルターと伯爵家のキャンベル様」
「やぁ、友人も一緒だったのか……」
ニコラスは急いで着替えたのか、服装がやや乱れている。
黒い髪の毛も少しだけモサモサと跳ねており、丸い金縁のメガネの奥に見える金色の瞳の下には、黒い隈がくっきりと刻まれている。
「こんな身なりですまないね」
ニコラスはやや困ったような顔を作ると、優しい手つきでセシルの頭を撫でた。
親密すぎる行為にノアとアーサーが神妙そうな顔になる。
「久しぶり。大きくなったな、セシル」
「………………」
セシルは目を大きく見開いたまま固まっている。
ニコラスから漂ってくる濃厚なカフェインの匂い。
暖かくて大きな手。
病気ではないのに色白で、どう見ても不健康そうな顔。
ーー憔悴しているところ以外すべて記憶の中のままだった。
「…………おじ、さま?」
「また会えて嬉しいよ、セシル」
「…………っ!」
セシルは手に持っているトランクケースを落とすと、ニコラスの首に抱きついた。
◾️◾️◾️□□□
セシルが幼い頃、事業に忙しい両親は彼女をアルマンの祖父母家に預けた。
そこで一緒に暮らしていたのがニコラスだ。
優しくて面白い叔父に、セシルはとにかく懐いた。
変換装置に熱を上げるニコラスの作業を手伝い、たまに市場へお出かけするのがセシルの幸せな日常だった。
10年前の流行病で祖父母が死に、セシルがオングレに強制送還される、その日までーー
「温かいミルクでいいかい?」
「ええ。ありがとう」
夕食を平らげた食卓の席で、セシルはニコラスからコップを受け取った。
「シナモンが少し香ります。懐かしい……叔父様のミルクですわ」
「う〜ん、残念だがこれはお牛さんのだよ」
「……ほあ!」
ぽふっとセシルの顔が真っ赤になった。
「も、もう! その変な揶揄い方やめてください、私はもう立派なレディですわよ!」
「あはは、そうだった。ごめんごめん」
セシルが恥ずかしそうに頬を膨らませてから、思い出すように両手を叩いた。
「そういえば叔父様、冬の感謝祭も近いから行きましょう! またキャラメルナッツが食べたい」
「懐かしいな……。でも、途中で疲れてても肩車はできないよ?」
「は、恥ずかしいこと言わないでくださいってば! 友人の前ですから……」
「あ、すまない。配慮が足りなかったね」
ニコラスは申し訳なさそうに後頭部をさすった。
ウォルターはムクれるセシルをまじまじと見て、つい感嘆の声を漏らす。
「強気じゃないセシルちゃん新鮮かも……」
「何よ、ウォルターまで私を揶揄うつもり?」
「誤解だよ〜。俺いつも本気で可愛いと思ってるから……あれ」
ウォルターの声が急に小さくなって、顔がみるみる赤く染まっていく。
「どうしたの?」
「べ、別に!」
ウォルターはふるふると首を振ると、ニコラスのほうに身を乗り出した。
「それより俺も冬の祭りに行きたい! なあ、ニコラスさん、セシルちゃんの肩車は俺に任せて!」
「ちょっと、やっぱり揶揄ってるのね、ウォルター!」
セシルはテーブルを軽く叩いて不満を表明した。
ニコラスは爽やかな笑声を上げると、ハインリヒとノアのほうを見た。
「ハインとノアも一緒に行こうか。祭りはあまり行ってないからな」
「そうですね。ニコラスさんはいつも研究で忙しいですから」
笑顔で対応するハインリヒの横で、ノアはぷいと顔を逸らした。
「……やだ。行かない」
「ノア、いい加減にしろ」
「行かないったら行かない! どうせあっちのが本当の家族だろ! 何年も会ってくせに、オレたちよりも語れる思い出があってさ! 2人きりで行けば!」
「こら、ノア! ……ノア!」
ノアが食卓を飛び出ると、階段を駆け上がって扉を強く閉めた。
ハインリヒは困った顔で立ち上がった。
「すみません、ニコラスさん……」
「気にするな、ハイン。今は放っておいておこう。あとで私のほうから話してみる」
「…………分かりました」
ハインリヒはひどく落ち込んだ顔で、再び静かに座った。
◾️◾️◾️□□□
食事が済むと、ニコラスは仕事の続きがあると作業場に閉じこもった。
アーサーとウォルターは宿代を受け取ってもらえなかったため、代わりに薪割りの役を請け負った。
とは言っても、やり方が分かる感じではなく、どこかぎこちない。
せっせと薪を持ってくるウォルターは手伝っているふうに見えるが、アーサーの邪魔をしているようにも見える。不思議だ。
セシルは窓から外の2人を呆れたように眺めながら、乾いた布でハインリヒが洗った皿を拭いていく。
「これでいいのかしら?」
「ああ。いい感じです」
セシルとて家事とは無縁な暮らしをしてきたのだ。
ハインリヒの指導の下で手伝っている。
「でもまさか、ハインが叔父様の養子だったなんてまだ信じられませんわ」
「……正確に言うと養子ではない。ほら、ボクは『フォークト』ですから」
「あれ、でも子供の時から一緒に暮らしてきたんでしょう?」
「ボクは9歳の時、ノアが3歳の時に引き取ってもらったんです」
ハインリヒとノアの親は流行病で亡くなってしまい、面倒を見てくれる親戚がいなかった。
2人は教会に送り込まれたが、ニコラスと縁があって今日に至ったと言う。
「実は、ニコラスさんがボク達を引き取るのに抵抗していました」
教会の司祭がすぐにハインリヒの才能を見出して、ニコラスに相談を持ちかけたが何回かやんわりと断ったらしい。
ニコラスは教会に多額の寄付をしているから、たまに会う機会がある。
司祭が諦めないでくれたこともあり、2人はニコラスの家に数日泊まることになったそうだ。
「散らかった家だったのですが、教会よりも不思議と温かみがあったのです」
3人だけで囲む食卓がこじんまりしていて、なんとなく料理が美味しく感じた。
それでノアがすっかりニコラスに懐いてしまい、もう教会に戻りたくないと大泣きした。
ニコラスもさすがに可哀想と思ったようで、それからずっと一緒に暮らすようになったのだ。
「……あのノアが、叔父様に懐いて?」
「あはは……、ノアはニコラスさんが大好きですよ。だから、養子縁組を結んでいなかったと知った時はショックだったのです」
ニコラスはあまり自分のことを語らないから、2人は彼がグリーンウッド家の人だとも知らなかった。
数ヶ月前にとあるきっかけでオングレへ行くことになり、ハインリヒは初めて彼の家名を知った。
そしてもらった渡航券にある自分と違う家名であることから、養子縁組が組まれていないことが分かったのだ。
「ノアは養子縁組のことばかりがショックで、同じグリーンウッドのあなたとニコラスさんの関係性に気づいていなかったようですけど」
ハインリヒが可笑しそうに笑うと、鉄鍋をゴシゴシと磨いた。
そしてしばらくすると、小さく肩を落とした。
「実を言うと私も少し羨ましかったのです。あなたとニコラスさんが、本当の家族ですから……」
「ハイン……」
セシルがハインリヒの肩に触れようとしたが、さりげなく避けられた。
「……どうして、連絡しなかったんです?」
「え?」
「ニコラスさんがこの10年間、ずっと1人だったんです」
ハインリヒが力強い声で聞いた。
責めるような声色には、ニコラスへの深い敬愛がこもっていた。
「………………」
セシルは下を向いたまま、ボソッと言った。
「取りたくても、取れなかったのです。それが叔父様からの願いなの……。会う準備ができるまで1人にして欲しい、と」
「……………………」
静寂が流れた。
ハインリヒは桶の水を捨てると、腰のタオルで手を拭いた。
「風呂の湯を用意してきますので、また声をかけます」
「…………ハイン!」
去って行こうとするハインリヒの背中に、セシルが声をかけた。
「叔父様が1人で居たい理由が、気になりませんの?」
「…………そうですね」
ニコラスが毎朝欠かさず通っている墓があることを、ハインリヒもノアも知っている。
彼が家族にすら会いたがらない理由があるとしたら、その訳を敢えて聞くまでもないだろう。
「こう見えて7年も一緒に暮らしたんです。ニコラスさんのことは意外と知っています」
ハインリヒの淡い微笑みは、誇らしくも、悲しげにも見えた。
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