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 異物混入の事件は糸口を掴めないまま、試験結果の発表日を迎えた。生徒は総合順位の順で名を呼ばれ、教壇にいる先生から成績表を受け取る流れだ。 「セシル・グリーンウッド」 「はい」  第一声で呼ばれたセシルに、クラス全員の視線が集まる。  彼女は背筋を伸ばして先生から成績表を受け取ると、淑やかな歩調で自分の席に戻った。 「グリーンウッドさん、本当に綺麗……」 「美しくて勉強もできるなんて、カッコ良すぎですわ!」 「くぅ! 声かけてみたい!」 「は、お前にゃ無理だよ(笑)」  クラス中がボソボソとセシルの噂話で充満する。その時、セシルの耳たぶに熱い吐息が吹きかかった。 「! ……ウォルター!」    セシルは飛び出そうになった悲鳴を飲み込んで、振り返った。  至近距離にいるウォルターは、いひひといたずらっ子のように笑った。  後ろの席にいる彼が、首を伸ばしてイタズラしてきたのだ。 「ごめんごめん! 自分の噂話を真剣に聞いてるセシルちゃんが可愛くて、つい」  かぁぁぁぁあとセシルの顔が真っ赤になった。  セシルは完璧な自分を演じるのに人生を捧げているのだ。  クラスメイトの自分に対する評価を聞かなければ、改善することもできない。噂をしっかりと聞くのは至って合理的な行動で、何一つやましいことはない。それなのに……   「べ、別に、聞いてなんかなくてよ……」  衝動的に否定してしまう。ウォルターはそっぽを向くセシルの顔をジロジロと見て、喉の奥で笑った。そして自分の成績表を取り出すと、それをセシルに見せた。 「見て見てセシル先生、第二言語が満点だよ〜!」 「本当だわ! 授業サボりがちなのに、不思議ね」 「セシル先生のノートを煮て飲みました」 「高級インクのお味は口に合いまして?」 「絶品だった!」  いつものように戯れあって、2人は小さく笑う。  アンナは頬杖をついて、ニマニマと言った。 「何だかんだで仲が宜しいのね」 「まあ!」  セシルは口元を押さえた。 「嫉妬してるのアンナ? 珍しい」  後ろのウォルターも身を乗り出して、芝居がかりで言い添えた。 「あ〜、セシルちゃんに構ってもらえなくて、寂しかったんだなアンナ嬢」 「まるで捨てられた子猫のようね」 「オングレの冷たい雨に打たれて、嘆かわしいかな」  リハーサルでもしてきたかのように、2人は乾いた目元にハンカチを押し当てた。アンナは目の前で展開された安っぽいオペラを半眼で眺めつつ、呆れたように首を振る。 「厄介なコンビね。もう余計なことを言わないわ」  それから勝ち誇ったように笑い出す2人は、授業後に呼び出されて怒られた。 ◆◆◇◇◇◇  セシル、アンナは、学年成績の上位2位を陣取った。そのお祝いとして、ウォルターも交えて学校裏の林公園でお祝いする流れになった。  セシルとアンナは飲み物。ウォルターは軽食を持参して夕方に集合する。  時間になって約束の場所にやってきたウォルターは、セシルの背後に立つアーサーとダミアンをみて、がっちりと固まった。 「えっとぉ……、アルコールは俺のアイデアじゃない」 「誰も持ってないわ!」  セシルが大声で突っ込んだ。  ダミアンは呆れたように肩を落とすと、説明をアーサーに任せるように彼の肩を叩いた。  日焼け止めの一件以来、セシルは風紀委員会の保護対象になった。  犯人が見つかっていない以上、セシルは大人しく寮にいるべきだ。  そう勧告しに来たダミアンとアーサーを、セシルは校則に(のっと)って論破し、そこにウォルターがやってきた流れだ。  寄宿学校には、ある上級階級の学生しか在籍していない。故に当然、イジメのような醜聞は存在しない。それに、校内は平等な環境と自立を訴えているから、個人の護衛やメイドは禁止されている。  そこで生徒間のトラブルを穏便に解決するのが、選ばれし風紀委員会の役割だ。 「学校からの名誉ある指名とは言え、家柄、成績、品行方正な方は大変なのですね」  在籍生徒の憧れの的である風紀委員だが、実質は学校の雑務係。  セシルの嫌味を受けても、アーサーは素っ気ない表情を変えない。 「寮に帰りたくないなら分かった。どうしてもと言うなら、ここで君を見張る」  そう言ってアーサーはダミアンのほうをみると、彼はいつものように甘い笑顔を浮かべて、頷いた。 「お前が待つなら、私もここに居よう」  ダミアンは小さな本を取り出すと、座って読書を始めた。  アーサーはダミアンの隣に座り、じぃとセシルを見つめてくる。彼なりの仕返しなのだろう。セシルはムッと眉を結んだ。 「僭越ながら、内輪だけのパーティですけれど?」 「参加はしない。ここに座っているだけだ。校則にある個人ので、な」 「…………」  先ほど使っていたセシルの言葉をまんまと返された。  セシルは悔しげに歯噛みするが、ウォルターはスナックの袋を広げて、まあまあと宥める。 「見て、セシルちゃん。チーズ持ってきたから、食べよ?」 「…………」  怒ったら負ける気がして、セシルはアンナの隣に座った。  ウォルターが持ってきたのは、見た目からして高級なものだ。ナイフを入れた途端に、チーズの香ばしい香りが当たりを満たす。セシルはチーズを手に取り口に入れると、あっという間に濃厚な味が広がった。 「美味しいわ」 「な? 俺の大好物だ」  そう言って熟成チーズを口に入れたウォルターが何を思ったか、フォークで残りを刺すと、セシルの前に突き出した。 「焼いてみる?」   「……焼く?」 「チーズって熱すると溶けるだろ? 火で炙ったら美味しそうじゃない?」 「確かに!」  3人が同意して、なんちゃってキャンプのような雰囲気になった。  セシルは焚き火を起こそうとしたが、曇りがちな空のせいで地面がじめじめしている。魔素ライターで何度か着火してみたものの、火種はできなかった。見兼ねたウォルターは杖を取り出して詠唱すると、葉っぱが乾いて火を起こせた。 「魔法ってこんなこともできるのね」 「魔素変換装置も開発さえすれば同じことができるだろ? ねえ、セシルちゃん。そのライター貸して?」  ウォルターはセシルからライターを受け取ると、カチカチと付けた。  そして着火口から伸びる赤い火をじっと見つめて、しんみりと呟いた。 「すごいよな、魔素変換装置って。個人の力量に関係しないから、魔法よりいいよ」  王家の一員としてそんなこと言って良いものか。  セシルはチラリと背後のダミアンを見たが、彼はニコニコと笑うだけだった。アンナが空気を読んで、話題を逸らしてくれた。 「魔法は貴族の神秘で、人前ではあまり使われないものかと思ったわ」  ウォルターが可笑しそうに笑った。 「いやいや、生活魔法は普通に使うよ? 便利だからさ」  どうやら貴族は日常的に魔法を使うらしい。自宅には使用人がいるから、使う必要がほぼないけれど、寮では蝋燭の火を灯したり、部屋の湿気を排除したりと、生徒は普通に使っていると言う。セシルとアンナがあまり魔法を見たことがないのは、ひとえに貴族の友人がいないためである。    魔法を珍しがるセシルとアンナに気をよくしたのか、ウォルターはさまざまな魔法を見せてくれた。     水を出す魔法。光を出す魔法。  セシルの一番のお気に入りは、杖の先端で火花を散らす魔法だ。パチパチと白い火種が爆ぜて淡い光を作る、とても綺麗な魔法だった。しかし実用的ではないから、娯楽魔法の一種だと言う。 「なあ、アーサー! セシルちゃんになんか見せてよ」  アーサーはウォルターに眉を顰めて、首をふった。 「不必要に魔法を使う主義ではない」 「もう〜、堅物め。若い時は優しかったのにな〜」  肩を落とすウォルター。セシルは小さく言った。 「それはウォルターの幻想よ。昔も今も、変わっていないと思うけれど」 「あれれ〜、セシルちゃんは子供のアーサーを知ってたっけ?」 「し、知り合いではないわ……。一度顔を合わせただけよ」 「ふふーん?」  ウォルターは面白げに笑った。そしてセシルの耳元に顔を近寄ると、こそこそと囁いた。 「ここだけの話。アーサーはダミアン兄ぃと同い年だからさ、俺らのプレイメイトに選ばれて、6才の時から数年ほど城に住まわされたよ」 「ふぅん」  セシルは興味なさそうなフリを頑張ったが、やはり気になってしまう。 「ツテができるから、運がいいってことじゃないかしら」 「大人からすればな? でも子供は寂しがるもんだからさ、アーサーはよく泣いてたよ」 「……あなたがいじめたのではなくて?」 「え!?  この、天使のような、俺が?」  ウォルターは大袈裟に驚いた顔を作った。 「泣いたのは俺らのせいじゃないよ。アーサーにはすごい懐いていた乳母がいてな、会えーー」 「ウォルター、いい加減にしろ」  アーサーが立ち上がった。  声を上げたわけではないが、筋肉隆々の大男の圧は凄まじいものだ。水泳が得意なウォルターも決して細くはないが、野外スポーツを好むアーサーよりはスレンダーに見える。ウォルターは両手をあげて、降参のポーズを取った。 「ほらみてセシルちゃん、いじめられてきたのは俺の方だよ、ね?」 「…………」  セシルは聞こえないふりして、チーズを切り分けた。 「ほら焼くんでしょ? フォークで良くて?」 「焼く焼く! せっかくだから、もっと大きく切って!」  切り替えの早いウォルターは、一際大きく切ったチーズをフォークに刺した。ダミアンは立ち上がると、静かにアーサーの肩を叩いて座らせた。  チーズを火に炙るとすぐに溶けてしまい、フォークを伝ってセシルの指に落ちた。 「あつっ」 「あーあ! そうなるよな、ごめん!」  ウォルターはアワアワと皿を差し出した。  指に火傷する感覚はあったが、セシルは勿体無い一心でふうふうとチーズを吹いた。その時、背後からアーサーの詠唱が聞こえたかと思えば、セシルの手で溶けて垂れたチーズが、突然形を変えて、みるみる綺麗な丸い形になった。 「おぉ! ものを固める魔法、ナイスアーサー!」  残りのチーズもアーサーは魔法をかけてくれたらしく、丸い形になっている。これで焼いても溶けなくなるが、咀嚼すれば普通に食べれるらしい。  親指を立てるウォルターに、アーサーがため息をこぼした。  そしてセシルの顔を見ると、更に何かを呟いた。直後、冷たい風がセシルの指に吹きかかる。セシルの火傷の手当てをしてくれたようだ。 「不必要に魔法を使わないのではなくて?」 「……必要になったから、使った」  アーサーの表情に変化はない。  これも風紀委員としてやっているだけなのだろうか。  数ヶ月も同じ学校にいるのだ。アーサーの姿は嫌でもセシルの目に入る。非の打ち所がない真面目な姿を日々拝見すれば、彼がどんな人かくらいセシルも分かってくる。  セシルにやたらと当たりが強いのは単に毛嫌いからなのだろう。それでも義務感から恩を着せられてばかりは嫌だ。セシルはドリンクと軽食を皿に分けて、アーサーとダミアンの側に置いた。   「……ドリンクは、これで宜しくて?」 「内輪のパーティじゃなかったのか?」 「参加のお誘いはしていません。食べ物を分けているだけですわ」  セシルの後を追ってきたウォルターは、そだそだとヤジを入れた。 「くれぐれも勘違いするなよ〜、アーサー」  小さく笑ったウォルターはお詫び品とか言って、アーサーの皿に黒焦げになったチーズを乗せた。彼は呆れた顔をしてウォルターの肩を軽く押しのけたが、怒っているわけではないらしく、黙々とそれを食べた。そして不味そうな顔をした。  ウォルターは得意げな顔になって、ダミアンにも焦げた失敗品を載せようとしたが、兄の冷たい笑顔をみて新しいものに取り替えた。  セシルは火で炙ったチーズを、ビスケットに載せて食べた。焦げたところが少し苦かったけれど、思い出に残る魔法の味がした。
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