46人が本棚に入れています
本棚に追加
6
前期の中間試験が終わり、休みもなく生徒たちは期末に向けて勉学を励む。
新課程は座学に加えて、魔素実技の選択科目が新規に追加された。選べるのは魔法実技と魔素変換実技の2種類だ。
「セシルちゃんはどっちにする?」
授業中。
後ろの席のウォルターが、腰を伸ばしてセシルのチェックシートを覗き込んだ。
去年までは魔法実技の一択だったのだが、魔法が扱えないとそもそも土台にすら上がれない。それで学校側がわざわざ今年の新入生のために新科目を追加したのだ。
セシルはそんな新入生の代表であるから、最初から選べる立場ではない。それを分かった上で聞いてくるウォルターに、セシルは眉を顰めてみせた。
「決まっているじゃない。魔法実技よ」
明らかな戯言に、ウォルターがクスクスと笑った。
「じゃあ俺はセシルちゃんと同じ科目で」
貴族は魔法の力で長らく平民の上に君臨してきた。
その代表である王家の者として、ウォルターも最初から選べる立場ではない。選ぶ自由があるようで自由がないのだ。
人のことは言えないけど。
セシルが思い直して困ったように笑ったところ、ウォルターがニコニコと言った。
「記念に杖くらい作ってもらえば?」
「作って貰えるものなの?」
「体質に合わせての特注になるけど、すぐに壊れるから予備もあった方がいい」
セシルはパチパチと長いまつ毛を瞬かせた。
「……杖って消耗品なの?」
「困ったことにな。そこそこするのにすぐ壊れるから、魔法って効率悪いよ」
数ある下級貴族が、魔法を見せびらかさないのはそう言うことだったのか。
ウォルターやアーサーが気軽に使っていたのは、買い替えが問題ではないからなのだろう。セシルは一人で納得しながら、魔素変換実技の欄にチェックを入れた。
◆◆◇◇◇◇
「変換装置のコアだ~! 実物初めてみた!」
数種類の丸いコアを前にして、ウォルターは矯めつ眇めつ眺めた。
先週の授業でセシルと同じ科目にすると言ったのが本気だったようで、ウォルターは魔素変換実技のクラスを選んだ。
担当教師が仰天して再三確認したのは言うまでもない。念のため校長に確認しに行ったから、今はこの場に生徒しかいない。
そもそも、殆どの生徒が平民であるこの空間で、教室の中央にあるテーブルを覗き込む王子ウォルターの姿は、まるで異物のようにひどく目立っている。周囲の生徒はおっかなびっくりな様子で距離を取っているから、彼の周りはぽっかりと空いていた。
「ねぇねぇ、セシルちゃん。変換装置って組み合わせ次第で色んな魔法を出す感じ?」
他の生徒の視線など気にする様子もなく、ウォルターは鉄製のコアを手に持ってセシルに振り返った。その目がキラキラしていて、本当に興味があるようだ。
セシルの家業は変換装置の開発にも携わっている。
子供の頃から変換装置を愛でてきた者として、新たに興味を持つ人を蔑ろにすることはできない。
セシルは頭痛そうにこめかみの辺りを指で押し当てると、ウォルターからコアを受け取ってパカッと開けた。
「見てごらん。コアの中には数式が書き込まれてるの」
コアの内側には、細かい数字がぎっしりと彫り込まれていた。
「魔法はウォルターのほうが詳しいと思うけれど、……貴族は平民にはない特別な器官を使って魔素をエネルギーに変え、それを杖と詠唱で作用を起こしているのでしょう?」
「まあ、そんなイメージかな」
「エネルギー変換の4大元素は言うまでもないから省くけど、貴族の杖と詠唱の代わりにその出力をコントロールするのが、こちらの数式よ」
数式は言わば回路のようなものだ。
数字の信号に沿って魔素が火に変わったり、水に変わったりする。
魔法が高度になればなるほど、数式も複雑化していく。
ウォルターは真剣にセシルの話に耳を傾けて、たまには的確な質問も返してくる。どうやら入門知識はあったようだ。
「あ、あの……グリーンウッドさん」
セシルの説明を聞いて様子を伺っていた生徒の1人がおずおずと手を挙げた。
「セシルでいいわ」
「そ、そんな! 恐縮です……!」
セシルの実家はオングレ3大財閥の1柱だ。
貴族からすれば単なる裕福な平民にすぎないかもしれないが、同じ平民からすれば雲の上の人。気軽に呼び捨てなどとてもできない。
同じ学校だからお家の事情など忘れて対等に接してほしい。そう言いたいところだが、貴族が多く在籍するこの学校でそれを言うのはあまりにも烏滸がましい。
「せめて名前で呼んでくれると嬉しいわ。それで、質問かしら?」
女子生徒はあわあわと首をふった。
「セ、セシルさん……! その、数式ですけれど、量が多すぎてコアに収まらない場合はどうしましょう……?」
「いい質問だわ。コアの面積不足は研究者の長年の悩みだったのよ」
セシルが褒めると、女性生徒は分かりやすくはにかんだ。
従来のコアは、高度な数式に合わせて肥大化させていったのだが、それにも限界がきて新たに数式を開発するのが課題となった。
「複雑な数式の単体演算より、簡易な数式のグループ演算のほうが効率がいいって分かったの」
「へえ! それでこの1と0なんだ!」
ウォルターの存在に畏怖していた生徒たちだったが、説明を聞いていくうちに集中力が上がり、今は皆で中央テーブルを囲んでいる。
「これは旧式で、これが新式のコアか」
「だいぶ小さくなったんだな……」
「グリーンウッドって書いてる。これ、セシルさんのご実家の商品!」
先ほどの女子生徒の声に、周囲がわっと感嘆の声を上げた。
セシルがここに入るのに当たって、実家は当然ながら多少なりと学校に寄付している。それは金銭のみではなく、教材といった物資的な援助も含まれている。もっとも、グリーンウッド家は変換装置の開発のパイオニアだ。一般的な学校でも定番教材として購入されている。
「この数式は、人類史に残る大発明だって新聞で読んだことある!」
「発明家はセシルさんのご家族だって聞いたが、本当なんですか?」
「……ええ。私の叔父よ」
「へえ! セシルさんが詳しいわけだ!」
生徒たちの熱い視線と称賛に、セシルはやや恥ずかしくなった。ありがとう、と礼を言おうとしたが、その前にウォルターの声が響く。
「血縁なんて関係ないよ」
その声はいつもより落ち着いていて、凛としていた。見上げれば、そこには珍しくウォルターの真剣な表情があった。
「セシルちゃんが詳しいのは、本人がすごい努力したから」
「! も、申し訳ございません……!」
ウォルターに指摘された男子生徒は顔を青くして謝ってきたが、
「ふ、うふふ、ぷっふふふふふ!」
セシルの快活な笑い声に一同が目を見張った。セシルは堪えるように俯いたが、その肩はプルプルと震えている。大笑いである。
「そんなに笑うなよセシルちゃん、俺真剣にフォローしたのに」
「だって、ウォルターがカッコつけてるみたいだから、それが可笑しくって」
「あー! 思春期の男子にそれは酷くない!? 俺傷ついた。カッコつけてたけど傷ついた!」
「ごめん、笑うの止めるから、ちょっと待って……うふ、うふふふふ!」
一度ツボに入った笑いは簡単に止まるわけもなく、セシルは腹を抱えて涙目になった。
自分はグリーンウッド家の者だから、コアと数式に詳しいのは至極当然のこと。言われて嫌な気持ちになったことはないが、それでも個人としての努力を認めてくれたことには、少しだけ嬉しかった。
「…………ありがとう、ウォルター」
セシルは目尻の涙を拭いて、にっこりと笑った。
いつもの磨き抜かれた隙のない完璧なものではなく、白い歯をしっかりと見せた純粋無垢なその笑顔は、ウォルターを含め生徒全員の息を一瞬だけ奪いとった。
後に天使の微笑みだと囁かれ、セシルの7幻の1つになることは、まだ誰一人知る由もなく。
△△△△△△
「お前は何を考えているんだ、ウォルター!」
男子寮にあるダミアンの寝室。
呼び出しに応じてウォルターが部屋に入ってくるなり、ダミアンはテーブルを叩いて叱った。
貴族は神に選ばれし魔法の使い手。
平民との明白な上下関係を区分する従来の境界線が、魔素変換装置の開発によって曖昧になり始めている。
特にそれによって莫大な資本を手に入れ、今や財閥と呼ばれる新勢力に、貴族らが危機感を抱かないわけがない。
「セシル嬢にちょっかい出すのは百歩譲って目を瞑る。しかし、貴族の代表であるお前が、魔法を捨てて変換装置を選ぶなど、外でなんて囁かれることか!」
人前では甘い笑顔を絶やさないダミアンだが、気心の知れた弟に仮面をつける必要はない。
「貴族の代表はダミアン兄ぃだろ?」
あっけらかんと言ったウォルターに、ダミアンはより一層眉間に力を入れた。
「お前も王家の一員だ。政治のバランスを考えて行動しろ」
貴族は領地で決まった収入しか得られないものだ。
利益を望むのは二流という貴族の美徳、言ってしまえば建前を崩して商売に手を出すわけにはいかない。となれば、財閥とのレベルの差をつけるためには、税金で対策するしかないのだけれど、それをやりすぎた貴族の末路など歴史で嫌になる程身に染みて知っている。
いつからか一部の貴族は財閥に与し、貴族の魔法に頼る社会は時代遅れだと批判するようになった。言わば急進派の誕生だが、それが年々成長して、抜本的に排除することは難しい。今の王家は2つの派閥のバランスを保ちつつ、平和的な解決策を模索している。
「授業をサボってばかりだったお前が、急にセシル嬢と連んで勉強し始めたかと思えばこれだ! 一体何を企んでいる?」
「えー、別に企みなんてないよ? 俺はセシルちゃんと勉強するのが好きなだけ」
「嘘も大概にしろ。お前が急進派に接近しても、いいことはない」
ダミアンは決してウォルターのことを嫌っているわけではない。むしろ、2人は子供の頃は仲が良かった。
1才しか年が違わないが、ウォルターはダミアンよりも優秀で賢かった。
座学兵法においても、魔法においても、常に教師を驚かせた。
先に生まれたというだけで、ダミアンが王になることが不条理だと感じるくらいに、ウォルターのほうが王の素質がある。そんなダミアンの心情に気付いたのか、ウォルターは唐突に変わってしまった。
授業には手を抜き始め、遊びまわった。
魔法でさえ拒むようになって、滅多に使わなくなった。
ダミアンは弟が自分のために身を引いていることくらい、気づいている。
自分がもっともっと優秀であれば、ウォルターに余計なことを我慢させる必要はなかった。
兄貴として情けなさを感じるのと同時に、ダミアンは怒りを覚えた。
自分が手を抜けば全てが解決できる。一人でそんな結論を出したウォルターの身勝手さが鼻につくのだ。
「王位を継承したくないお前の意思はもう皆分かっている。これ以上貴族たちの反感を買う必要はない」
兄貴として、望んでもない弟の自己犠牲なんぞ断りたいところだが、ウォルターに言ってもどうせ伝わらない。ならばせめてウォルターが王家から追い出されないくらいには見守ると、ダミアンは心に決めている。
「誰にも文句を言われないような立派な王に、私はなるから、だからお前はーー」
ーーもう少し兄を信じろ。
なんて言えるわけもなく、ダミアンは本当に言いたい言葉を歯の奥で噛み砕いた。
「…………お前は、もう余計なことをするな」
ウォルターはダミアンを暫くじっと見つめると、ヘラヘラと頭を掻いた。
「セシルちゃんと勉強するのが好きってのは、本当だけどな」
結局ウォルターはダミアンの阻止を無視して、魔素変換実技クラスに入った。
最初のコメントを投稿しよう!