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7
授業が順調に進み、気づけばまた期末試験の時期が近づいてきた。
真夏のオングレの風は温かい。
時折り雷雨へと天気が急変することもあるけれど、曇りがちなこの国では今が一番過ごしやすい時期なのだ。
セシル、ウォルターとアンナの3人は芝生にレジャーシートをひいて、いつもの様にお茶を楽しながら課題の復習をしていた。
「セシルちゃんのノートってさ、記号ばかりでもはや暗号だよな〜」
ほとんどが簡易な記号で綴られたセシルのノートを、ウォルターはまじまじと見ながら呟いた。
「おほん!」
アンナはパタンと本を閉じてウォルターのほうをみた。
いつもより荒めなその閉じ方にウォルターは首を傾げるが、セシルの声に呼び戻される。
「文章で書くと長いでしょう? 『詰まるところ』とか、『=』の記号一つで代用できる」
「そこまでは分かるよ。でもさ、これ、このよく分からない羅列はなに?」
「ウォルターさん!!」
「な、なんだい、アンナ嬢、急に顔を真っ青にして……」
ウォルターはセシルのノートから指を引っ込んだが、セシルは前のめりになってワクワクと聞いた。
「気になる!?」
「…………えっ」
ぎらんぎらんとセシルの瞳孔が開いた。
その金眼にしっかりとウォルターのたじろぐ姿が映り込んでいる。
「これね! 発音器官が出す音の記号があるのでしょう? それを基に作っているわ。自己流に調整したり略したりしているけれど、例えばこの/k’tyok’r/は拡張回路の記号の頭文字だけ組み合わせてさらにーー」
早口言葉かってくらいの勢いでセシルが説明を始めた。
その隣のアンナは思いっきり苦い顔をしてウォルターを睨んでいる。
ウォルターは自分が眠る獅子を起こしてしまったことにすぐさま気づいたのだが、そこから頭を横に振っても、縦に振っても、斜めに振っても、セシルの長い長い説明が終わることはなかった。
★☆☆☆☆☆
アーサーはダミアンの親友として、長らく彼を支えてきた。
もちろん、幼少期にプレイメイトとして選ばれたことがきっかけなのだが、共に過ごす時間が長ければ楽しいことも苦しいことも自然と共有するわけで、嫌でも絆というものが生ずる。
1才下のウォルターは、歳下特有の自分勝手なところがある。
その部分を否定するわけではないが、アーサーとしては長男にしか分からない無言の圧を共有できるダミアンのほうがお互いのことを理解できて、そちらとの方が仲良くなるのも必然的であろう。
特に寄宿学校に入ってから共にスポーツをやることも増え、風紀委員会の仕事も分担してきた。未来は国王と家来という身分は変わることはないけれど、2人の関係は言わば血の繋がっていない兄弟の様なものだ。
そんなダミアンを最近悩ませていることくらい、アーサーは言葉にしなくても分かる。
「なあ、アーサー。あれを見てどう思うんだい?」
窓ガラス越しに見えるのは、図書室の中でテーブルを囲む生徒3人の姿。
期末試験が近づくにつれて、最近毎日の様に勉強会を実施しているウォルター、セシルとアンナだ。
「……勤勉でいいことだとは、思うが」
やはりと言うべきか、これはダミアンが求めている回答ではなかったようで、彼は嫌がる顔をした。
「ウォルターが何を考えているのか、兄の私には理解できない」
グリーンウッド家は急進派と繋がりの強い家だ。
そこの令嬢と仲良くなれば、自然と漸進派の目の敵となるだろう。
「ウォルターなら、それなりの考えがあるんじゃないか?」
「そうだといいのだが。あの子は後先考えずに行動するところがあるから、実に困る」
アーサーはダミアンの視線を追って、ウォルターのほうをみた。
風紀委員会の部屋は図書室の斜向かいの2階にあるから、3人の様子がよく見えるのだ。
ウォルターは紙に何かを書いてセシルに見せると、2人で笑い合った。
どこからどう見ても、親しい間柄である。
そんな2人のやりとりを眺めていくうちに、アーサーの中に妙な抵抗が芽生える。それを否定するように、思ったことを口にした。
「……ウォルターが彼女を好いている可能性は?」
「はぁぁぁあ?」
ダミアンは王子らしくもないドスの利いた声をあげた。こう見えて実は弟に過度な愛着を持っているダミアンに、それは禁句であった。ダミアンは早口で捲し立てる。
「ウォルターが誰かを好きになったら、兄の私が一番目に気づくはずだろう? 兄弟だぞ!」
弟を理解できないと言ったのはどの口だ。
アーサーは内心で半眼になった。と本人は思っているが、普通に顔に出している。
「真面目に聞くんだ、アーサー! 私とて気づいているのだよ! ウォルターは彼女のことを気に入っている。しかし! まだそこまでではない! 愛情にまでは発展していない、決して! 分かるのだよ、兄なのだから!」
ダミアンはブランブランとアーサーの肩を揺さぶった。
しばらくして少し落ち着いたのか、無表情のままのアーサーに困った顔を作った。
「アーサー。お前こそ、それで平気なのかい?」
「何が?」
「ウォルターと彼女のことだ。お前と彼女の間には過去があったことだし、思うところはあるのだろう?」
「……またその話? 僕と彼女の話は形にすらなってない。過去と言えるほどではない」
「その割には、かなり彼女のことを気にしているように見えるけど?」
「気のせいだ」
「そうかい? しかし風の噂によれば、お前が彼女のためにプールを温めたとか、彼女にいたずらした犯人を今も必死に探しているとかなんとか」
「…………」
アーサーがダミアンのことを理解しているのと同じように、ダミアンもアーサーのことをよく知っている。
変に言い訳しても意味がない。そう分かって、アーサーはぶっきらぼうに言った。
「自分の失言で彼女には悪いと思っている。ただ、覆水盆に返らず。無理して関係を構築するつもりはない」
「成り行きでなら構築したい、言い返せばそういうこと?」
「…………」
アーサーは複雑そうな表情を浮かべた。けれど、はっきりと否定することはなかった。
◆◆◆◇◇◇
「んん〜! やっと完成した〜!」
図書室のテーブルの上に羽ペンを下ろして、セシルは両手を高くあげてストレッチした。
魔素変換実技の期末試験であるコアの数式を完成させたのだ。
本来なら入門程度であるため、ライターや電球のような簡単な数式でよかったものの、コアの研究と実験が大好きなセシル、もとい、グリーンウッド家の娘として初心者のようなマネはできない。
それでせっかくだからと、セシルはとある娯楽魔法を模倣して、完全なる新作の魔素変換装置の設計図を手がけたのだ。
「明々後日の提出期限に間に合えそうで良かったわね」
「これで今晩ようやくよく眠れる〜!」
背伸びするセシルの姿を、アンナは微笑ましげに眺めた。
「その設計図は、ウォルターさんへのサプライズでしょう?」
「え、分かる?」
「伊達にあなたの親友を名乗ってないわ。数式が難しいから、ウォルターさんはさっぱりだろうけれど」
2ヶ月も隣で見てきたウォルターは、セシルの設計図がずっと気になっていた。しかし、成功したものを見て欲しくて、セシルは楽しみにしてとしか答えなかった。
「ウォルターはびっくりしてくれるかしら」
「うふふ。喜んでくれると思うわよ」
アンナの肯定的な言葉が、妙に安心感を与えてくれる。これが親友というものだろうか。セシルは嬉しい気持ちでいっぱいになった。
最近よく一緒にいるウォルターだが、今日はダミアンと夕食をとる日らしく、早々に席を抜けていった。2人は本当は仲が良かったのか、それとも義務的にやっているのか、セシルにはわからない。他人の家の事情なので、聞きたいとも思わない。
気づけば夕食時間が過ぎて、図書室はセシルとアンナしかいなくなっていた。セシルは卓上の時計をみて、はっと飛び上がる。
「いけない! 食堂が閉まってしまうわ!」
「あら、食堂で食べるつもりだったの?」
「寮だと冷めたものばかりになるじゃない! 私は温かいスープが飲みたいわ」
「あそう」
アンナは冷めた顔で、椅子から立ち上がった。
セシルは設計図の上に重石を置いて、食堂へと向かっていった。
★☆☆☆☆☆
「ない。ないないない。どこにもないわ!」
テーブルの下に潜っていたセシルが、床の隅々までを確認して震える声をあげた。食堂から帰ってきたら、テーブルの上から設計図が消えていたのだ。
「風に飛ばされたかしら?」
焦って窓を見上げるセシルの頭が、思いっきりテーブルの天板にぶつかる。
ガタンという大きな音が立って、羽ペンと参考文献がパラパラと床に落ちた。
「落ち着いてセシル。窓は閉まっているわ。それに、重石も残っているから、誰かが盗んだのよ」
「そんな! 設計図なんて、提出してもすぐにバレるじゃない!」
「あなたの邪魔になればそれでいいのよ。そういう人もいる……」
冷静に諭すアンナだが、重石を強く握りしめている両手の指先が白くなっていて、震えている。
セシルがどんな思いでその設計図を書いてきたのか、アンナが一番よく知っている。だからこそ、一方的な悪意からそれを盗んだ犯人に怒りが湧いて止まらない。
「ゴミ箱にもない、どこかに隠したのかしら……!」
「図書室に隠すことはないだろうけど、念のため探してみましょう」
セシルとアンナが図書室の棚を一列一列と見て回った時に、入り口から声が聞こえた。
「何があった?」
まだ制服姿のアーサーが、怪訝な顔で図書室に入ってきた。
窓の外から2人の異変に気づいて、駆けつけてくれたらしい。焦るセシルの代わりにアンナが経緯を説明すると、アーサーは困ったように眉間を押さえた。
なぜそんな大切なものを放置して出ていったのか。
不用心にも程がある。アーサーの窘める言葉が聞こえてくるようだが、過ぎたことを言っても仕方がないのか、彼はただ大きくため息を落とした。
「普通に考えて自室の寮に隠しているのだろう。ただ、寮を調べるには校長の許可が必要だ」
そして校長は今学会に出席して不在だ。
帰ってくるのは明後日の朝になるだろうから、許可をもらって実際に調べられるのは、午後になるだろうとアーサーは付け加える。
提出期限は明々後日だから、ギリギリの勝負だ。
教師に事情を説明すれば合格点くらいもらえるのだが、セシルに反発されることは分かりきっているため、アーサーはもう一つ大きくため息を零した。
「とりあえず今日は校内を探してみよう」
3人は校内を回ったが、設計図は見つからなかった。
「提出期限まであと2日。頑張って書き直した方が確実……」
黙りこくっていたセシルがようやく話し出したかと思えば、急に羊皮紙を広げて何やら書き始めた。数式の細かい計算の再現までは時間がかかるが、1回目よりは速く書ける。とは言っても、2ヶ月かけて書いたものだ。2日ぶっ通しで書き切れるものなのか、アンナもアーサーも苦い顔をした。
「諦めるにはまだ早い。頑張って書いたものを探ーー」
「もういいわ」
セシルは夢中でペンを走らせながら、アーサーを遮った。
「もう要らない。新しく書く」
信じられないというような面持ちでセシルを眺めたアーサーは、「……失礼」と小さく呟いては、羽ペンごと彼女の手を掴みとめた。
「ちょっと! 離して!」
「断る」
セシルはアーサーの手を振り払おうとするが、どっしりとしていて動かない。
「数時間も探さないでもう要らないと言い切るのか。2ヶ月もかけて書いた設計図を」
セシルが座っているためか、光を遮ったアーサーの大きな体躯が一回り大きく見える。
「時間がないから、確率と効率を考えて何が悪い?」
「あの設計図はこの世で一つしかない。そう簡単に諦められるものか?」
「言っている意味が分からないわ。設計図は課題として書いたものよ、提出できなければ意味がない。設計図なんて、いくらでも書き直せるわ!」
「…………」
逆光になっても冴えた光を放つエメラルドグリーンの瞳が、じぃとセシルを見下ろしている。嫌な冷たさを感じて、セシルは歯を食いしばる。
2人はしばらく睨めっこしたのだが、
「ものは同じに見えても世界で一つしかない。量産物で潤う商人はその違いが分からないだろう。だから僕は……」
アーサーが急に身を引くと、セシルの手をぶっきらぼうに離した。
「君の設計図を僕が必ず見つけ出す。君が要らないと思っていても、設計図は君のもとに戻りたいと願っているだろうからな」
「…………意味が分からない!」
振り返りもせず部屋を出ていったアーサーの背中を、セシルは悔しげに睨みつけた。やがてそれが見えなくなると、気持ちを発散するように紙の上をカリカリと書き啜りはじめた。
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