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★★☆☆☆☆  アーサーが細心を払って仕掛けた罠が功を奏して、とうとう犯人が尻尾を出した。急足で物置部屋へと向かっていく女子生徒を掴み止めようとしたが、セシルに止められた。  女子生徒は設計図らしきものを持っているが、それがセシルのものかどうかは不明だ。仮にそうだとしても、たまたま拾ったと言い訳をされる可能性がある。  現行犯逮捕が一番確実なのだから、女子生徒が設計図を燃やすところまで待とうとセシルが言う。  理路整然な言葉とは裏腹に、セシルの顔は真っ青に固まっていた。  女子生徒が言い逃れられないように待ちたいというより、その現場を見るまで信じたくない風に感じられた。  せっかく書いた設計図をわざわざ燃やさせるのはどうかと思ったが、懇願するような彼女の視線と目が合うと、アーサーは何も言えなくなった。  しばらくすると、案の定煙突からむくむくと煙が登った。 「…………!」  それを見て唖然とするセシルだったが、かっと眉間に力を入れて物置部屋に飛び入った。 「イサベル!」 「ひゃっ!」  セシルは一直線に女子生徒のもとへ行くと、彼女の手首を掴んだ。  アーサーは2人の横を通り、暖炉に水をかけた。火バサミで引き摺り出した設計図は、あいにく三分の一ほど燃えてしまったが、セシルはこちらをまったく気にする様子はない。  どうしてこんなことをしたの、嫌なことがあるなら言えばいいのにと、セシルは舌先で繰り返し女子生徒に問いかけた。  女子生徒は最初こそ面食らっていたが、アンナが悲しむという言葉に引っかかってか、ヒステリックに叫び出した。 「あんな気まぐれ女は姉じゃない、恵まれたあんたらに何が分かる!」 「…………っ」  イサベルはアンナの腹違いの妹だ。  アンナの父親が出張先の愛人とできた子どもで、引き取られるまで貧困な暮らしを強いられた。8才の時に母親を病で亡くし、行く宛のない彼女をアンナの父親は親戚に追いやろうとしたが、アンナの『妹が欲しい』という一言で認知される。  同じ父から生まれた1歳しか違わない2人。  それなのに、正妻の子どもというだけでイサベルとまるで違う人種のように扱われる。それが途轍もなく屈辱的で、イサベルは自分のほうが優良遺伝子だと証明すべく、長年完璧な『娘』を演じ続けた。  やがて誰しも本家の娘として認めてくれるようになったが、優秀なアンナを蹴り落とすのには不十分だった。 「アンナはあんたのことが大好きだから、あんたが嫌になってこの学校をされば、彼女もきっとその後を追う。そうすれば、私だけがここに残り、ちゃんと有望な貴族令息を捕まえて、みんなに価値を証明できる!」 「………………」  セシルは何も言わなかった。  半分空いている扉の隙間から、悲しむアンナの顔が見えたからだろう。  アンナとウォルターは物置部屋の煙が見えて、すぐに駆けつけてくれたようだが、イサベルは開け口の反対側に立っているから気づいていない。静寂が雨露より冷たく、部屋を滴ってゆく。   「……アンナの気まぐれ、ではなくてよ」  セシルが外にいるアンナを見つめたまま、イサベルに言った。 「あなたが辛い想いをしているの知っていたから、守ろうとしたわ」  女たらしなアンナの父親は、イサベル以外にも多くの庶子を量産している。  貿易商人の倫理観はともかくして、愛人にはそれなりの矜持があるらしく、養育費はきちんと支払っていた。イサベルが貧困状態にいたというより、アルコール依存の母親からネグレクトされているだけだ。  船乗りの噂からイサベルのことを知ったアンナは、妹が欲しいと1週間も断食した。  アンナの母親は政略結婚で娶った裕福な資産家の娘だ。  そんな妻からの圧力もあって、イサベルがジョルダン家に認知された。  セシルの話は嘘だとイサベルは喚く。話は通じないと気づいているはずだが、セシルは言葉をやめなかった。まるで親友の代わりに、内心の不平を代弁するかのように。 「あなたの言っていたように、私たちの価値は婚姻で決まる。いわば、商品にすぎないわ」  蝶よ花よと育てられているように見えるが、実家の目線からすれば2人とも単なる優良な手駒にすぎない。  貴族ではないため血筋とか関係なく、単にアンナとセシルの母方にも財力があり、商品としての価値が高い。 「それが嫌だから努力しているの。アンナも、私も。いつか自分の手で新天地を拓いて、商品から個人に昇格するから。あなたの小さなイタズラ程度で退学することはなくてよ」 「……は」  イサベルが鼻で笑った。 「入学早々第二王子を誘惑してさ、どの口が言ってんの?」 「……っ!」  パチーンと澄んだ音が響いた。  扉を押し除けて部屋に入ってきたアンナが、イサベルの頬を平手で打ったのだ。 「セシルに謝りなさい」 「……おね、くっ。なによ! 何様のつもりよ!」  答えの代わりに、再びパチーンという音がした。 「1週間ではなくて、10日よ」  アンナが淡々と呟いた。 「断食した日数。弱りきってすごい熱を出したわ。死ぬ想いで手に入れた妹だから、躾くらいしっかりしないとね」 「…………!」  イサベルは打たれたショックからか、それとも本当にアンナが断食していた事実が信じられないのか、彼女は固まった。アンナはもう一度言った。 「セシルに謝りなさい」 「…………」  口調は柔らかいが、有無を言わせない圧があった。  イサベルは悔しげに口元を歪ませた。その瞳からポロポロと涙がこぼれてくる。 「……ごめん、なさい」    声が小さくて震えていた。 「ごめんなさい。ごめん、なさい……」  喉をしゃくりあげて、イサベルは謝罪の言葉を舌の上で転がした。  逆恨み相手のアンナではなく、セシルに実害を与える時点で分かりきっていることだが、イサベルは本心ではアンナを慕っている。  気まぐれでそばに置いたと聞かされて、気持ちに齟齬が生じたのだろう。  当人の本当の気持ちなどアーサーには分かり得ない。  ただ、イサベルはアンナにしがみつくように泣き喚いている。 「……よかった」  姉妹を微笑ましげに見守るセシルの姿に、アーサーは少しだけ胸が悶々とした。 ★★★☆☆☆  設計図は結局見つからなかったことにして、セシルは新しいものを課題として提出した。イサベルを先生に突き出したら退学になるからと言って、セシルとアンナがアーサーに懇願した結果だ。  風紀委員会としては生徒のトラブルが無事に解消できればよいのだが、日焼け止めの件で少し赤い跡を残すセシルの腕をみると、もどかしくなって堪らなかった。  アーサーはイサベルを見張っていたが、あの日を皮切りに大人しかった彼女がガラリと態度を変えて、アンナにベッタリとくっつくようになった。  お嬢様言葉も一切やめて、素のままで周囲と接する。  たまに下町で聞くような下卑た言葉が飛び出るため、アーサーは違う意味で彼女を指導することが多くなった。  試験が終わり夏休みを迎えると、セシルは実家には帰らず寮に籠った。  ウォルターはセシルと一緒に残りたいとごねたが、ダミアンに引き摺られて王宮へ帰って行った。 ★★★☆☆☆  アーサーは勿論、伯爵家へ帰った。  学習状況やら自領の状況やらをひとしきり父親と雑談という名の報告会議を行ったのち、社交界のシーズンに合わせて王都にあるタウンハウスへ移動した。そこからは夜会やサロンの嵐だった。  気づけば3ヶ月あったはずの夏休みも2週間を切り、家の使用人はいそいそとアーサーの新学期用の準備を進めていた。朝から新しい制服の採寸がある。蓄積した疲れのせいか、まだ昼前なのにどっと疲れた。  アーサーはバルコニーに出て茶をもらい、ふと寄宿学校がある方向をみた。あの子は何をしているのだろう。ついこの間まで犬猿の仲だったが、不思議と彼女の強気な部分が憎めない。  アーサーは幼少期に懐いていた乳母がいた。  しかし、6歳になってダミアンとウォルターのプレイメイトに選ばれると、これから城で過ごすのだからと乳母はお暇を申した。  海を挟んだ向こうの国、アルマンに移住した息子夫婦に子供ができたらしく、その面倒を見に行くという。今思えば、本人はだいぶ歳を取っていたし、穏やかな老後を過ごしたかったのだろう。  それを理解できなかったアーサーはいやいやと駄々をこねた。  馴染みのない城へ引っ越すのも嫌だったし、甘やかしてくれた乳母まで離れていくのが心底心細かった。  とはいえ、子どもの癇癪など相手にされるはずもなく、アーサーは父に叱られて、結局城へ行くことになった。  乳母は大人になったら遊びにおいで、異国の田舎もいいものだよと言ってくれたが、一年もしないうちに流行病で息を引き取った。  乳母には大切にしているペンダントがある。  メイド見習いで初めてもらったお給金で、奮発して買った流行りの安っぽい鋳物だった。  何十年もつけてきたから価値はないに等しいが、赤ん坊だったアーサーを抱くと必ずペンダントを握って眠るから、よかったらもらって欲しいと後になって手紙が届いた。箱を開けると、中は空だった。  アーサーは父に訴えて、郵便を運ぶ会社に連絡したが、船便で伯爵家に送るものだから、貴重品だと勘違いして船乗りがくすねたのだろうと、おざなりに対応された。  もっとも貴重品の郵送は別料金に該当しているから、雑貨品で送り出した乳母が悪い。『聞く限り正真正銘の雑貨ですけども』と鼻で笑う商人の顔を、今でなお忌々しく思える。  それでも伯爵家の目の敵にされたくないらしく、新品のペンダントを弁償された。それがまた、アーサーを激怒させた。  乳母の手紙を扱った船とその船乗りの名前を全員把握しているはずだから、探そうと思えば絶対に見つけられる。しかし、価値のないペンダントを探すより、賠償したほうが手間がかからないと思ったのだろう。それが許せなかった。  その後、どうしてもそのペンダントを戻して欲しいと再三訴えるアーサーの気持ちを商機だと捉えたようで、捜索費用と称して高額の請求書を送りつけてきた。アーサーの父親もさすがに参ったようで、財閥御三家のグリーンウッドに相談した。  グリーンウッド家はアルマンにも縄張りがあり、すぐにペンダントを見つけてくれた。そのスピードからして、事前に商人から情報をもらっていたのだろう。そして、ペンダントを返す代わりに自分の娘に会って欲しいと、図々しくも伯爵家に縁談を持ちこんだ。  ちょうど急進派が台頭し始めた頃で、アーサーの父親はだいぶ悩んでいたが、くせ者の思い通りにさせるかと意気込んだアーサーは、出会い頭にセシルに暴言を吐いた。  幼いセシルは驚いた顔でアーサーを凝視したが、何も言い返せずに踵を返した。小さな背中に揺れる濡れ羽色の髪が艶々と光っていた。  その日はセシルの誕生日だと後から聞いて、アーサーは少し後悔した。  婚約するつもりはないのだからよかったものの、まさか美しく成長した彼女と再会するとは思わなかった。  動揺して、大人としてしっかりと謝りたい気持ちと、無駄に警戒する気持ちが織りまぜて、セシルにどう接すればいいのか分からなかった。  遠回りしつつようやく謝れたのだが、これからこの関係をどこまで持っていきたいのか、正直にいうと分からない。  紳士のマナーで身を固めているアーサーだが、彼だって17才の健全な男子だ。綺麗な女子が目の前を通れば自然と視線を奪われるし、衣類や髪から漂う甘い匂いにもやたらと敏感である。  物置部屋でみたセシルの白い肌や、密着した時の柔らかい感触など。  思い出すだけでかっと身体が火照る。  アーサーはガシガシと自分の髪をかいた。    結婚して贅沢に暮らしたいという多くの女性と違って、芯の強いセシルは自分の目標を持っているらしかった。彼女とだったら、色んな世界が見られるのだろう。  とはいえ、一度蹴った婚約を戻したいなど、面目まるつぶしである。  アーサーはため息をついて、新聞紙を手に取った。 「は?」  それはおすすめ記事の小さな見出しであった。   【ドロイトハウス寄宿学校 女子寮から爆発音】  黒い文字を2度ほど読み直して、がばりとアーサーは立ち上がった。 「馬車を出せ、今すぐだ」
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