詩「ラ・フランス」

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パッと電気を消した瞬間 和室の中は夜だった 眠りかけた彼女のスマホの 途切れそうなわずかな翳りが 壁に淡い影を揺らしながら ――なにか旬のものでも買って帰ったら? 病院帰りの薄暗い商店街 昭和の余韻がぶら下がる古い八百屋で 珍しくラ・フランスが売っていた この商品は予冷品です 十~十五日程度常温で熟させてから 冷蔵庫でよく冷やしてお食べくださいと よれた紙の注意書きを何度も読んで 大切に台所の隅に置いておいた そして一週間後に様子を見ると ラ・フランスからベタベタの汁が溢れており もはや食べられる状態ではなく 彼女はそれを見て残念そうにゴミ箱に捨てた 電気を消して 畳の上に寝転がるとき 不思議とそのラ・フランスを思い出す どんな味だったということよりも どんな体験を共有できたかということが きっと夜の翳りをただ薄くできるから 壁に揺らめく自身の頭部の影に それは冷たいほど無口だった
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