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朝、起きたら雨だった。
しかも土砂降りだ。
スマホで天気予報を見たら一日中雨の予報で、私はガッツポーズでベッドから起きた。
LINEを見るとみんな張り切っている。
「ヨッシャー、願いの雨だー。花見やるぞー」
「オー!!」
「祈りが通じた。みんな、今日は頑張ろー」
「オーー!!」
「神様、雨をありがとうございます」
「オー!ありがとうございまーす」
私が一番遅かったようで、私以外全員28人のコメントがあった。
普段は私が出勤するのをベッドから見送る妻が、珍しく朝ごはんを作ってくれている。
「あなた、今日は頑張ってね!」
「うん。みんなも凄いヤル気だ。頑張ってくるよ。そして3週間の休みを勝ち取ってくる」
「絶対絶対、お願いね。沖縄の離島のコンドミニアムに3週間、もう予約しちゃったからね」
熱いお風呂に長湯をして体を温め、妻と熱いキスを交わして傘をさして駅へと向かった。
会社のみんなと事前に打ち合わせして最寄りの駅までは傘をさしても良いがそこの駅構内か、上野公園駅の駅構内で処分する。
それは社長のちょっとした一言から始まった。
「せっかくのお花見も雨が降ったらパァだよな。料理の予約、どうする?」
「社長、オードブルは事前予約が必要ですよ」
「でも、雨降ったら30人ぶんが無駄になるんだよ」
「雨でもやりましょうよ。絶対に無駄にしませんから」
「よーし、雨でもまるで晴れているかのように3時間最後までお花見をやりきったら、全員に2週間、いや3週間の公休をあげよう。一斉に休まれたら会社が潰れるから交代で」
社内中にどよめきが起きた。
外に出ている営業にメールするもの。家族にメールするもの。
社内はこれまでにない結束力で、一丸となった。
仕事が終わった後に、毎日全員でイメージトレーニングをやった。
そしてお花見本番当日、本当に念願の雨が降ってくれたのだ。
しかも凄い土砂降りの為、上野公園は誰もいない。
多少の雨なら傘をさしての花見客はいるだろうけど、見事に誰もいない。
ずぶ濡れになりながら打ち合わせ通りメガネの雨も拭うことなく花見予定の場所へ着くと若い社員たちがブルーシートを敷き、30人分の座布団とお弁当と紙コップを置いていた。
ブルーシートには海のように水が溜まり、座布団も座ると途端に水がジュワッと染み出してくるだろうと思うほど膨らんでいる。弁当にも雨が相当入っているだろうが完食してやる。紙コップにもすでに雨がかなり入っているが、これもまずは飲み干さなければ。
社長の席だけは木枠が組まれ、透明のシートが張られ濡れないようになっている。
カラオケのアンプとスピーカーとバッテリーとマイクは社長に特別の許可を貰ってビニールをかけてある。リースなので故障させると保証金が発生するからだ。
缶ビールと日本酒とワインと炭酸飲料が所々に置かれ、好きなものを選べるようになっている。
我が社は自由な社風で上司から無理やり飲まされることなどないし、元々みんな仲が良かったがこの雨よフレフレお花見プロジェクトでさらに絆が深まった。
そう、みんな今日のことを「雨よフレフレお花見プロジェクト」と呼んでいる。
全員が座布団に座ると司会の青山君がビニールに包まれたマイクを持った。
「えー、皆様。本日はお日柄も良く、素晴らしいお天気に恵まれこの広い上野公園を我が社で独り占めという夢のような状況は、ひとえに人徳ならぬ我が社の社徳であろうと断言させていただきます。これから15時まで存分に歌い、飲み、食べましょう。では、雨よフレフレお花見プロジェクトの開会宣言を社長にお願い致します」
青山君の薄い頭は雨に叩かれ、まるでちょんまげを切られた野武士のように髪の毛がだらりと垂れているが何もなかったように淡々と司会をこなしている。
「お日柄も良く、か。なるほど。この状況で雨など降っていないのではと私に思わせたら3週間の公休を全員に約束しよう。だが、誰かが思わず雨を拭うポーズをしただけでもアウトにする。そのことを認識したうえでみんな、今日を思いっきり楽しもう。では、かんぱーい」
「かんぱーい!!」
一杯目の乾杯は全員雨水だ。
コップの中の雨水を捨てるような仕草はアウトだから絶対にしてはいけないと、仕事後のイメージトレーニングで何度も聞かされた。初めが肝心。最初でいきなりアウトにならないようにと。
弁当の蓋を開けると雨水ですっかりふやけている。
おそらくカツであろうと思われる物体の衣が異常に膨らんでいる。が、美味しそうに食べる心の準備は出来ている。なにしろ事前に天ぷらのお水漬けを食べておいてくださいと言われて、自宅で予行演習したのだ。チョー不味かったが、3週間の公休の為だ。なんてことない。
添付のゴマだれソースをふやふやの衣にたっぷりかけて、割り箸ですくうように一気に5切れを持ち上げて一口で食べた。口の中で雨水とソースとふやけた衣の油が混ざって乙な味がすると言わざるを得ない。不味いとは言わずに「乙な味」と言おうと数日前からイメトレで言われていたのだ。
缶ビールで口の中をすすぐように飲んだが、だし巻き卵や鳥の唐揚げは濡れていても意外と美味しく食べられた。
正面に座る「香織女史」の白シャツが雨に濡れてピンクのブラジャーが透けて見えるのが悩ましい。事前のイメトレで、白シャツは透けるから要注意と言われていながらあえて着てくるところがまさに他の女子達から「香織女史」と呼ばれるゆえんかも。男達の視線を独り占めしているが、花冷えの寒さに負けずにサービスしている姿勢はみんなに愛されている彼女のことだからちっともいやらしく見えない。
他の女子達はいつもの様に紺のスーツ姿やセーターを着ているが、花見に似合う華やかな色彩でキメている女子が多い。
営業の中林君が日本酒とワインを持って私の前に来たが、イメトレの中心メンバーは彼と総務の鈴木君他2人だった。
彼らはイメトレが終わった後も居酒屋でさらにイメトレをして気づいたところを翌日みんなに教えてくれた。
「加賀美さん、日本酒とワインどちらにします?どちらも乙な味ですよ」
「ワインもらおうかな。君たちのお陰でみんなそつなく花見ができているようだね」
「まだまだ序盤ですからね。それにしても香織女史凄いですね。この寒いのに花見の宴感を出してくれて。ありがたいです」
「ほんとだね。君たちもみんなのところを回りながらそれとなく注意してくれているんだね、ありがとう。最後まで頑張ろうね」
「頑張りましょう」
音が鳴った。
女子3人組がアイドルのメドレーを唄っている。
いよいよ中林君言うところの宴感が出て来た。彼女たちはお揃いのウサギ耳をかぶっていて、事前に練習して来たのだろう踊りも息が合っている。みんなの気合を感じて嬉しくなった。このままいけば勝利を勝ち取れる。
盛り上がったまま2時間が過ぎた頃、邪魔が入った。
テレビ局が取材に来たのだ。
上野公園の管理部から「土砂降りの中で花見をしている人達がいる」と情報が入ったので取材させてくださいと言ってきた。
社長は大喜びで許可したが、それは当然だろう。このままいけば社員たちの勝利だが、テレビのインタビューでボロが出るだろうと期待しているはずだ。
中林君たちイメトレの4人組が緊急会議を始めている姿で全員が危機感を持った。
「インタビューは僕たちにお願いします。他の人たちは顔出しNG なので。それからあなた方の取材で花見の宴を止めたくないのでカラオケは続けたままにします」
さすがだと全員が思ったはずだ。みんなの安堵のため息が聞こえてくるようだ。
「了解しました。ではまずお聞きしますが、なぜこのような土砂降りの中でお花見を決行されたのでしょうか?」
「だって最高のお天気じゃありませんか。僕たちの会社でこの広い上野公園を独り占めですよ」
「それはそうですが、皆さんずぶ濡れで寒くないんですか?」
「僕たちの目には満開の桜の花しか見えていません。この美しい桜を目に、心に焼き付けているのです」
その時「うぎゃー!」と言う叫び声が響いた。
吉田拓郎を唄っていた堀君がマイクを持つ右手を震えさせ痙攣しながら倒れた。誰の目にも漏電だと分かったがいち早くイメトレ4人組の総務の鈴木君が飛んだ。バッテリーを切り、スマホで救急車を呼んでいる。
「上野公園です。急性アルコール中毒で1人倒れました。大至急お願いします」
「いや、漏電で倒れたんでしょう」
インタビュアーが口を挟んだが鈴木君は、
「彼の持病です。よく急性アルコール中毒で倒れるのです」
「え、いや、でも」
「あなたのマイクは大丈夫ですか?そろそろ中止された方が良いのでは?」
そう言われて彼は思わずマイクを脇に挟んだ。
救急車が来た頃には堀君はすでに持ち直していて乗らずに済んだ。
4人組が救急隊に頭を下げ去っていく姿を見届けて中林君が振り返った。
「さぁ、皆さん。残り10分です。最後までお花見を楽しみましょうー」
「おー!」
「残りの10分は手拍子で歌いましょう。最後は僕たち4人組が歌います。歌は『雨が空から降れば』です。
えっ!
全員が息を飲んだ。
社長のコップを持つ手が止まった。
しかし、4人は朗々と歌い始めた。
「雨が空から降ればー、オモイデは地面にしみこむー
雨がシトシト降ればー、オモイデはシトシトにじむー・・・」
最後は4人手を繋いで両手を上にあげ大声で歌い切った。
今日一番の拍手が起きた。
そうだ。歌は良いんだ。歌の歌詞なんだから。
しかし、ここでこんな大勝負に出るとは。彼らの中で決めていたのだろうが、最後の最後にこんなサプライズを仕組んでいたとは。
そして、全員のスマホがいっせいに鳴った。
3時に鳴るタイマーを仕掛けていたのだ。
「やったー!」
みんな立ち上がった。そして社長を見た。
透明のシートから出てきた社長は土砂降りの雨を受けながら、
「見事だった。諸君の勝利だ。おめでとう。特に4人組の対応は素晴らしかった。こういう機転はきっと仕事にも生きるだろう。雨よフレフレお花見プロジェクトと呼んでいたのは知っている。やって良かった。もう一度言おう。諸君、おめでとう」
みんなの拍手が止まらない。
感動で涙を流す女子たちに中林君が、
「涙は拭って良いんだよ」
と言うと、
「中林君カッコイー」
「中林君ステキー」
「よーし、撤収して飲みなおそう。まだ3時だ」
「一回家帰ってシャワー浴びてからにしようよー」
「そうしよう」
雨はますます酷くなってきた。
完
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