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ふわふわとした夢心地だ。
薄らいだ闇の中、芙蓉は浮いていた。体にのしかかる重りもなく、暑くも寒くもない、終わりが見えない空間に。
芙蓉はすぐさま現状を理解した。夢を見ているのだと。
昔から、熱に魘された時はこうして長い眠りに落ち、夢の中でも意識がはっきりした。
『——芙蓉。こちらへおいで』
誰かが自分の名前を呼んだ。とても優しい声音だ。
芙蓉はゆっくりと両目を開けた。目の前には八つ程の幼子が——幼い芙蓉がいた。その目の前には父が真剣な眼差しで幼い自分の肩を掴んでいる。その背後では気丈な母が痛ましい表情をしていた。
『芙蓉。いいかい。これからお前は自分を殺して生きなければならない』
父はどこか耐えるような表情で言った。
『……ごめんなさい。ごめんなさいね』
うわごとの様に謝罪を繰り返しながら母は袖で顔を覆う。目が触れる部分の布が変色しているので泣いているのだろう。武官の様な強さを持つ母が泣くのを見るのは初めてだ。
『泣くのやめてください!』
幼い自分がつたない口調で言った。
その言葉に母は先ほどよりも強く袖に顔を押し付ける。その震える肩を父が右手で抱き寄せた。
『芙蓉。しっかりと聞きなさい』
『は、はい!』
『お前が生きる理由はあの方を守る為だ。それ以外に理由はない。あのお方を守ることは儂や梅鈴、……お前自身の罪滅ぼしになる』
射るような眼差しに、軽口は聞けないと思ったのか幼い芙蓉はきゅっと口を閉ざした。
『だから儂はお前に全てを叩き込んだ。知恵、武術、全てだ』
『はいっ!』
恐る恐る、幼い芙蓉は頷いた。
『芙蓉。お前は後悔しないか? 本当ならばお前は……』
父は感情を堪える様に歯を食いしばる。
『儂は——』
その後の言葉は靄に撒かれた様に聞こえなかった。
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