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自宅の庭から喧騒に耳を傾けていた芙蓉は形容し難い表情で宙を睨みつけていた。玲瓏たる美貌も、今は歪んで見る影もない。
——なぜ、あのお方が……。
歯痒さから奥歯を噛み締めた時、地面を踏みしめる音が芙蓉の耳に届いた。
ここは自宅の庭だ。ここに訪れるのは家族だけだろう、と怒りのこもる視線を向けた芙蓉は思いもしない人物の姿に目を瞬かせた。そして、その人物が誰か理解するとすぐさまその場で跪く。怒りの代わりに緊張が思考を支配する。
——なんでここにいるのだろうか。
芙蓉の額に嫌な汗が浮かび、頬を伝う。
一番に目を引いたのは真紅の龍袍。そこには天に昇る龍が刺されている。次に髪を纏める金の冠。中央には大ぶりな紅玉が輝いていた。
遠目からしか拝見したことはないが、凛々しい美貌は奏国の誰しもが知っている。癖のない焦げ茶色の髪。切れ長の、甘い蜂蜜色の瞳。雪のように白い肌。四十はとっくに超えているはずだが、どこか若々しさを感じさせる美丈夫。
祭り事の手腕により奏国をより豊かにしたことから『賢明王』と称される奏王——宗俊、その人がにこやかに立っていた。
「久しいな。美しい顔が鬼のようだったぞ」
奏王は口元に優しげな笑みを浮かべた。
あの表情を見られたことに芙蓉は羞恥を覚え、謝罪の言葉を口にした。
「立ちなさい」
宗俊の言葉に、芙蓉は「御意に」と立ち上がる。
すると宗俊は顎に手を当て、芙蓉の身体を観察するかのように眺め始めた。上から下に。右から左に。余す事なく。
その視線に嫌らしさはないが雲の上ともいえる殿上人の眼差しに芙蓉は緊張で手に汗が滲むのを感じた。
数分が経つが、宗俊の何かを見定める視線は変わらない。芙蓉は失礼だとは理解しているが、その視線の気まずさを紛らわせる様に前に立つ宗俊を観察した。
多種族の血が混じる奏人は皆、色素が薄い外見をしている。その中で特に西域の血が強いのか宗俊は獅子のような見た目をしていた。荒々しく力強い美貌であるため、武人としての印象を与えられるが剣の腕はからっきしだと聞いている。
その代わり、神童とも言われた知識の量を持っていた。八つの時、太子という身分を偽装して科挙を受け最終試験である殿試に合格し、状元を与えられた。難解で平均合格年齢が四十前後の殿試で最優秀な成績を納めた八歳の少年がいた、という話は宗俊の頭の良さを話す上では必ず持ち出される。
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