本章

5/63
前へ
/66ページ
次へ
 宗俊の言っているのは四ヶ月前に雌雄(しゆう)を決した夏州の戦いについてだろう。夏州とは清国との国境間に位置する北方の小さな州だ。三年前から清国から侵攻を度々受けていた。一枚岩でその侵攻を跳ね除けてはいたが三年という月日に疲弊したのか奏国が負けたのは記憶に新しい。  元々、清国とは犬猿の仲。この夏州の戦いに負けたことで奏国民が清国に元々抱いていた嫌悪に憎悪が追加された。それが清蓮公主の輿入れに対する不満となって、今現在、国中を騒がせている。 「実はな平和条約の案はかねてより挙げられていた。それも向こうから公主を一人、清王の嫁に寄越せば夏州の侵攻は止める、と。もし、それを受け入れなければ我が国を己の傘下に加える、ともな……」  宗俊は眉間をつまみ、「儂は頷くことはできなかった」と付け加えた。 「公主は、娘達は儂の宝。清王なんぞにくれてやるわけにはいかない。しかし、今はどうにも言ってはおれん。下の娘らはまだ幼い。適齢の娘は第一公主、月娟だけ。あの子を嫁がせる以外、奏国に未来はない」  重々しい声で告げられ芙蓉は眉根を寄せた。感情のままに宗俊の胸ぐらを掴み、怒鳴りたい気持ちに駆られるが宗俊が娘をいたく溺愛しているのは知っている。月娟のことを第一に考え、考え抜いて、こうして苦渋の判断を下したのだろう。 「何か言いたいことがある顔だな。身分は気にせず、言いたいことを言いなさい」 「……月娟様はこのことを受け入れているのでしょうか?」  芙蓉は心の中で彼女を思い浮かべた。その名が示す通り、月神と謳われる美貌を持つ少女だ。そして感性が繊細すぎる一面も持っている。公主としての役目は理解しているが他国……それも蛮国として有名な清国に嫁ぐとなると月娟は嫌がり、悲観に暮れるのは容易に予想がつく。 「知っている。口には出さないが精神的に酷く追い詰められているようだ。食事も喉に通らず、ずっと部屋に籠もっている」 「無理に月娟様を嫁がせる必要はないのではないでしょうか? 養女を取り、公主として嫁がせてはどうですか?」 「それは無理だ。国同士の婚姻であり、偽物を送るわけにはいかない」  宗俊は困った様に嘆息し、首を左右に振った。 「月娟を嫁がせるのは決定した事だ。それに芙蓉、お前も付いていって欲しい。あの子が心を許せるのはお前しかいない。お前は女だ。知識もあり、武の腕もある。あの子に付き従い後宮に入ってくれ」  ——私が後宮に? 「侍女としてでしょうか」 「護衛としても考えている」  その言葉に芙蓉は顎に指をかけて考え込む仕草をする。
/66ページ

最初のコメントを投稿しよう!

23人が本棚に入れています
本棚に追加