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花が見える前に甘い匂いが漂ってきた。普通の桜はあまり匂わないが、ここの桜並木は全て朧匂という品種で匂いが強い。
花を見に行く人々は黙々と歩いている。最寄りの駅からは徒歩でしか来られない。ひたすら前の人の後に続いて細い山道を歩いて行く。
老人、若者、子供。男、女。犬を連れている人もいる。
甘い匂いに包まれながら進むと、急に平坦な場所に出る。
目の前には白い花霞が広がっている。満開だ。誰も手入れをしていないのに、毎年、毎年、美しい花が咲く。
匂いに惑わされ、桜並木の中に溺れるように入って行く。
「パパ、何だか変」
息子の太一が周りの人を見て怯えた声を出した。去年は小さかったから、まだ、よくわかっていなかったのだろう。
ふらふらと宙を見つめる者、木に抱きつき、涙を流す者。笑い声を上げる者もいる。
「会いたい人を思い浮かべてごらん。理由がわかるかもしれないよ」
会いたい人は決まっている。
優佳。
なぜ、太一を残して逝ってしまった。いや、悪いのは俺だ。会社を辞めて無くなった健康診断の代わりに年に一度は健康診断を受けるように言えばよかった。
少し垂れ目でふっくらした顔が浮かぶ。
「ごめんね。病院嫌いだからって、健診を受けなかったのは私が悪かった。きちんとしていれば、よかった」
優佳の声を思い出す。
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