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「また、ここで待ち合わせね」
そう言って別れを告げ、また一緒に会う日に期待を膨らませたのはいつの話だっただろうか。
人があまり寄り付かない公園に一本だけある大きな枝垂れ桜の木。その花が咲く頃に、木の下で二人きりの花見をしようと指切りをした。私が遠方に引っ越す前に、ずっと言えなかった思いも言ってしまおうと、幼い心に勇気を振り絞って結んだ約束。
でも。
彼からの連絡は、その約束をした日以降、途絶えた。
何故なのか。
考えても考えてもわからない。
そうしたら気づけば、実家に無意識に帰っていて、まだ桜の時期ではない公園に足が向いていて、私は、見つけた。
まだ桜の花が開く前の木の下に彼が立っているのを。
「何でいるの?」
目を見開いた彼が、私を見て言った。
いやいやその台詞を言いたいのは私だから、と内心ツッコミを入れていると彼は「連絡取れなくて来てみたら、まさか会えるなんて思わなかった」と、これまた私が言いたかった台詞を口にする。だから、私が口にできたのはたった一言。
「それは私のセリフだよ」
それだけだった。心なしか声が震えてしまったのは仕方がない。だって、本当に会えると思わなかった。もう二度と会えなくなったと思ったからこそ、自分の中に閉じ込めた気持ちと決別するために約束の場所に足を運んだのだから。
「久しぶりだね」
彼が嬉しそうに笑って言った。その微笑みがとっても優しくて、それまでモヤモヤしていた感情がどうでもよくなった私は「そうだね」と答えていた。そして、気づいたら彼の隣に立って同じように桜の木を見上げていた。蕾が少しばかりついた枝垂れ桜は、肌寒い風に吹かれて不規則に揺れていた。
「なんで、連絡取れなくなったの?」
だからそれは私のセリフ。
そう言いたいのに、私の口からは「何でだろうね……」という言葉が出た。
「あれから一週間だっけ、一か月だっけ」
彼が、苦笑気味に言った。
「……そんだけしか、経ってなかったっけ」
「あれ、もっと長かったっけ。……わかんないや」
彼が私の方を向いた。
そして、手を伸ばして、私の頬に――触れない
彼の手は私の頬辺りを突き抜ける様に空を切るだけ。
ああやっぱりか、と私は苦笑する。
それと共に涙があふれ出た。
「僕にとっては、昨日のことのようだ」
彼はそう言って、笑う。その目の端に涙が溢れ頬を伝った。きっと、その涙は温度があるだろう。私の目から溢れるものは温度もないし感覚もない。だから彼にも触れないし触ってももらえない。
会いたいと思っていたのに、会ったらこれほどまでに胸を締め付け苦しいことになるとは思いもしなかった。
でも、会わなきゃいけなかった。
私がここにいるのは、ここにいてしまうのは、彼が原因だから。
「お願い……私を、忘れて」
***
わかっている。
僕が彼女の今の状態を自覚しなきゃいけないことを。それでも、信じたくなかった。そうでないと、あんまりじゃないか。なけなしの勇気を振り絞って結んだ約束したんだぞ?ようやく、結ばれると期待に胸を膨らませての約束だったんだ。両思いだってことは、約束した瞬間にわかったけど、それでもやっぱりちゃんとした形でわかりあって、結ばれて、触れ合いたかった。
――でも、うん。わかってる
僕は決意する。
だって、泣く彼女より、笑う彼女を見たいから。
「大好きだ」
彼女への気持ちを告げながら目元をみっともなく拭う僕を。彼女は目を大きく見開いて凝視し、そして、切なげに微笑んだ。
「うん、ごめん……」
彼女の震える声に、ああやっぱり言うべきではなかった、という後悔が募った。けれど、言葉にして、認めて、それで別れを言わないと、きっと彼女は向こうへ行けない。だから、例え非情で無情でも、僕は容赦なく言葉を告げる。
「でも、さよならだね」
涙と鼻水が出ていても気にしない。格好よく取り繕うことなんて僕には出来ない。それに、感情を素直に曝け出す方が彼女に僕の思いが伝わる気がしたから。そう、自己満足。でも、僕自身が自己満足しないと、彼女がずっと向こうへ行けないから。これで、いいんだ。
「……うん、さよなら」
彼女はそう言って、笑って。
桃色の光の粒子となって空中に溶けていった。
***
――――そこで、僕は目が覚めた。
頬に涙が伝ったのが分かるほど、枕に湿った様子があった。
定期的に見る、音信普通になった彼女の夢。
両思いだった筈の僕らは、とあることにより引き裂かれた。音信不通になってから、何度も何度も見るこの夢は、夢の中で僕を叫ばせ、思いを涙へと変えて溢れさす。彼女の視点まで見れてしまうのが、夢の凄いとこだなぁ、とつくづく思う。
……ああ、こんな、綺麗な終わり方であればどれだけいいだろう。
そんなことを思いながら、今日も僕は望遠鏡を手に持ってお隣の家を覗く。
アパートと一軒家の間には桜の木が咲き誇っていて、まるで僕の想いを祝福するように、桃色の花びらを舞わせていた。家から花見できるなんて、とても贅沢な部屋を借りれたものだと、僕は微笑む。
そして望遠鏡のレンズの奥では、夢の中で光の粒子になった彼女が、幸せそうな微笑みを浮かべ掃除機をかけていた。
「……ああ、大好きだよ」
そう呟いて。
僕は、今日も隣の奥さんの写真を撮る。
fin
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