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中年の男たちが居酒屋で歌を歌い出した。
「貴様と俺とは 同期の桜 同じ兵学校の 庭に咲く」
「テレビを消せ!」
潔はびっくりした。温厚な父が怒っている。
「何で?」
「俺はその歌が嫌いなんだ!」
「だったら、父さんが見なければいいじゃないか」
潔がそう言うと、父親の正成は険しい顔をして居間を出て行った。
何十年ぶりかに潔はその高校時代の光景を思い出した。
父親の正成は、今から二十年も前の二〇〇五年に亡くなった。その年の春に二人で話をしたあの老人ホームでの一日は今でもよく覚えている。父親は八十歳、潔は五十六歳だった。
あれはある晴れた春の日だった。東京に住む潔は、三月の連休を利用して、一人で里帰りをした。妻の凜々子が自分の両親の介護に手を取られていたからだ。名古屋までの新幹線の中で、昔の父親を思い出していた。
父親の正成は、一九二五年の昭和元年生まれで、終戦の一九四五年には二十歳だった。十八歳で赤紙が来て海軍に入ったらしい。「らしい」というのは、父親は戦争の話を一切家族にはしなかったからだ。
終戦後、南方から引き上げた正成は、名古屋の信用金庫に就職して定年まで勤め上げた。結婚したかおりとの間に、一人息子の潔をもうけ育てた。寡黙な性格のせいもあって、潔やかおりに愚痴をこぼすことはなかった。また、性格は温厚で、二人に手を上げたことは一度もなかった。ただ、戦争の話をすることは嫌がり、特に『同期の桜』の歌を嫌がったが、その理由を話すことはなかった。
潔は父親と離れて暮らしたいと思い、東京の私立大学を受け、合格すると家を出た。母親は卒業後は名古屋に戻ってほしいと言ったが、潔は東京の私立高校で国語教師の職を得て、そのまま東京の人間になり、凜々子と結婚し、子ども二人を育てた。その二人も就職し家を出た後は、妻の凜々子と二人暮らしをしていた。
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