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「たまに皆さんでカラオケ大会をするんです。そのとき、お父さまは『同期の桜』の歌を嫌がって、入居者の方と喧嘩になりそうなことがありまして、びっくりしました」
「ああ。父親は『同期の桜』の歌が嫌いなんです」
「どうしてなのでしょう」
「ぼくも知りません。今日、それもさりげなく聞いてみますね」
「お願いします」
潔は、二〇五号室をノックした。
「潔だよ」
「おお、入ってくれ」
正月に会ったときより老いたという印象を受けた。もう八十歳だから無理もない。
「凜々子さんや孫たちは元気か?」
「ああ。凜々子は親の介護に行ってるから今回は来れないんだ。孫たちは仕事に追いまくられているよ」
しばらくは当たり障りのない話が続いた。
「お茶でも飲もう。何にする?」
「コーヒーが飲みたい」
潔はコーヒーを淹れて、口をつけた後、おもむろに尋ねた。
「ところで、ヘルパーさんに聞いたんだけど、お花見に行くのを断ったんだって?」
「ああ」
「父さんは昔からお花見を嫌がっていたよね? それって『同期の桜』の歌が嫌いなことと関係があるの?」
少し沈黙があった。やがて、何事かを決心したかのように、正成は口を開いた。
「そうだな。俺もいつお迎えが来てもおかしくない年になった」
「いやいや、まだまだ早いよ」
「これが最後の機会になるかもしれないから話しておこう。『同期の桜』の歌詞は知ってるな」
「ああ、もちろん」
「『貴様と俺とは 同期の桜 同じ兵学校の 庭に咲く』。この兵学校って知ってるか?」
そんなこと考えたこともなかった。
「いや、知らない」
「兵学校とは海軍兵学校を指すんだ。海軍の将校たる士官の養成を目的とした教育機関で、広島県の江田島にあった。海軍のエリート養成所で、全国の少年たちの憧れの場所だった」
「ひょっとして父さんもそこを出たの?」
父親は苦笑いで答えた。
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