そこにあるお花見

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 スマホで写真撮ろうとして、周りの静かさ、小さな公園、住宅街の中、そこを歩いていて急に桜が咲いてるっていう流れ、そういうのは写真に撮れないんだと思った。全部合わせて綺麗だった。  制服と体操着を受け取った帰りに通りかかったのは、小さな公園だった。小さかったけど、小さな公園が大きな公園より良くないっていうわけでもない。  そこに咲いている桜も小さな木だった。  小さな公園に小さな一本の桜、それが良かった。桜は大きすぎも小さすぎもしなかった。満開の桜は、やりすぎでも物足りなくもなかった。全部がちょうど良かった。  桜の下で、男の子が二人でお花見をしていた。シートの上に正座してお弁当とお茶を置いて、お団子を食べている。いっちょ前にお花見って感じをやってる。  公園の端でサラリーマンが一人座って桜を見上げていた。こっちは仕事に疲れてるんだろうなあって思った。夕方の住宅地の公園に一人で座ってるサラリーマンがいたら、まあパワーがみなぎってるより疲れてる方でしょ。  でもそれが全部、その公園の桜の下にふさわしい感じがした。全部合わせて完成されていた。  小さな公園に、小さな桜の木、男の子が二人、サラリーマンが一人。それで全部のお花見。これ以上何もいらないし、何も足りなくない。それを見てなんだか私まで満足した気持ちになった。  周りに合わせるっていうよりは、その場にふさわしい存在は綺麗だと思った。ダサいとこだからダサい恰好するんじゃなくて、周りから浮くようなおしゃれするのでもなくて、無理に背伸びをするのでもなくて、その場にふさわしい綺麗さでいたいと思った。小さな公園でそこにぴったりに咲くような綺麗さが、きっとあると思った。
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