第1話 邪智暴虐なアイツ

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 顧客をトレーニングジムへと送り出して、データ入力していたら、カウンセリング室のドアが、ノックも無しに開けられた。 「おい、兄貴が呼んでる。執務室まで来いとさ」  海門が、仏頂面で立っていた。  全く、公私混同はどっちだ!と言いたい。今の時代、たとえ雇用主であっても、従業員に対して、威圧的な物言いをすれば『パワハラ』認定されんだぞ!  そういう思いを込めて、上目遣いに海門を見た。  身長180センチ、仕立ての良いブランド物のスーツを着こなしている。髪は染めていないのに、昔から少し色素が薄い。緩いウェーブがかっている。切れ長の目はやや冷たい印象だ。スッと伸びた鼻梁。引き締まった口元。シャープな顎のライン。大人になるにつれて、筋肉がついてきた首周りと胸板は、残念ながら、今はシャツに隠れて見えない。これで、お腹でも出てくれば、笑いのネタにすることもできるのに、空いた時間にトレーニングを欠かさないもんだから、腹筋は6つにしっかり割れている。  独身30歳。モテないはずがない。  だから、私が、彼女がいない隙間時間を利用して、せっせと告白しているのに、一向に靡かない。振り向きもしない。  「じゃあ、伝えたからな。俺、今日、もう上がるわ」 「どこ行くのよ?」 「まだ、勤務時間内」 「…支配人、どちらに行かれるのですか?」  当然、ペッパーくんのように棒読みになる。 「プライベートだ。立ち入るな」  だったら、黙っていなくなれ。言い直しさせるな!  海門が去ってから、盛大にため息を吐く。 「何で、あんな奴が好きなんだろう…」  分かってる。恋に落ちたからだ。  初めて会ったのは、結婚式だった。海門の9歳上の兄と、私の母の末の妹が結婚した。二人とも、私同様、親族枠で入社した同僚同士だった。つまり、職場恋愛だ。海門の兄より私の叔母さんの美也子ちゃんの方が3歳年上である。  親族同士が集う場で、紹介されて、運命の鐘が鳴り響いた。目が離せなかった。当時夢中になって読んでいた、少女漫画のヒーローが、そのまま抜け出てきたみたいだった。長い睫毛に縁取られた瞳に、じっと見つめられた時、魂が蕩けそうだった。  式も披露宴も、どうでもよかった。ひたすら海門を見つめていた。  何を食べたか、食べた物がどこに収まったのかも分からないまま、披露宴が終わり、解散となった時、私は思い切って海門に話し掛けた。 「…あの!連絡先交換してもらえませんか?」  顔を茹で蛸みたいに真っ赤にして、今まで異性には口にしたことがないセリフを言った。それなのに…。 「嫌だ。始めっから終わりまで、ずーっとこっちを見てて、キモイんだよ。俺、彼女いるから諦めて」  秒殺だったが、今回の断りより、セリフが長かっただけマシか?
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