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執務室と言っても、同じ建物の中にあるわけではない。広大な敷地の中に、様々な施設が点在し、中でも最も大きな建物の中に事務所があり、執務室がある。
「鳳GM、お呼びでしょうか?」
「ああ、翠ちゃん。わざわざ来て貰ってすまないね。今日は、もう仕事終わりかい?」
海門の兄、航介さんは、物腰が柔らかで親しみやすい人だ。この場の全てを統括する、総支配人だ。
「はい。この後は帰るだけです」
「よかった。これ、義姉さんに頼まれてた歌舞伎のチケット。いい席が手に入ったよ。翠ちゃんから、渡してもらえないかな?」
封筒を差し出す。
また、オカンときたら、この人を顎で使ったな。
うちの母は、この同族会社に関わり合いがない。結婚前から公務員として、しっかり働いていた。父が亡くなっても、ガッツリ仕事をしている。筋金入りの県庁職員だ。公僕のくせにちゃっかりしていて、義弟の顔が広いのを利用して、こういった私欲に走る。
「そう言えば、海門はどこ?一緒じゃなかったの?」
「だいぶ前に上がりました。御用でしたら、捕まえておきましたのに」
GMは、少し考えて、
「いや、いいんだ。またの機会にするよ。…今度、美也子と4人で食事でもしようか」
と言った。うーん、と考える。
「4人は…しばらくいいです。昨日振られたばかりなんで。3人で行きましょう」
「美也子から聞いたよ。僕としては、2人はうまく行くと思うんだけどね」
それ!頼むから、本人に言ってやってください!
どうせアイツには、逆効果だと思うけど。余計意固地になるだろうな。
「じゃあ、週末、家においでよ。美也子も会いたがってたし」
「ありがとうございます。伺います!」
「ただいま。GMから、チケット預かってきたよ」
「お帰り。ありがとう。早速、お礼言っとくわ」
母は、まだスーツ姿だった。仕事から帰ったばかりなんだろう。
「週末、美也子ちゃんとこに、お邪魔する。お母さんも行く?」
「ダメよ。だって、お友達と歌舞伎に行くんだもの」
封筒をひらひらさせる。
ああ、そうか。じゃあ、一人で行くか。お土産代浮かすつもりだったのに、残念。
「…航介さん、他に何か言ってた?」
「いや、何も」
「…そう」
何か、あるのだろうか。いつになく歯切れが悪い。
そして、実際に、あったのだ、『何か』が。
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