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「このまま黙って、あなたも会社も自分のものにしてしまう事は、容易だ。でも、僕は一度失敗しているから、分かるんです。自分の欲望だけで押し続けていくと、軋轢が生じて破綻する。結婚も事業も」
私を、優しく見つめる。
「好きだからこそ、相手の思いを大事にしたい。翠さん、あなたが、本当に求めるものは何ですか?…あなたが、それを手に入れてくれることが、僕の幸せです」
何で、この人は、こんなにも優しく私を見ているんだろう。
私…、どうすればいいんだろう。
私の一番、欲しているものは、何なんだろう。
…分からない。でも、一つだけ、確かな、やらなければならないことがある。
「私、海門に会ってきます」
答えは、きっと、そこにある。
駐車場に向かいながら、海門に電話する。
「海門、今どこ?」
「マンションだが、もう、出るところだ」
「すぐ帰るから、そこで待ってて!」
「…何故?もう話は済んでるだろ。じゃあな…」
「海門!」
通話が切れた。この、せっかち!ほんの少しも待てないのか!
とりあえず、車を走らせる。
マンションのエントランスで、エレベーターを待っている時間が、こんなにもどかしいのは、初めてだ。
エレベーターを降りて、玄関まで急ぐ。
部屋のドアを開けたが、リビングは真っ暗だ。人のいる気配はない。
ああ、行ってしまったんだ。
足から力が抜けていく。
バカ!
あと、ちょっとだけ、いてくれるだけでいいのに!
…悲しくなった。深いため息を吐く。
あれ…?
リビングの闇を透かして見ると、テラスに人影があった。
「…海門…」
「…よう」
「こんなとこで、何してるのよ」
「お前が、待ってろって言うから…。やる事もないんで、月を見てた」
私が、さっきまで見ていた、半欠けの月が空にある。
「満月じゃないのに?」
「いいんじゃない?人間だって、欠けた所があった方が、面白いさ。…それを満たしてくれる相手を探せる」
海門のくせに、随分と抒情的な事を言ってる。
「…らしくないわね」
「そんなこともない。俺も足りないとこだらけだ」
殊勝な事を言う。何だか、この間から『俺様』気質が影を潜めて、私の前では、素になってる。肩の力が抜けた感じ。
「海門、この前『嫌いを否定するのが面倒だった』と言ってたわよね」
海門が、月から私に視線を移す。
「だったら、私をどう思ってるの?」
もしかしたら、この問いは初めてかもしれない。今までは私の『好きです。付き合ってください』の一点突破攻撃ばかりだった。
「好きだよ」
へっ…?
「何で?どうして、それ、言ってくれなかったの?」
「聞かれなかったから」
何だと?
「それに、お前、俺を大嫌いになったって言ったじゃん。その相手に言うだけ無駄だろ」
コイツって…全く…。
「バカ…」
「うん。この前も、お前に言われた。キスした時」
頬に血が昇る。思い出してしまう。
「お前の真っ直ぐなところが好きだ。気取らないで、自然体で、素直なところも。人をほっとけない優しさも。ひたむきで一生懸命で…俺をずっと思っててくれた。…お前が好きだ。…本当は誰にも渡したくない」
海門の言葉が、私の心臓を鷲掴みにして、揺さぶる。熱い眼差しで燃やされたように、全身が熱くなる。
「冬星に怒られるな」
「彼が、言ったの。自分が本当に求めるものは何か、それを手に入れろって」
海門に自分から、近づく。栗色の髪、その下の瞳、私だけを見つめる瞳を見上げる。
「私が、本当に欲しいのは、あなただった。ここに来て、やっと分かった」
「あなたが、欲しい。他は何もいらない」
涙が、零れ落ちる。
「海門、あなたが、好きよ」
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