乾杯

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1週間前、祖父が亡くなった。 その日、祖父は日課である散歩に出たのだが、いつまで経っても帰ってこなかった。 心配した母や祖母が近所を探し、町の中央にある公園で眠っている祖父を発見した。 その時既に、祖父の体は冷たくなっていたらしい。 大きな桜の木にもたれかかり、静かに眠っていたそうだ。 祖父はとても良い顔をしていた、と母は言った。 「きっと良い夢を見ていて、そのまま夢の世界に行ったのね」 そう言って、涙を浮かべながら微笑んだ。 祖父の葬儀を終えてある程度落ち着いた頃、私は町の中央にある公園を訪れた。 幼い頃、よく祖父に連れられた場所だ。 今は美しい自然が広がる穏やかな広場だけど、かつては地獄のような光景がそこにあったらしい。 何十年も昔の大いなる災いを体験した祖母が、当時の大変さをよく語っていた。 祖父は、それについては殆ど話そうとしなかった。 公園で無邪気に遊ぶ私を見て優しく微笑むばかりだった。 そんな祖父だが、桜の季節になるといつも塞ぎ込んでいた。 満開の桜が綺麗だから一緒に散歩しようと誘っても、頑なに断られた。 「かつての災いで大切な仲間を喪ったのが、丁度この季節だったの。  だからおじいちゃん、綺麗な桜を見ると辛くなっちゃうのよ。  ごめんね。分かってあげて」 祖母からそう聞かされて、私は桜の季節は祖父をそっとしておくようにした。 いつか、この公園の桜を祖父と一緒に楽しめたら良いなぁ、と思っていたけど その願いは叶わないまま祖父は天国に行ってしまった。 晴れ渡る青空の下、柔らかな光が降りそそぐ。 公園に立ち並ぶ桜の木々は満開に咲き誇り、これでもかとその美しさを見せつける。 これ以上にない行楽日和。 お花見を楽しむ人々がそこら中に溢れかえっていて、公園の中はとても賑やかだ。 早くも酔っ払って陽気に笑っている人の声も聞こえる。 何にせよ、皆楽しそうで何よりってところかな。 祖父もかつては、大切な仲間たちとこうやって楽しく過ごしていたのだろう。 今頃は天国で皆と再開しているだろうか。 (もしかしたら、その辺の花見客の中にこっそりと混ざっているかも……なんてね) そんなことを思いつつ、口元にほんのりと笑みを浮かべて私は桜並木を通り抜けていった。
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