友達は充電中

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 授業のほとんどが文化祭の準備に当てられるようになり、教室から廊下まではみ出すほど段ボールや絵の具が溢れ、四六時中、誰かがスマホで鳴らしているお気楽な音楽が流れている。ジャージを着て一心不乱に筆を動かす女子生徒を視界の端で眺めながら、俺は教室の隅に座り込んで鋏を弄んでいた。同じ形のパーツをひたすら切り抜いていくだけの、何の面白味もない作業だ。  『アイ』の話をした時以来、持田と屋上に行くことはなかった。持田はクラスの女子に引っ付いて、常に三、四人のグループで行動するようになっていた。俺が話しかけに行く隙はない。そもそも、別に俺がいなくたって持田はちゃんとやれてる、と言ったのは俺自身だ。だから、持田と話さなくなっても何の問題もないはずだった。  俺が黙々と切り抜いた紙切れを床に積み上げていると、誰かの足がすぐ側に置かれた。見上げてみれば、先ほどからずっと学級旗を塗っていたはずの女子生徒だった。最近持田とよく一緒にいる、活発そうな女子だ。クラスの誰に対しても分け隔てなく、物怖じしないタイプだろう。彼女は片手を腰に当て、もう片方の手に筆をぶら下げたまま、俺に言った。 「ねえ、もっちー知らない? さっきから戻って来なくて」 「なんで俺に聞くわけ」 「柏木、もっちーと仲良いでしょ」  俺は立ち上がり、彼女を見下ろす格好になる。彼女は持田よりも少し背が高く、自然に目が合った。 「ペンキ、足りなくなったから取って来るって言って出て行ったんだけどさ。もう三十分も戻ってないの。柏木、ちょっと探しに行ってくれない?」 「なんで俺が。お前が行けばいいだろ」 「なんでなんでって、うるさいなあ。あたしは手離せないし。学級旗の進捗、やばいんだって。いいから見てきてよ。あの子、ちょっとぼーっとしてるとこあるし、どっかで迷ってるのかもしれないじゃん?」  校内で迷うも何もあるかよ、と言いつつ、俺は鋏を床に置いた。床に散らばっている色とりどりの紙切れやらパレットやらバケツやらの間を縫うようにぴょこぴょこと進み、教室を出たところの廊下でパーツの組み立てを行っている男子生徒に「ちょっとごめん」と声をかけながらやっとのことで歩を進めた。  廊下の窓から見える空は暗く雲が垂れ込めていて、ガラスには水滴がいくつも付いていた。ずっと屈んでいたせいで強張った体を、肩を回してほぐしながら、ふと屋上へ寄ってみるか、と思い立った。ペンキがしまってあるのは外の倉庫のはずだから、完全に逆方向にはなるが、この非日常に浮かれた息が詰まる空間から逃げ出して、外の空気を吸いたかった。  屋上へ続く階段は、学年ごとの教室があるエリアからは少し遠い。教室を離れるにしたがって、生徒たちの楽しげなざわめきも遠ざかっていき、やがて自分の足音だけが静かに響くようになった。階段を上がり、ドアを開く。  ドアを開いた途端、湿り気のある雨の匂いが俺を覆うように広がった。パタパタと、雨が固いコンクリートに当たる音が鼓膜を撫でる。当然ながら、持田の姿はない。  俺はジャージの上着を脱いで、傘代わりに頭から被り、雨の下へ出て行った。フェンスに近寄り、地面を見下ろす。  校舎内の喧騒とは裏腹に、雨に打たれるグラウンドはぬかるんで色を濃くして沈黙していた。ジャージが濡れ、重みを増してくるのと並行し、スニーカーにも水が染み込んで靴下から冷たさが伝わってきた。この足で校内に戻ったら怒られそうだな、と少し後悔しつつ、これから向かうべき倉庫に目をやった。何か妙な気がしてフェンスに顔を寄せ、網の隙間から目を凝らす。  倉庫は屋上から見ると側面が見える配置になっていて、入口部分はよく見えないが、外開きの扉が開いたままになっているのがわずかに見えた。その開いた扉の下から、横向きに足が覗いていた。ジャージを着た足だ。開いた扉に隠され、顔は見えない。人が倒れている、と思った瞬間、俺は踵を返して駆け出していた。  雨でドアの取手が濡れて上手く回らないのをもどかしく思いつつ、どうにかドアを開いて階段を駆け降りる。雨に濡れたスニーカーがキュキュ、と音を立て、時々滑って足を取られた。体育館へと続く渡り廊下からそのまま外へ飛び出し、倉庫を目掛けて走った。足が泥に取られて一瞬よろめく。なんとか体勢を整えつつ開きっぱなしになっている扉へ駆け寄ると、倉庫の中に上半身をもたれるようにして、持田が倒れていた。  持田を抱き起こし、頬を叩いてみるが反応がない。口元に手をかざしてみるが、呼吸はしていなかった。ぐったりとした手に触れると、ひんやりと冷たく、ぞっとした。機能が停止していることは明らかだった。 「持田、持田!」  名前を呼んでみたところで反応が返ってこないことは分かりきっていても、呼ばずにはいられなかった。  どうしたらいいのか、必死に考える。教師を呼んだところでどうにもならないどころか、病院に運ばれれば持田がアンドロイドであることがばれてしまう。ここでしばらく様子を見たところで、持田が目覚めるとは思えない。そもそも、持田って雨に弱いのか? 水濡れ厳禁だったりするのか、と思い、もうすでにぐっしょりと濡れてしまっている自分のジャージを被せた。頭の中でぐるぐると思考が回り、混乱しつつも、閃くものがあった。持田の父親だ。  俺は、持田の着ているジャージの上着を探る。果たして、生徒手帳が見つかった。生真面目な持田のことだ。生徒手帳は携帯すべき、と考えて、ジャージの時も持ち歩いているはずだと思った。俺は生徒手帳のページを繰り、住所の記載を探す。あった。ここからそう遠くない、徒歩で行ける距離だ。  俺は持田を抱え上げ、自分の肩に掴まらせるように背負い、走った。  持田の家は、何の変哲もない一軒家だった。もっとラボっぽい、無機質な建物を想像していたが、予想に反してどこにでもある、温かな家庭を築いていそうな佇まいだった。庭先にはプランターも並べられており、様々な種類の花が植えられていた。持田が育てているのだろうか。  俺は持田を背負ったまま玄関の前に立ち、インターホンを押した。しばらくして、「はい」と男の声がする。 「あの、俺、持田のクラスメイトです。学校で、持田が倒れて」  持田がインターホンのカメラに映るように、ぐっと肩を持ち上げる。目を覚まさない持田の髪から、雫が滴り落ちた。しばしの沈黙ののち、「今、開けます」と声がして、ガチャリと鍵の開く音がした。  持田を落とさないようにバランスを取りながら片手でドアを開けると、ちょうど家の奥から男がやって来るところだった。 「わざわざありがとう。こっちに来てもらえますか」  落ち着いた、穏やかな雰囲気の男だった。人の良さそうな表情が、持田に似ている気がした。  通されたのは居心地の良さそうなリビングだった。ソファに持田を横向きに寝かせると、男は持田の首にある例の継ぎ目からシートを剥がし、中の基盤の様子を見始めた。俺は所在なく、男の背後からそれを見ているしかない。  ほどなくして、男が振り返った。微笑んで、持田の髪を撫でながら言う。 「ただのバッテリー切れですね。まったく、人騒がせな子で困ります」  俺は途端に肩の力が抜ける。 「バッテリー切れって、そんな。じゃあ、雨に打たれたのが原因で故障したわけじゃなかったんですね。よかった」 「雨? マナは完全防水ですよ。水泳だってできます」  きょとんとした顔で男がそう返すので、俺は気恥ずかしくなる。が、そこでふと引っ掛かり、疑問を口にした。 「マナ? というか、今バッテリー切れって言いました? あの、俺、持田がアンドロイドだってこと」  男は、今初めて気が付いたというようにぽんと手を打って頭を下げた。 「申し遅れました。私、この子……マナの製作者で、持田アイの父です。マナからいつも話、聞いてますよ。柏木ユウキくんですね」  持田アイとして高校に通わせていますが、この子の本当の名前はマナといいます、と持田さんは付け足した。 「マナの秘密を守ってくれてありがとう。入学してから毎日、君のことを楽しそうに話していますよ」 「いや、そんな」  俺は頬を掻き、なんとなく持田さんの顔を見られなくて目を伏せた。横たわる持田の後ろ姿が目に入る。  持田さんは俺の視線に気付くと、ソファの後ろに回ってどこからか細い電源プラグを持ってきて、持田の首の後ろの繋ぎ目にぐっと差し込んだ。 「あ、乾電池じゃなくてもいいんですか」  思わずそう聞くと、持田さんは笑った。 「むしろ、普段はこっちで充電してるんですよ。乾電池は、携帯用の電力供給源として持たせてるんです。バッテリー切れになるまで電力供給をしていなかったなんて、それだけ学校生活が楽しかったんでしょうか」 「そうだといいですけど」  数週間前の、屋上をあとにした持田の後ろ姿が脳裏をよぎった。でも、ここ最近の持田はずっと友達と楽しそうにしていたし、見ていた限りではアンドロイドだと疑われることもなく、うまくやっていたはずだ。ではなぜ、持田はあんなところで倒れていた?  ピピ、と小さく電子音がして、持田が寝返りを打つようにこちらを向いた。 「あ、マナ。目が覚めた?」  持田さんが声をかけると、持田は寝惚けたような顔でパチパチと何度か瞬きをしたあと、俺の姿をみとめて慌てて起き上がった。濡れた髪を手櫛で梳きながら、きちんと座り直す。 「な、なんで柏木くんがここにいるの?」 「柏木くんはマナを連れてきてくれたんだよ。マナ、学校でバッテリー切れを起こしていたんだって」 「バッテリー切れ……」  持田の顔色が、心なしか青ざめて見えた。 「マナ、気をつけないとだめだよ。電力供給はこまめにするようにって、言ったじゃないか」  持田は俯き、頷く。首の後ろから伸びた電源プラグが引っ張られて、ずず、と音を立てた。  持田さんは息を吐き、俺に向き直った。 「何か飲み物を持って来よう。それに、タオルも。風邪を引いたらいけないからね」 「あ、ありがとうございます」  持田さんがリビングを出て行き、俺と持田だけが残された。俯いたままの持田の隣に座り、「おい」と声をかける。持田は何も言わない。 「乾電池、いつも持ち歩いてるんじゃないのかよ。なんで倒れるまで電力不足に気付かなかったんだ」  持田が小さく、口の中で何事かを呟いたが上手く聞き取れない。耳を寄せ、何だって、と聞き返す。  いきなりぐるんとこちらを向いた持田の顔は、いつか、初めて屋上で会った日のように強張って、しかしまっすぐにこちらを見据えていた。 「柏木くんのこと考えてて、電力不足になってるなんて気が付かなかった!」 「俺?」 「柏木くんはさ、やっぱりあたしがアンドロイドだから助けてくれたの?」 「な、何の話。アンドロイドだろうが人間だろうが、人が倒れてたら助けるだろ」 「じゃあさ、じゃあ」持田は今にも泣き出しそうだった。顔に張り付いた髪から水滴が伝って、頬に涙のように跡をつけていた。「あたしがアンドロイドじゃなかったら、友達になってくれた?」  俺は、持田の目をしっかりと見た。その目から涙がこぼれているわけではない。それでも、俺は「泣くなよ」と言わずにはいられなかった。持田には、笑っていて欲しかった。  俺は言葉を探す。持田の顔の向こう側に、写真立てが飾られているのが見えた。若い男女と、幼い女の子が並んで微笑んでいる、よくある家族写真だ。 「確かに、持田がアンドロイドじゃなかったら、こんなに話すようにはなってなかったかもしれない」  持田が顔を歪めるので、俺は慌てて言葉を継ぐ。 「話は最後まで聞けよ。でもそれは、ただのきっかけだよ」 「きっかけ?」 「ああ、そうだ。俺は、持田がアンドロイドだから一緒にいるんじゃない。その、なんというか」一度大きく息を吸った。「お前がアンドロイドだって教えてくれた時。あの時、お前がその首の基盤を見せてくれた時。上っ面なんかじゃない、本当の自分を曝け出してくれたような気がして、嬉しかったんだ」  どういうこと? と持田が首を傾げる。俺自身、自分の胸の中にまるでケーブルの塊があって、それを少しずつ解いていくような感覚に陥っていた。 「上手く言えないけど。あの時、誰よりもお前が本音で向かい合ってくれてる気がしたから。だから、自己紹介で『みんなと友達になりたい』って言ったのも、本当なんだろうなと思ったんだよ。それでお前の正体がばれないように手伝うのって、なんか矛盾してる気もするけどさ」 「で、でもさ、あたしの言葉なんて、所詮AIが出力してることだよ? あたしは結局『アイ』のコピーで……」 「だからさ、そうやって自分を下げるようなこと言うの、やめろって」  俺は、今度こそしっかりと持田の肩を掴み、言った。 「俺にとって、人間の脳みそで考えたことも、AIが出力したことも、何の違いもない。どっちも、『持田アイ』の思考データから生成された結果だろ? それに」  持田は息を詰まらせたように俺を見ている。 「俺は、『マナ』とも『アイ』とも、どっちとも友達になれるって思うよ」 「……本当?」 「本当だよ。マナはさ、多分、アイのことも大好きで、俺にもアイと友達になって欲しいんだろ?」  黙って頷くマナの背後に飾ってある写真立てに、もう一度目をやる。若い男女の側に、二人の女の子が手を繋いで並んでいた。姿は似ていない。多分、高校入学か、どこかのタイミングでマナの姿をアイに似せて改造したのだろう。 「マナはさ、痛みを感じた時のデータが少ないだろ?」 「えっ? うん」 「それはさ、多分アイが、たとえデータに応じて反応を返すだけだとしても、マナに痛い思いをして欲しくなかったから。だから、わざとデータを入れなかったんだと思うんだよな。そういう風に思える優しい人が元になってるなら、マナだってアイに楽しい思い出を作ってあげたいって思うはずだし」  がちゃり、とドアが開く音がして、持田さんがリビングに戻って来た。湯気の立ったマグカップを持ち、腕にバスタオルをかけていた。 「すみません。ほんのちょっとだけ、立ち聞きしてしまいました」  ローテーブルにマグカップを置くと、バスタオルを手渡してくれる。マナの頭にもバスタオルをかけ、わしわしと髪を拭いてやっていた。 「マナは、本当に良い友達を持ちましたね」  されるがままのマナの顔は見えないが、はっきりと、「本当に」と嬉しそうな声が聞き取れた。 「柏木くん。これからも、マナと仲良くしてもらえると嬉しいです」  言われるまでもないことだった。タオルの隙間から顔を覗かせたマナと、目が合った。
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