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「今、見たこと、絶対誰にも言わないで」
震える唇から単二の乾電池をごろん、と落として彼女は言った。固いコンクリートの上に乾電池が落ち、小さく重たい音を立てた。
空は抜けるように青く、風はそよぎ、陽光も穏やかで良い日和だ。屋上で女子生徒と二人きり、端から見ればこれから良い雰囲気になりそうなカップルにでも見えたかもしれないが、俺たち二人の間には緊張感が走っていた。
「えーと……確か、同じクラスだよな? 持田、だっけ」
ひくっと顔を引き攣らせながら、俺はやっとのことでそう言葉を吐いた。
流し素麺のように名前と趣味、一言の挨拶を言わされる、入学初日の上っ面だけの自己紹介で、妙に溌剌と挨拶し、「ずっと高校に通うのが楽しみでした。みんなと友達になりたいです」と言った女のことはよく記憶に残っていた。悪いやつではないんだろうが、ちょっと世間とずれていて、あまり友達にはなりたくないタイプ。それが俺の、彼女に対する評価だった。
おそらくその評価は間違いではなかったと、今、屋上で乾電池をくわえて空を眺めていた持田を見て、確信していた。
「うん。持田アイ。君は、柏木ユウキくん。だよね?」
フルネームを呼ばれ、入学して二日目にして名前を覚えられていたことに、ぎょっとする。クラスでは目立たず過ごそうと決めていたのに、よりによってこんな変な女に目をつけられていたのか。勘弁してくれ、と思ったところで、持田の足が落としてそのままになっていた乾電池を蹴ってしまったらしく、ゴロゴロと俺の足元に乾電池が転がってきた。
「あ」と二人同時に声を上げた。俺は自分のスニーカーの側面で転がる乾電池を受け止め拾うと、持田に渡した。
持田は両手をお皿のようにして乾電池を受け取ると、顔を上げた。その顔は強張っていたが、目を逸らさずに真っ直ぐこちらを見つめているので、俺は少々たじろいだ。
「あの、柏木くん。聞いて欲しいことがあるんだけど」
「……何?」
持田は手のひらの上で乾電池を転がして弄びながら、ほんの少し躊躇ったあと、口を開いた。
「あたし、アンドロイドなんだ」
「何て?」
だからアンドロイドなんだって、と伏し目がちに繰り返す持田のつむじを、まじまじと眺めた。肩で切り揃えられた髪が風になびいて揺れている。
持田はフーッと息を吐き、突然後ろを向いて髪を持ち上げ、自分の首を指差した。
「ここ、よく見ると小さく継ぎ目があるの、分かる? ぱっと見は手術痕に見えるかもしれないけど、こうすると、ほら」
持田が、皮膚を引っ掻くように形の良い爪を立てると、薄くシートの皮がめくれてメタリックに輝く基盤が表れた。女子のうなじなんて、本当なら顔を赤らめて目を逸らすか、鼻の下を伸ばして覗き込むか、どちらかの行動を取るべきかもしれないが、目にしている光景があまりに信じがたく、俺の目はそのグロテスクな皮膚と機械の境界から視線を外すことができなかった。
「あの……触っても、いい?」
自分でも、口から飛び出た言葉に驚いた。持田も一瞬びくっと肩を震わせたが、向こうを向いたまま「いいよ」と答えた。
俺はそっと持田の指に添えるように自分の人差し指を置く。めくれ上がったシートはちゃんと人間の皮膚のように温かく柔らかいのに、基盤の部分に触れると固く、内部で様々な処理が目まぐるしく行われているであろうことを想起させる熱を持っていた。思わず、熱っ、と指を引っ込めると、持田は髪を下ろしてこちらに向き直り、「大丈夫?」と気遣ってくれた。
指先をさすると、じわりと鈍く感触が伝わり、自分の指であってそうでないかのような居心地の悪さを感じた。
「すごいな。放熱とか、どうなってるんだ? これ」
ずっと固く強張っていた持田の顔がほんの少し緩んで、ふふん、と鼻を鳴らした。
「お父さんは天才なの。発生する熱は大部分を体温の再現に利用して、残りは呼吸と一緒に放出されるように設計されてる。普通の人よりはちょっと体温が高め、くらいで収まってるかな」
「本当にすごい」
俺は素直に感心していた。
「持田がアンドロイドだってことは分かったよ。でもさ、その、乾電池。食ってた……のか? それはバッテリー? ってこと?」
「え、あの、そこ?」持田は目をぱっちりと見開いて何回か瞬きをした。「もっと驚くとか、気味悪がるとか、そういうの、ないの?」
「何。驚いたり、気味悪がったりして欲しいの」
「……違うけどさ」
「じゃあ、いいじゃん」
「でもさ、気持ち悪くないの? 人間の振りしてる、ロボットだよ?」
ロボット、という単語に、俺は眉をひそめる。
「ロボットじゃなくて、アンドロイドなんだろ。そうやって自分を下げるような言い方するの、やめろよ」
持田は泣きそうな顔になった。実際に涙が流れるのかどうかは別として、手で顔を覆って俯いた。
「もしかして、柏木くんもアンドロイド?」
俺は吹き出した。持田が勢いよく顔を上げ、むくれている。
「そんなわけないだろ。俺はどこを切っても肉ばっかりの、生身の人間だよ」
で、あれってバッテリー? ともう一度聞き直すと、持田は溜息をついて乾電池を改めて口に押し込みながら、もごもごと喋った。
「そうだよ。これがあたしの主食なの。みんなの前でごはん食べられないからさ、ここでこっそりランチタイム、ってわけ」
「今時、単二? というか、もっと他のエネルギー供給方法なかったの。ソーラーパネルとかさ」
持田はじろりと俺を睨みつける。
「そんな大掛かりなもの搭載してたら、すぐアンドロイドだってバレちゃうじゃない。単二の乾電池が一番、持ち運びやすくて便利なの」
「へえ」
にやにやと、俺は持田が乾電池をくわえている様子を眺めた。最初は面食らったが、改めて見てみれば、小さい口いっぱいに乾電池が詰まっているその姿はどこか間が抜けていて微笑ましいと思えなくもなかった。
「あのさ、もう一つ聞いてもいい?」
「何」
「アンドロイドだってばれたくないのに、なんで持田は俺に自分がアンドロイドだって教えてくれたわけ? 知られたくないなら、言わなければよかったのに」
乾電池をくわえた持田を見たとき、俺は変な女だと思いこそすれ、まさかアンドロイドだとはつゆほども思っていなかった。アンドロイドであることがバレたくないなら、わざわざ言わなくてもいいはずだ。俺に変な女だと思われたとしても、そちらの方がまだましだったのではないか、と思った。
持田は口から乾電池を取り出し、OKマークを作るように摘んで掲げて見せた。
「……これ、拾ってくれたから」
「乾電池?」
それがどうしたというのか。
「たとえあたしが人間だったとしても、人が口に入れたものなんて、普通は気持ち悪くて触りたくないでしょ。でも、柏木くんはそれを拾って渡してくれたから」
「そんなことで?」
「最初は、柏木くん、あたしの名前覚えてたし。なんかちょっと意地悪そうだなって思ってたしさ、言いふらされたりしたら、あたしの高校生活終わりだって、身構えてたんだけど」
持田は乾電池をブレザーのポケットにしまい込んだ。ポケットが不自然に膨らんで、重みで少し裾が下がった。
「でも、乾電池を拾ってくれたから、思ってたよりは優しい人なのかなって思って。賭けてみることにした」
「それさ、俺が信じなくて、しかも言いふらすような奴だったらどうするわけ」
アンドロイドだということだって、俺が周囲に吹聴するような人間だったらどうするつもりなのか、と思った。言っても信じてはもらえないだろうが。
「別に、どうもしない」
俺の脇を通り過ぎ、持田は階段に続くドアの取手に手をかけた。
「あたしは多分いじめられるか、良くても避けられて、楽しい高校生活は送れなくなる。もしかしたら、人知れず転校するかも。でも、それだけだよ」
取手を引いて、寂しそうな声と共にドアの向こうに消えていく持田を、気がつけば俺は追いかけていた。閉じかけたドアを力いっぱい引き、暗い階段を降りようとしていた持田に向かって言う。
「あのさ! 俺、絶対誰にも言わないから。だから、その」
驚き振り返った持田の顔に、俺の影が落ちていた。
「学校辞めようとか考えるなよな。……まだ入学したばっかなんだし」
何が言いたかったのか、自分でも分からなくなってどんどん尻すぼみになる俺の言葉を、持田はぽかんとしながら聞いていた。
その時、俺の俺の言葉を遮るように、うるさいくらいの予鈴が鳴った。俺たちは顔を見合わせて、慌てて階段を駆け降りていった。廊下は走るなよ、とまだ名前も知らない教員の声を背に受けながら、横目でちらりと持田の様子を盗み見ると、心なしか上気したように頬がピンクに染まっていた。急に走って、熱暴走でもしているんじゃないだろうな、と心配しながら、俺たちは一緒に教室を目指した。
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