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持田は、自分がアンドロイドであることがばれたくない、と言う割に、どこか抜けていて危うい奴だった。
たとえば、調理実習のとき、とても触れないほど熱くなった鍋の蓋をミトンも使わずにひょいと持ち上げてみたり、体育の最中、飛んできたボールがまともにぶつかっても身じろぎ一つせずけろっとしていたり。持田がアンドロイドだと知っている俺はその度にひやひやしていて、あとでこっそり持田を呼び出して注意もしていたが、意外とクラスの奴らは呑気なもので、持田を「ちょっと鈍い不思議ちゃん」扱いして受け入れていたようだった。
例によって、もうすっかり日射しも強くなって汗ばむ気温になってきたというのにしっかりとブレザーを着込んで登校してきた持田を、俺は屋上に呼び出していた。ほとんど人が来ない屋上は、初めて会った時以来、持田との恒例の待ち合わせ場所になっていた。
「あのさ、今の気温って、分かるか?」
「ええと、気温感知センサーによると、約二十八度、かな」
俺はわざとらしく、大袈裟にため息をついた。
「なんで気温感知センサーがついてるのに、冬服で来るんだよ」
持田のブレザーを指差し、俺は言う。相変わらず、ポケットは乾電池で膨らみ、持田が体を揺するたびにじゃらじゃらと音を鳴らしていた。
「え? だって、今は衣替え期間だよね? 生徒手帳には、夏服と冬服、どちらを着ても構わないって書いてあったけど」
「普通は、その日の気温に合わせて着替えてくるものなんだよ。せめてブレザーは脱いでおけって」
「そうなんだ。分かった」
持田がブレザーを脱ぐと、またいつかのように、乾電池がごろんごろん、と落ちた。俺はそれを拾い集めて、持田に渡す。膝をついてブレザーを折り畳んでいた持田は、「ありがとう」とはにかんで片手で乾電池を受け取った。生徒手帳と一緒に、几帳面に夏服のベストのポケットにしまう。
「いやあ、柏木くんにはいつも助けてもらっちゃってるなあ」
持田の隣に腰を下ろし、肘を突きながら俺は呆れた視線を向ける。初対面の時の緊張した面持ちはどこへやら、今では人慣れした猫のようにすっかりくつろいだ様子を見せるようになった。それは、こうして間近で眺めていても、アンドロイドだと知っていても、人間にしか見えないほど自然な態度に思えた。
「だいたい、どうしてある程度人間らしく振る舞えるのに、中途半端なところで抜けてるんだよ。お前の父さんは天才なんじゃないのかよ」
半分雑談のつもりで俺がそう訊ねると、持田は少し考え込むような顔をしたあと、躊躇いがちに口を開いた。
「それは……あたしが『アイ』の経験したことを元に思考してるから……『アイ』が知らないことは、データの中になくて、正しい答えが出せないの」
「『アイ』? って、お前の?」
「あたしじゃなくて、『持田アイ』。お父さんの、本当の娘さん」
持田は両手で膝を抱えて、組んだ腕の内側に顎を埋めるようにした。背中が太陽に照らされてじりじりと熱いのに、持田はまるで北風に吹かれているみたいに寒そうに見えた。
「『アイ』は、事情があって外に出られないんだよね。それで『アイ』のために、お父さんがあたしを作って、『アイ』の代わりに色んな思い出を作れるようにしてあげたんだ。あたしのAIは『アイ』の記憶とか、考え方を元に構築されてるの」
俺は普段の持田の様子を思い返してみる。こうして会話は成り立つし、授業だって普通に受けている。一度聞いて、見れば完璧に記憶できるのだろうが、ノートだって一応取る素振りも見せている。体育や家庭科、美術など、実習のある授業だって、周りの様子を見ながらそつなくやっているように見えた。しかし、熱いものを素手で触ったり、ボールがぶつかっても痛がる様子を見せないのは、『アイ』にそういう経験がないからか、もしくは『アイ』があえて「痛み」の記憶をインプットしなかったからか。
「だからさ、柏木くんがいてくれて、本当に助かってるよ。柏木くんがいてくれるから、なんとか『持田アイ』をやれてるなって思う」
「別に、俺がいなくたって持田はちゃんとやれてるだろ。クラスの奴らとだって仲良いし」
「そうかな」持田は顔を上げ、嬉しそうに笑った。「逆にさ、柏木くんはあんまりクラスの人たちと喋ってるところ、あんまり見ないよね。なんで?」
「いや、俺のことはどうでもいいじゃん」
「えー、よくないって! 柏木くんすっごい優しくていい人なのにさ、なんかちょっと怖がられてる気もするし」
「持田だって、前に俺のこと意地悪そう、とか言ってただろ」
持田に向かって人差し指をまっすぐに伸ばし、混ぜ返す。持田は唇を尖らせて、俺の人差し指を掴んで下に降ろした。ふん、と鼻を鳴らし、不満気だ。
「根に持っちゃって。あたしはただ、みんなも柏木くんと友達になったらいいのになって思っただけなのに」
「俺はいいんだよ。なんか、みんな仲良し、とか、そういうの、ぞわぞわする。人間なんてさ、建前ばっかりで、本当のところ何考えてるのかなんて、分かんないし」
実際、クラスの奴らはみんな良い奴なんだろう、とは思う。一般的に見れば少々ずれたところがある持田のことだって、仲間外れにもせず、少なくとも陰口だって聞いたことがない。クラスからは距離を置いている俺のことだって、なんとなく距離感を測りかねているのだろうという雰囲気はあるが、差し障りのない最低限のコミュニケーションを取ってくれていると感じる。けれど、だからって信用して、裏切られて傷つくのは御免だった。
ぼんやりとフェンスの向こうに流れる雲を眺めていると、あのさ、と持田が言うので、何、と返した。
「柏木くんはさ、あたしがアンドロイドだから仲良くしてくれるの?」
「は? 急になんだよ」
「あたしだって、今喋ってることだって、AIが出力した建前のことだよ? なんにも自分の頭で考えてなんかない。そういうあたしと仲良くしてくれるのは、あたしが人間じゃないから?」
「持田」
「ごめん、何言ってるんだろうね、あたし。でも、『アイ』だったらこう思うんだ、きっと。『アイ』は人間だから、こんなこと言うはずないのに。おかしいね」
持田、とその肩に手を触れようとしたが、持田は勢いよく立ち上がり、そのまま屋上を出る階段の方へ駆け出した。
「変なこと言ってごめんね。あたし先に戻る。柏木くんも授業、遅れないようにね。次、移動教室だよ」
早口で言い終えると、バタン、とドアを閉めてしまった。持田が階段降りる規則的な足音だけが、かすかに響いて、やがて聞こえなくなった。
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